全国中学・高校ディベート選手権(ぜんこくちゅうがくこうこう - せんしゅけん)とは毎年8月に開催される全国の中学校・高等学校の生徒を対象としてディベートの日本一を決める大会である。通称は「ディベート甲子園」。1996年に第1回大会が開かれ、2005年に第10回大会が記念大会として「愛・地球博」の会場にて行われた。2015年に第20回大会が同じく記念大会として女子聖学院で行われた。毎年2月下旬に中学校と高校で異なる論題が発表され、6月から7月にかけて全国を7地区(北海道、東北、関東・甲信越、東海、近畿・北陸、中国・四国、九州)に分けて予選となる地方大会が行われ、これを勝ち抜いた中学校24校・高校32校により8月の初めに全国大会として行われる。2004年までは神田外語大学で開催されていたが、先に記したように2005年大会では第10回の記念大会として「愛・地球博」会場内にあるロータリー館で決勝が行われた(予選は金城学院大学)。2006年以降の会場は2014年までが東洋大学(白山キャンパス)、2015年が女子聖学院中学校・高等学校、2016年が立教大学(池袋キャンパス)である。1995年4月に開かれたディベートの夢を語る会の中で「ディベートの全国大会を行いたい。その前段階としてディベートキャンプをやりたい」という声が上がった。その年の夏に女子聖学院の施設を用いてディベートキャンプが開かれ、瀧本哲史氏や池田修氏によるレクチャーが行われた。夏休み後半にはディベート合宿が幕張で開かれ、「日本は学校教育にディベートを導入すべし」という論題で試合をし、ディベートの専門家による様々なテクニックなども披露された。夜にはディベート甲子園開催に向け話し合われ、各団体の協力が確認された。さらに同年11月には女子聖学院中学校と瑞雲中学校の交流戦が行われ、その夜には関係者によって夜通しでディベート甲子園のルールが作られた。1996年3月に開かれたキャンプでは読売新聞事業開発部も加わり、本格的にディベート甲子園開催へと動き出した。こうして1996年の第一回大会が開催された。1996年 8月1日 - 8月3日1997年 8月1日 - 8月3日1998年 7月31日 - 8月2日1999年 7月30日 - 8月1日2000年 8月4日 - 8月6日2001年 8月4日 - 8月6日2002年 8月2日 - 8月4日2003年 8月3日 - 8月5日2004年 7月31日- 8月2日2005年 8月6日 - 8月8日2006年 8月5日 - 8月7日2007年 8月4日 - 8月6日2008年 8月9日 - 8月11日2009年 8月8日 - 8月10日2010年 8月7日 - 8月9日2011年 8月6日 - 8月8日2012年 8月11日 - 8月13日2013年 8月10日 - 8月12日2014年 8月8日 - 8月10日2015年 8月8日 - 8月10日2016年 8月6日 - 8月8日※第21回大会(2016)時点で、5年以上連続で全国大会に出場した学校大会では、中高それぞれベスト4に入った学校が表彰される。9回大会以降は3位決定戦が行われなくなったため、優勝・準優勝・第3位という表彰となる。第13回大会まで、優勝校には協賛のパナソニックからLet'snoteが1台贈られていた。 中学、高校の決勝に進出した学校の中から、マナーを含め優れたスピーチをした選手各1名に贈られる。相手の話を正しく聞き、自分の考えをわかりやすく伝えるというディベートに最も必要なコミュニケーションの基礎を重視し、コミュニケーション点の平均が最も高かった学校に贈られる。この賞は単純にコミュニケーション点の平均点だけが審査基準であるため、たとえ予選で敗退した場合でも選ばれることがある優秀な成績を収めた学校の指導者の中から、特に顕著な功績があったと認められる中学校・高校それぞれ1人が最優秀指導者賞に選ばれる。この賞は必ずしも優勝校の指導者が選ばれるわけではなく、具体的な基準は公表されていない。なお、大会に出場する場合は引率者が少なくとも1人必要である。ディベートの普及や指導に取り組み、著しい成果を上げたと認められる団体が選ばれる。この賞は大会の成績等には一切関係なく、出場校に贈られることはない。以前は個人賞と団体賞がそれぞれあったが、現在では団体だけとなっている。パナソニックの賞賛を得て「パナソニック賞」という名称も使われている。全国大会の決勝戦(高校の部)では全国教室ディベート連盟(当時・専務理事、現在は理事)の松本茂が10年連続で講評を行っていた。その講評の冒頭で毎年「ディベートって…」という名言を残していた。通例化したものの、もうネタがつきたのではないかと言われていたが、全国教室ディベート連盟監事・渡辺徹など、松本から代わった現在でも「ディベートって…」と言うことが継承されている。第20回大会の公式パンフレットでは記念企画として理事や監事が「ディベートって…」と題し自身にとってのディベートについて語っている。ディベートはまだあまり一般にはよく理解されておらず、ディベート甲子園参加校は近くにディベートを行っている学校が少ないという状況にある。そうしたなか九州ディベート交流会といった中高生ディベーターを中心とした団体があり、積極的に交流を行い友情を深めている。またディベートラバーズという全国のディベーターの中高生によって構成される団体もある(なお、HPの更新は途絶えているようではあるが2015年現在、SNSなどでの活動がみられる)。例年全国大会出場が決定するのが6月から7月であり、また全国大会が開催されるのが7月の終わりから8月の初めである。これはちょうど夏期休暇の旅行シーズンに重なるので、全国大会出場校にとっては宿泊先の確保が大変である。そのため主催者である読売新聞社の子会社、読売旅行が宿泊先を手配したパックを発売する。1999年の第4回大会(会場:神田外語大学)では、大会2日目がGLAYの「MAKUHARI MESSE 10TH ANNIVERSARY GLAY EXPO'99 SURVIVAL」という20万人を動員するライブと重なった。ライブは会場近くの幕張メッセ大駐車場で行ったが、同社の力により参加校は幕張プリンスホテルを確保できた。また、2005年の第10回大会では「愛・地球博」が開催されていたため名古屋市内でホテルを確保しにくかったが、希望する参加校分は確保していた。== 脚注
出典:wikipedia
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