ザ・スターリン ("THE STALIN") は、日本のパンク・ロックバンド。ボーカルの遠藤ミチロウを中心に1979年に結成されたバンド、「自閉体」を母体として1980年結成。同年9月5日にファーストシングル「電動こけし/肉」をインディーズレーベルからリリース。その後1982年にアルバム『STOP JAP』で徳間音楽工業よりメジャーデビュー。3枚のアルバムをリリースした後に1985年解散。その後もビデオのみをリリースするというコンセプトの「ビデオスターリン」や、定冠詞の付かない「スターリン」というバンド名で復活している。バンド名の由来はソ連の独裁者、ヨシフ・スターリンからとっており、ボーカルの遠藤曰く「世界で最も嫌われている男の名前をつけたらすぐに覚えてもらえる」、「外国(東ヨーロッパ)に行くつもりだった」という理由で付けられた。また「スターリンとはバンド名ではない。俺の活動そのものの事だ」とも遠藤は語っている。同時期にデビューしたじゃがたら、INUなどと並んで日本のパンク・ハードコアシーンで活動していた。ラモーンズ直系の8ビートにG.B.H.のような攻撃的なハードコア・サウンドを足した楽曲と、言葉遊びを織り交ぜた皮肉を込めた表現の歌詞が特徴となっていた。ライブ会場ではボーカルの遠藤が鳩の死骸や豚の頭・臓物を客席に投げつけ、爆竹や花火を投げ込み、全裸でステージから放尿するといったパフォーマンスで話題性を呼んだ。東京のライブハウス「屋根裏」を破壊し出入り禁止になったことや、とある高校の文化祭でゲリラ的にライブを行った時に遠藤が全裸になり逮捕された事もある。そうしたスキャンダラスな行為が評判となり、81年9月に週刊誌「女性自身」にザ・スターリンの記事が掲載され、マスコミに取り上げられるようになる。ザ・スターリンが他のバンドと違ったのは自ら積極的に雑誌やテレビなどのメディアを利用し、活動をアピールしてきた所であり、音楽・芸能問わず数々のメディアに登場していた。その一方で一部の暴力的なハードコア・パンクス達からは積極的にメディアを利用した宣伝を行い、「知的なパンク」を演奏するスターリンは異端児の様な扱いを受け、嫌われるという事もあった。メジャーデビュー後は、アルバムがオリコンチャートの上位に食い込むなど売上においても一定の成功を収める。しかし、結成当初よりメンバーが固定せず、メンバーチェンジを繰り返しながら活動していたが、主要メンバーが脱退してしまった事や前述のパフォーマンスや破壊活動を行われる事を危惧した全国のライブハウスやホールから徹底的に締め出され、ライブ活動を行う事が困難になった為、1985年2月21日の大映スタジオでのライブを最後に解散する。その後、遠藤はソロ活動を行っていたが、1987年にビデオのみをリリースするというコンセプトで、遠藤以外のメンバーを一新したビデオスターリンを結成。オーディションにより選出された3名のメンバーにより、ザ・スターリンの曲をカバーし2本のビデオ作品を発表したが、その後アルバムを1枚リリースし、1年ほどで解散する。1989年には再びザ・スターリンを結成するため、遠藤はドラムスの乾純に声を掛けようとしたが連絡が取れなかったため、元ルースターズ、ローザ・ルクセンブルグに所属していた三原重夫を中心に元THE LIPSの山盛愛彦やパラノイア・スターに参加していた西村雄介を新たなメンバーとして迎え、定冠詞なしのスターリンとして復活し、シングル「包丁とマンジュウ」、アルバム『JOY』にてアルファレコードよりデビューする。再結成に伴い、レコード会社やファンの間ではかつての過激なパフォーマンスが望まれていたが、遠藤やその他のメンバーはそれには応じず、独自のスタイルで活動していた。しかし、話題性、売上ともにザ・スターリン時代には及ばず、6枚のシングル・アルバム、2本のビデオをリリースするも、1992年12月14日の原宿ルイードでのライブを最後に活動停止し、翌1993年に解散した。その後は、遠藤主催のライブイベントなどで、都度異なるメンバーで一夜限りの再結成をしている。メンバーメンバーメンバーメンバーメンバーメンバーメンバーメンバーメンバーメンバーメンバー1982年8月2日での神戸市民小劇場ライブにおいて、観客が施設を破壊。この出来事を機に神戸では「スターリンに公共施設は貸さない」という市条例が制定されてしまう。また、全国ホール協会のブラックリストに載ってしまい、あらゆるライブ、コンサート会場でライブが出来なくなる。ほぼ全ての略歴では上記の事項が記述されているが、過去を遡っても「神戸市民小劇場」と言うスペースは神戸市公営施設に存在しない。また、神戸市の各種条例を検索しても、現在では、スターリンに関する条項は見当たらない。なお、神戸市の各種公営ホールについての条例について、一例を挙げると1973年制定の「神戸文化ホール条例」には、制定時から以下の項目が存在している。神戸市の他の公営施設の条例も、ほとんどがこれに準じており、施設設立当初から「善良な風俗を乱す」「設備を汚損・損傷させるおそれのある者」」には使用を禁止するようになっている。仮に、スターリンが問題を起こしたとしても、その対策は上記程度の内容で充分であり、スターリンを出入り禁止にするために、わざわざバンド名を名指しにする必要はまったく無い。そして、「あらゆるライブ、コンサート会場でライブが出来なく」なってしまった、当該ライヴ後もスターリンは大学祭・ライヴハウス等で演奏を行っている。なおかつ、スターリンの数年後、さらに凶悪なライヴを各所で敢行し、その度に各所でトラブルを起こしたハナタラシのライヴ履歴から傍証しても「全国ホール協会のブラックリスト」なるものが存在しないのは、ほぼ確実である(中野サンプラザ内にあった「全国ホール協会」は「全国ホール名鑑」という出版物を発行していたが、これはホールの施設概要についてのデータベースである)。このため、この事項は、兵庫県・神戸市・神戸市民文化財団が主催する各種施設(「市民小劇場」に類似した施設名が複数存在する)でトラブルを起こしたスターリンの噂に尾ひれが付いた、一種の都市伝説であると想像できる。また、過去のインタビュ−等では、遠藤ミチロウ自身も、このエピソードに触れており、あえて楽しんでこの「都市伝説」の流布に加担した可能性も否定できない。自閉体(遠藤の前バンド)時代からの曲ザ・スターリン時代
出典:wikipedia
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