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全日本大学軟式野球連盟

全日本大学軟式野球連盟(ぜんにほんだいがくなんしきやきゅうれんめい)とは、日本における大学軟式野球の統轄組織の一つで全国各地区の大学軟式野球連盟が加盟している。全日本軟式野球連盟の支部を構成する全日本大学軟式野球協会の傘下団体。※注意:過去に分裂した経緯を持つ類似の団体(全日本学生軟式野球連盟)が存在し、参加している連盟・チームが異なることに注意。大学の軟式野球は、終戦後の1947年-1949年頃に、東京六大学軟式野球リーグ、東都大学軟式野球リーグ、関西六大学軟式野球リーグが活動をはじめたのが始まりで、これらのリーグが中心になり、1949年12月に兵庫県明石市で開催された全国大会をきっかけに全日本大学軟式野球連盟(現在の同連盟とは異なる。後述参照。)が設立された。この第一回大会では、中空のゴムボール(現在でいうところの軟式ボール)を使用していたが、前年に開発された準硬式ボールが他の軟式野球の公式大会での使用実績が良好の評判だったことから、全日本大学軟式野球連盟でも、主催の選手権大会での公式公認ボールに指定した。このような事情から、大学の軟式野球は、もともとは今で言うところの準硬式野球の方がメインに発展して現在に至っている。従って、現在における大学の軟式野球は、正しくは軟式A号ボール(通称軟式ボール)を使用する野球のことを表す。また、「全日本大学軟式野球連盟」の名称の団体は、時系列的には相互に関連ありながらも、3代に渡ってそれぞれ異なった内容の団体が存在している。であるが、以下では現在における全日本大学軟式野球連盟(3代)を中心に解説する。準硬式球による軟式野球が定着した後になって、大学チームでも準硬式ボール(当事B号球。後にH号球に名称変更)ではなく軟式ボール(当事A号球。後に新開発のL号に変更され、それが更なる名称変更を経て現在のA号に至る。)の使用をするチームの活動が盛んになり、徐々に軟式ボールを専用に使用するチームによるリーグも結成されていき、軟式ボール使用チームによる全国規模の連盟(「全日本大学L号軟式野球連盟」、現在の「全日本大学軟式野球連盟」の前身)の結成に至った。さらに、使用球の名称変更に伴う連盟名称変更(「全日本大学L号軟式野球連盟」⇒「全日本学生軟式野球連盟」)や、大学軟式連盟(L号球使用の当時の全日本学生軟式野球連盟)と大学準硬式連盟(H号球使用の当時の全日本大学軟式野球連盟)の全国規模での統一が行なわれ、新たな全日本大学軟式野球連盟としての軟式の部、準硬式の部(この統一をもって全日本軟式野球連盟に加盟)の2部体制となった。しかしその翌年、軟式の部内では早くもこの新体制に対して将来への不安の声が上がりはじめた。軟式の部加盟の連盟やチームの多くに「準硬式側主導(詳細については全日本大学準硬式野球連盟を参照の事)で作られた統一新連盟では、L号球軟式野球の将来が危ういのではないか?」という危惧が広まり、現体制の維持か、再独立かを巡って議論沸騰し、度重なる協議・調整を行なった結果、希望するチームやリーグのみが新組織側に残ることで決着。その結果、それを希む連盟やチームの連名での独立宣言により大半が一時脱退したが、関東を中心にした東日本側の連盟やチームの殆どが順次復帰・再加盟した。(詳細は沿革の1993年~1994年辺りを参照)これにより、軟式野球連盟の2団体分裂時代が始まり、軟式と準硬式の再分離(それぞれ「全日本大学軟式野球連盟」と「全日本大学準硬式野球連盟」として独立)が行なわれ現在に至っている。また、再分離・独立した両連盟は、共同で上部組織(全日本大学軟式野球協会)を結成し全日本軟式野球連盟に再加盟した。このようにな複雑な事情により、現在の大学の軟式野球界は、全国規模での統括連盟とその主催による選手権大会で、2つの系統が並存している。なお、全日本大学軟式野球連盟は、分裂した全日本学生軟式野球連盟と共に、分裂前の全国大会の大会歴を共有して継承している。※ボールの名称の変遷については、軟式野球のボールの種類についてを参照の事。※参考として連盟結成前史も記載全日本大学軟式野球連盟が加盟状態を管理しているのはそれぞれの各連盟のみで、各大学の軟式野球部は直接に全日本大学軟式野球連盟に所属しているわけではなく、その所属や加盟校の管理・運営は各連盟に帰属する。なお加盟校の加盟・脱退やリーグ間の移籍などは、硬式野球や準硬式野球に比べて割と頻繁に発生する傾向が強い。※データは2008年開始時のもの

出典:wikipedia

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