ポール・テツヒコ・カリヤ(Paul Tetsuhiko Kariya、日本名:狩谷 哲彦(かりや てつひこ)、1974年10月16日 - )はカナダブリティッシュコロンビア州・バンクーバー市生まれの日系三世、の元プロアイスホッケー選手である。身長178cm、体重82kg。父親が日系カナダ人で母親がスコットランド系カナダ人のハーフ。かつてカナダ・グリーンウッドにあった日系人収容所生まれの父・哲彦と、スコットランド系の母親シャロン・トマス(Sharon Thomas) の間に生まれた。また父方の祖父母は第二次世界大戦中に「敵性外国人」とみなされて収容所に送られた日系カナダ人23,000人の中の2人であった。ポールは高校時代に、アイスホッケーにおいて94試合で91ゴール153アシスト、合計で244ポイントを上げアマチュア選手として頭角を顕した。メイン大学に進学すると、1年生のときには39試合で25ゴール75アシスト100ポイントの成績を残し、新入生としては初となる全米大学ホッケー界の最優秀選手賞 (Hobey Baker Award) を獲得し、同大学の42勝1敗2引き分けの好成績に貢献するとともに、1993年度の NCAA および Hockey East の各タイトルを得た(なお、弟のスティーヴンも1999年度の NCAA タイトルを獲得し、さらに2人の弟のマーティンも、メイン大学の2002年度 Frozen Four 決勝進出に貢献した。)。ポール・カリヤの2人の弟、スティーヴ、マーティンは両者ともプロ・アイスホッケー選手である。また妹のノリコはプロ・ボクサーである。1993年のNHLドラフトでは、全指名選手中第4位でマイティーダックス・オブ・アナハイムに指名され、左ウイングを務める。1995-1996シーズンには、50ゴール、58アシスト、計108ポイントを記録した。翌1996-1997シーズンは、21歳でマイティダックスのキャプテンに指名された。2003年にはマイティーダックスを初のスタンレー・カップ決勝進出に導いている。そのスタンレーカップ決勝で彼はすばらしい動きを見せ、さらに第6戦では、相手のニュージャージ・デビルスのキャプテン、スコット・スティーブンス(Scott Stevens)からボディーチェック(選手がほかの選手にぶつかり、ボールのような「パック」を取り返すこと)を受け、ロッカールームで手当てを受けた。その11分後に試合に戻り、彼は勝利に貢献するゴールを決めることとなる。今では高校生をはじめとし、日本人の多くのプレイヤーの憧れの的となっており、彼がそのとき付けていた背番号である「9」は、どのチームにもいないことはない。また、木村拓哉が主演したドラマ「プライド」でもキャプテンである木村が背番号に「9」を付けていた。2003年7月3日、ポール・カリヤはチームメートのティーム・セラニ (Teemu Selanne) とともに、彼らの当時の実力からすればあまり良いとはいえない条件(カリヤの昨シーズンの年俸は1000万ドルに対し、120万ドル)でコロラド・アバランチ と契約し、NHL 界を驚かせた。伝説のゴーリー パトリック・ロワ (Patrick Roy) は引退していたが、カリヤとセラニのペアを持ってすれば、アバランチは次期のスタンレー・カップ進出も夢ではないと期待された。しかし、カリヤは故障し、セラニは不可解にも守備陣としての役割を割り当てられたこともあって、両者ともに期待にこたえることができず、アバランチは契約更新を行わなかった。2005年8月5日、カリヤはナッシュビル・プレデターズと非制限フリーエージェントとして2年契約(900万ドル)を締結した。プレデターズ以外にも半数以上のチームからオファーがあったが、プレデターズを選んだ理由として、PS戦(シュートアウト)の導入と、センターラインパスの廃止がプレデターズのようなスピード重視のチームに有利に働くと判断したようだ。ちなみに彼はチーム記録(当時)の31ゴールを上げている。また、54アシスト、85ポイント(ゴール+アシストの値)もチーム記録である。2007年7月1日、セントルイス・ブルースと3年契約を締結した。弟のマーティン・カリヤ(Martin Kariya)が、既にブルースと契約を締結していた事が、ブルースへの移籍の決め手となったようだ。2007-2008シーズンこそチーム1位の得点を挙げて期待にこたえたが、2008-2009年は11試合に出場したところで怪我、そのままシーズンアウトとなった。2011年6月29日に現役引退を発表した。冬季オリンピック3大会に出場している。1994年のリレハンメルオリンピックでは金メダルのかかった対スウェーデン戦で手痛いショットミスをしてしまう。1998年の長野オリンピックでは、シカゴ・ブラックホークスのゲーリー・スーター (Gary Suter) に受けたクロスチェックによる脳震盪のため出場を逃した。当時、カリヤはカナダ・チームでも最高の選手と考えられており、日本で開催された同オリンピックでは、日系3世であるカリヤの欠場が惜しまれた。 2002年のソルトレイクシティオリンピックでは、カナダチームの金メダル獲得に貢献した。
出典:wikipedia
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