パルク・デ・プランス()はパリの16区にあるサッカースタジアム。もともとは、自転車競技場として設営された。直訳すると「王子達の公園」と言う意味になる。収容人数は48,527人。1897年に周長666mの長円形スタジアムとして誕生。従前は研究所であった。しかしながら構造が劣悪だったため、同年の杮落としとなる7月18日には、一般の観客は入ることができなかった。このままでは自転車競技場としての機能を果たせないと考えた、ツール・ド・フランスの生みの親である、アンリ・デグランジュの意向により、1904年から1967年まで同レースの最終ゴール地点と定めた。これが契機となって、1924年のパリオリンピックの会場の候補にも推挙されたが、周長が長い分、カントが低い設定となっていたことが嫌われる形となり、同年のパリオリンピックのトラックレースの会場は、1900年のパリオリンピックの開会式会場となった、ヴェロドローム・ド・ヴァンセンヌが選出された。その後、上述のパリオリンピック会場誘致失敗を契機とし、デグランジュの後を受けてツール・ド・フランスのレース責任者となったジャック・ゴデの意向により、1932年に従前の666mから454mに改修され、また観客席も2万人収容から4万人収容へと大幅に増築された。一方で当時、4万人という収容人員を誇るスタジアムが、フランス国内にあまりなかった背景から、競技場内のフィールドを利用して、球技場としても利用されることになった。改修以前にもサッカーやラグビーの試合が行われたこともあったが、改修後はその頻度が急増した。とりわけ、1938年のFIFAワールドカップや、1954年の第1回ラグビーリーグ・ワールドカップの決勝戦、及び1960年の第1回UEFA欧州選手権の開催が契機となり、後述する、サッカースタジアムへの転身へと繋がっていくことになった。ツール・ド・フランスの最終ゴール地点としては、前述の通り、1967年が最後となり、翌1968年から1974年まで、ヴェロドローム・ド・ヴァンセンヌがその役目を務めた。リーグ・アンに所属しているパリ・サン=ジェルマンのホームスタジアムであり、サン=ドニのスタッド・ド・フランス(約8万人収容)が完成する以前は、パリにおけるサッカー、ラグビーのフランス代表のホームスタジアムであった。サッカーの国際大会ではUEFA欧州選手権(1960年大会・1984年大会・2016年大会)や1998 FIFAワールドカップで使用されており、欧州選手権では1960年大会と1984年大会の決勝開催地となった。ラグビーワールドカップでは1991年大会と2007年大会で使用されている。現在パルク・デ・プランスが建っている場所は上述の通り、元々は自転車競技場であったが、1970年にそれまでプロサッカークラブとは無縁であったパリにパリSGが発足したのに合わせて1972年に、それまでの自転車競技場に手を加える形で誕生した。約5万人収容という程よい大きさと交通の便のよさのためか、パリSGは現在もスタッド・ド・フランスに本拠地を移転せず、パルク・デ・プランスを使用し続けている。
出典:wikipedia
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