真壁 刀義(まかべ とうぎ、1972年9月29日 - )は、日本の男性プロレスラー。本名及び旧リングネームは真壁 伸也(まかべ しんや)。神奈川県相模原市中央区出身。新日本プロレス所属。神奈川県立城山高等学校を経て帝京大学出身。中学時代から柔道を経験し、帝京大学在学中に二段を習得。また、プリン真壁のリングネームで学生プロレスで活躍(サークルの後輩にDDTのHARASHIMA、AV男優のミートボール吉野がいる)した。卒業後の1996年4月に新日本プロレス入団。同期入門者には藤田和之がいる。1997年2月15日、神奈川県いすゞ自動車大和体育館での大谷晋二郎戦で本名の真壁伸也としてデビューを果たす。その後、長州をパートナーにIWGPタッグ王座挑戦やBEST OF THE SUPER Jrに初出場、全日本プロレスのアジアタッグ王座を巡ったトーナメントに出場する機会を得るも、いずれも結果を残せなかった。2000年に開催されたヤングライオン杯にて、準優勝の好成績をマーク。2001年にプエルトリコに武者修行に出発。海外遠征から帰国後の2002年、KAIENTAI-DOJOの藤田ミノルと結託しヒールへ転身する。しかしなかなか花を咲かせずにいた。そんな折、高山善廣とのタッグでプロレスリング・ノアの小橋建太、本田多聞が保持するGHCタッグ王座に挑戦。敗北を喫するも、奮闘を見せつけ自身の評価を上げる。2004年8月、G1 CLIMAXに初出場を果たしたのを機に、リングネームを真壁刀義に変更。2005年、G1公式リーグ戦2日目に対戦した中邑戦でアキレス腱断裂の重傷を負い長期欠場となった。2006年1月に復帰、新日本の別ブランドWRESTLE LANDでUNCHAINED GORILLAのキャッチフレーズを付与され、これをキッカケにブルーザー・ブロディと同じ入場テーマ曲である移民の歌に変更、入場の際にも首から掛けた鎖をブロディと同様にトレードマークとして使用し始めた。また、この頃よりメインイベンターとなりつつあった棚橋弘至や中邑真輔に対し「キレイどころまかせる、あいつらにはできないプロレスをやる」というスタンスを取りデスマッチ路線に進出開始。9月24日、アパッチプロレス軍が主催する興行のメインイベントに出場、ストリートファイト有刺鉄線バリケードマットチェーン・デスマッチルールで金村キンタローを破りWEWヘビー級王座を奪取する。真壁はこの一戦を皮切りに新日本、アパッチで怒涛のブレイクを果たし、「これが現実だ!」が決め台詞として定着。インディーの至宝とも呼べるWEW王座を乗っ取ったことで、「悪の王者」としてインディーファンから多くのブーイングを受けた。新日本では、天山広吉の呼びかけに応じる形でヒールユニット、G・B・Hのメンバーの一員として活動。徹底的に嫌われるヒールを目指した姿勢が評価され、徐々に人気を上げて行く。2007年3月に開催されたNEW JAPAN CUP(略称 : NJC)では決勝で永田裕志に敗れ準優勝に終わった。7月6日には永田が持つIWGPヘビー級王座に初挑戦、G1 CLIMAXでは初の決勝トーナメントに進出を果たす。12月には同じくG・B・Hに所属する矢野通と共に東京スポーツプロレス大賞最優秀タッグチーム賞を受賞した。2008年1月4日、矢野と組みTNAのチーム3D(ブラザー・レイ & ブラザー・ディーボン)とハードコアマッチルール対戦したが敗戦した。2月17日、同タッグでジャイアント・バーナード & トラヴィス・トムコ組の保持するIWGPタッグ王座に挑戦、キングコングニードロップでトムコを破り第51代王者に戴冠する。また、同日に怪我から復帰した天山をG・B・Hから追放し二代目リーダーとしてユニットの指揮をとった。7月、ZERO1-MAXの火祭りに初出場しAブロックを1位で通過。決勝にコマを進めるが田中将斗に敗れ準優勝に終わった。日を間もなくして開催されたG1 CLIMAXでも決勝で後藤洋央紀に敗れ去り準優勝に終わる。9月21日に全日本プロレスへ流出したIWGPヘビー級王座を所持する武藤敬司とのタイトル戦に臨むも敗戦。G1 TAG LEAGUEでは矢野とのIWGPタッグ王者として出場するも、テンコジ(天山 & 小島聡組)に敗れ準優勝に終わった。2009年1月4日、ハードコアマッチルールでチーム3Dの挑戦を受けるも、ピンフォール負けを喫して王座から陥落。2月15日にリマッチとして同タッグチームと対戦するが、やはり自身がピンフォール負けを喫した。4月5日、Resolution'09にて、中邑とシングルマッチで対決する。試合中に乱入してきた矢野から椅子攻撃を喰らう裏切りを受け、敗戦した。後に矢野は中邑と旧G・B・Hメンバーと共に新たなヒールユニットCHAOSを結成。唯一G・B・Hに残留した本間朋晃と共にCHAOSと抗争劇を繰り広げ、この頃からベビーフェイス色が強まっていった。6月20日、DOMINION 6.20にて、矢野とのシングルマッチで対戦。双方のセコンドが乱入する中、最後は試合に介入してきた中邑から顔面への膝蹴りを喰らい、矢野から鬼殺しでピンフォール負けを喫した。7月20日に再び同カードが組まれ勝利を収めた。8月のG1 CLIMAXでは2敗1分と苦戦を強いられるも、その後は勝利を積み重ねていき、勝ち点7点でAブロックを1位で通過。準決勝でプロレスリング・ノアの杉浦貴を破り、決勝で中邑と対戦、キングコングニードロップでピンフォール勝ちを収め初優勝を果たした。9月27日、空位となったIWGPヘビー級王座を賭けた試合で中邑と再戦するも、ボマイェでピンフォールを奪われ戴冠はならなかった。さらに試合後のコメントブースで飯塚高史の襲撃を受け因縁が勃発していった。11月8日に飯塚とチェーン・デスマッチを敢行しK.O.勝ちを収めるも、次シリーズで幾度となく襲撃され、12月5日に再度同じルールで対戦。コーナーで逆さ吊り状態となった飯塚の首をチェーンで締め上げ、レフェリーストップとなり抗争に終止符を打つ。12月8日、東京スポーツプロレス大賞で敢闘賞を受賞した。2010年1月4日、プロレスリング・ノア対抗戦の先陣を切りモハメド・ヨネと対戦。キングコングニードロップで快勝した。9日に開催されたNOAHのグローバル・タッグ・リーグ戦では本間朋晃とのタッグで初出場。2月28日、日本武道館大会では杉浦貴の持つGHCヘビー級王座に挑戦したが敗れた。5月3日、中邑の保持するIWGPヘビー級王座に挑戦し、立ち上がろうとした中邑の顔面にキングコング・ニードロップ投下させ、ピンフォール勝ちを収め同王座に初戴冠した。潮崎豪、中邑、田中を相手に3度の防衛に成功するも、同年に開催されたG1 CLIMAXで初の所属外選手として優勝を果たした小島に敗れ、王座から陥落した。その後、真壁は本間をパートナーにG1 TAG LEAGUEに出場するも、リーグ戦消化中に抗争を繰り広げていた田中のハードコア殺法を受けて首を負傷しリーグ戦も途中棄権となった。2011年1月4日、首の負傷が完治しない中でレッスルキングダムVのセミファイナルで田中と対決し勝利。その後は小島と抗争を繰り広げ、幾度となくシングルマッチで激突。5月3日のシングル戦で勝ち越しを収めた試合後、タイチ、TAKAみちのく、さらに突如現れた鈴木みのるの襲撃を受ける小島を救出に入り、握手を交わした。28日の試合で6人タッグながら初めて小島とタッグを組み勝利し、試合後の小島の握手を答えたことで晴れて共同戦線を張った。ただし、タッグとしての共闘は互いの目的と利害が一致していただけであり、信頼関係でできたタッグでない暫定的なものである事を小島と共に主張している。6月18日、DOMINION 6.18にて、鈴木軍の鈴木 & ランス・アーチャー組と対戦するが、小島が鈴木にピンフォールを奪われ敗戦。9月19日にG1で黒星を喫しているランス戦でリベンジを果たすと、10月10日に鈴木と対戦。鈴木のゴッチ式パイルドライバーで敗北した後、鈴木のセコンドに付いていた高山にエベレストジャーマンで追い打ちを掛けられたことで高山との因縁が勃発した。2012年1月4日、レッスルキングダムVIの舞台で高山と対戦、キングコング・ニードロップでピンフォール勝ちを収めて雪辱を果たした。4月のNEW JAPAN CUPでは優勝こそは逃すものの、新日本参戦後の鈴木に初勝利を収めた。6月16日、DOMINION 6.16にて、軍団抗争決着戦と銘打たれた鈴木と再度シングルマッチで対戦し勝利。一連の抗争に終止符を打つと、全試合終了後の勝利者インタビューで真壁はIWGPヘビー級王座に返り咲いた棚橋の前に姿を現し、挑戦を表明する。7月1日、全日本プロレスとの共同興行サマーナイトフィーバー in 両国 WE ARE PRO-WRESTLING LOVE!におけるトリプルメインイベントのトリを飾り、棚橋の保持するIWGP王座に挑戦するもハイフライフローで敗北を喫した。9月23日、DESTRUCTIONで、G1 CLIMAX最終日にリング上に現れた桜庭和志 & 柴田組の試合終了後に乱入し「この俺が喧嘩を買ってやる」とマイクパフォーマンスを行った。同じく喧嘩を買って出た井上亘とのタッグで二度対戦するが、いずれも敗戦。さらに試合を重ねるうちに柴田との因縁が激化し、シングルマッチを要求した。2013年1月4日、レッスルキングダム7で柴田と対戦。後頭部へのキングコング・ニードロップを炸裂させ、勝利を収めた。その後、CHAOSの高橋裕二郎と抗争を開始。THE NEW BEGINNING、NJC一回戦での対戦を経て、5月3日、レスリングどんたくにて決着戦を行い、試合はキングコングニードロップで勝利を収め、抗争に終止符を打つ。同日行われたIWGPヘビー級選手権試合で防衛に成功したオカダ・カズチカに対して同王座への挑戦をアピールした。6月22日、DOMINION6.22にてオカダの保持するIWGPヘビー級王座に挑戦するも、レインメーカーでピンフォール負けを喫して王座奪取とはならなかった。8月、G1 CLIMAXに出場。決勝進出に王手をかけた状態で最終日を迎え、公式リーグ戦の最後の相手であるプリンス・デヴィットと対戦。デヴィットのセコンドについていたバッドラック・ファレの介入を受けて、最後はピンフォール負けを喫し予選落ちとなってしまった。また、この一連の出来事をキッカケにデヴィット率いるBULLET CLUB(以下BC)との抗争に身を投じることとなり、9月29日、DESTRUCTIONでの棚橋 vs デヴィットによるランバージャック・デスマッチで、棚橋のセコンドにつき、試合に乱入してきたBCのメンバーを一掃し、棚橋を勝利に導いた。11月に開催されたWORLD TAG LEAGUEでは、本間とのタッグG・B・Hとして出場。リーグ戦を制し、準決勝でBCのカール・アンダーソン & ドク・ギャローズ組と対戦するも、試合中にファレによる襲撃を受けて身動きが取れなくなり、リング上で孤立した本間がピンフォール負けを喫した。試合後もファレの暴走は止まらず、自身が入場時に首からさげているチェーンで首を絞められ、失神状態に追い込まれてしまった。それから一夜が明けて、真壁はファレに対して「完全決着」ルールによるシングルマッチを要求した。1月4日、レッスルキングダム8の舞台で、K.O.、T.K.O、ギブアップのみで決着となる変則ルール、キング・オブ・デストロイヤーマッチでファレと対戦。ファレの必殺技、バッドラックフォールを喰らわされるもカウント9で立ち上がり、場外に設置されたテーブルに向けてパワーボムを放つと形勢逆転。最後はキングコング・ニードロップを二連発で決め、ファレからK.O.勝ちを収めた。4月19日、Road to レスリングどんたく 2014にて、棚橋とのタッグでIWGPタッグ王者組のアンダーソン & ギャローズ組とノンタイトルマッチで対戦し、棚橋がアンダーソンからピンフォール勝ちを収めた。さらに5月3日のレスリングどんたく 2014にて行われたイリミネーションマッチにおいて、棚橋、内藤哲也、獣神サンダー・ライガーと組み、BC(アンダーソン & ギャローズ & ファレ & タマ・トンガ)と対戦し、最後は棚橋と共に生き残り勝利。試合後にマイクを握ると、棚橋とのタッグでIWGPタッグ王座に挑戦を表明したが、直後に後藤洋央紀 & 柴田勝頼がリング上に現れ、自分たちこそが次期挑戦者であると主張した。同月25日、BACK TO THE YOKOHAMA ARENAにて、棚橋とタッグを組み、IWGPタッグ王座ナンバーワン・コンテンダーマッチと銘打たれた試合で後藤 & 柴田組と対戦。試合終盤、後藤の放ったミドルキックが顎を直撃し出血するも、最後は後藤からキングコングニードロップでピンフォール勝ちを収めて挑戦権を獲得。しかし、試合後も出血が止まらない状態が続き診断の結果、下顎歯槽骨骨折を負っていたことが発表された。6月21日、DOMINION 6.21のセミファイナルにて復帰。棚橋とのタッグでIWGPタッグ王座を保持するアンダーソン & ギャローズ組に挑戦するも、終始負傷箇所である顎を攻め込まれ、最後はマジックキラーでピンフォール負けを喫し王座奪取とはならなかった。その後、顎の負傷の原因を作った後藤と抗争を開始。7月21日より開催されたG1 CLIMAX公式戦で後藤と対戦するも、最後は顎にヘッドバットを喰らい、昇天・改を決められピンフォール負け。その後も戦績は振るわず、4勝6敗という結果に終わった。G1閉幕後も後藤と抗争を展開していき、DESTRUCTION in KOBEにて、再び後藤とシングルマッチで激突。最後はキングコングニードロップでピンフォール勝ちを収めた。翌々23日、DESTRUCTION in OKAYAMAにて、今度は後藤とタッグマッチで対戦し、その試合後に後藤と握手を交わし和解を果たした。11月8日、POWER STRUGGLEにて、NEVER無差別級選手権試合として行われた石井智宏 vs 後藤戦で後藤のセコンドに付く。試合は後藤が敗戦しリング上で後藤を介抱する中、王座防衛に成功した石井に挑発され、同王座への挑戦が決定的となった。2015年1月4日、レッスルキングダム9にて、石井の保持するNEVER無差別級王座に初挑戦し、最後はキングコング・ニードロップでピンフォール勝ちを収め、第6代王者となる。2月14日、THE NEW BEGINNING in SENDAIにて、石井を挑戦者として迎えた初防衛戦のカードが組まれていたが、前日にインフルエンザに感染したことから欠場が発表され王座を返上。NEVER王座は真壁のリザーバーである本間朋晃と石井で争われ、試合は石井が制して第7代王者となった。インフルエンザから回復した後は引き続き石井と抗争を繰り広げ、4月29日、レスリング火の国にて、再び石井とNEVER王座を賭けて対戦。最後は立ち上がろうとする石井の顔面にキングコング・ニードロップを投下させて勝利を収め、第8代王者に返り咲いた。その後、7月5日、DOMINION 7.5 in OSAKA-JO HALLにて、三度NEVER王座を賭けて石井と対戦し、勝利を収めて初防衛に成功した。7月、G1 CLIMAXにNEVER王者として出場したが、最終日を待たずして予選落ちが確定してしまい、4勝5敗という成績で終わった。その中でも最終公式戦で対戦した飯伏幸太に敗北を喫したことから因縁が芽生え抗争に発展。9月23日、DESTRUCTION in OKAYAMAにて、NEVER王座の防衛戦として飯伏と対戦。最後は本邦初公開となったスパイダードラゴン・スープレックスからキングコング・ニードロップを炸裂させ、2度目の防衛に成功した。10月12日、KING OF PRO-WRESTLINGにて、NEVER王座3度目の防衛戦として石井と対戦したが敗戦し同王座から陥落した。11月、WORLD TAG LEAGUEに本間とのタッグG・B・Hとして出場。開幕して以降2連敗を喫するも、その後は連勝を重ねていき、Aブロック1位で決勝に進出する。12月9日、優勝決定戦としてBブロック1位で通過したロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン(内藤哲也 & EVIL)と対戦。最後は本間がEVILからピンフォール勝ちを収め、初優勝を飾った。2016年1月4日、レッスルキングダム10にて本間とのタッグG・B・Hとして、BCのアンダーソン & ギャローズ組の保持するIWGPタッグ王座に挑戦。最後はキングコング・ニードロップでギャローズからピンフォール勝ちを収め、本間と共に第69代王者組に就いた。2月14日、THE NEW BEGINNING in NIIGATAにて、IWGPタッグ王座の初防衛戦として前王者組のアンダーソン & ギャローズ組と再び対戦。試合は本間がアンダーソンからピンフォール勝ちを収め初防衛に成功。4月10日、INVASION ATTACK 2016にて、IWGPタッグ王座2度目の防衛戦としてゲリラズ・オブ・デスティニー(タマ・トンガ & タンガ・ロア)と対戦したが本間がピンフォール負けを喫してしまい、王座から陥落した。若手時代から得意であったしなやかなブリッジに加えヒールターンしてからはラフ&パワーを前面に押し出したファイトスタイルとなった。メジャー団体所属選手としては珍しいデスマッチファイターである。このほか学生時代からの友人・小松和馬が執筆した評伝『真壁刀義―Thank youな!』(2010年9月、ベースボールマガジン社)がある。
出典:wikipedia
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