松平 家広(まつだいら いえひろ)は、安土桃山時代の武将。松平忠正の子。年少の時に父・忠正が死去し、跡を継いだ叔父忠吉もほどなく死去したために5歳で家督を継いだ。天正12年(1584年)に小牧の戦いで酒井忠次の軍勢に加わり、功績を挙げる。天正18年(1590年)、徳川家康の関東入封に伴って武蔵国松山城と1万石(後に2万5,000石)が与えられ、初代松山藩主となった。慶長6年(1601年)、25歳で死去。死因は病死と言われているが、家老の堀勘兵衛を殺害したことによって家康の勘気を蒙って自害したとも伝えられる。家督は従弟の忠頼(忠吉と再婚した多劫姫所生の子であるため異父弟にもあたる)が相続した。
出典:wikipedia
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