デ・ハビランド DH.100 バンパイア(de Havilland DH.100 Vampire)は、イギリスの航空機メーカーデ・ハビランド社が開発し世界各国で使用されたジェット戦闘機である。バンパイアの開発は、イギリス空軍(RAF)が仕様E.6/41を1941年に出した事から開始された。ジェット黎明期の当時は、それまでのレシプロエンジンとは全く異なるジェットエンジンを搭載するための機体形式がまだ定まっていなかったので様々な形式が考案され、本機もジェットの排気をスムーズに後方へ流し、かつ機体重量の軽減を図るため、双ブーム形式で後部にジェットエンジンを装備した短い胴体と尾翼をつなげることにした。後にシービクセンまで受け継がれた双ブームジェット戦闘機の始まりである。さらにモスキートで培った経験を生かし、木製合板をコクピット周辺を構成する素材として使用した。原型機は1943年9月20日に初飛行した。これはグロスター ミーティアの初飛行から遅れること約半年であり、本機はイギリスで2番目のジェット戦闘機となった。テストの結果は良好でイギリス空軍は1944年5月に140機の生産・配備を決定した。続いて1945年には160機が追加発注されたが、第二次世界大戦中で既存の機体の大量生産が優先されたため、量産型が部隊配備されたのは1946年からとなってしまった。当初の装備エンジンは推力1,225kgのゴブリンIだったが、途中から推力1,410kgのゴブリンII、そして推力1,520kgのゴブリン3に換装された。また与圧キャビン化や水滴風防の採用などの改良も生産開始から早い段階で行われた。本機のエンジンは単発であり、速度性能では双発のミーティアよりも劣っていた。ただしミーティアのエンジン配置は双発レシプロ戦闘機と同様の古めかしいスタイルであり、運動性では双ブーム形式の本機の方が上回っていた。バンパイアは、まず迎撃機として部隊配備されたが、燃料搭載量が少なく航続距離が短すぎる点が指摘された。このため、燃料搭載量を増やした改良型F.3が作られイギリス国内の基地に配備された。しかし、最も多く生産されたのは戦闘爆撃機型のFB.5で、1949年から部隊配備が始まった。この型はイギリス本土のみならず、ヨーロッパ大陸や中東、極東に広く配備され1950年代のマラヤにおける武装蜂起の鎮圧などにも用いられた。この他、熱帯地域型や夜間戦闘機型、練習機型などが生産され、特に練習機型T.11は1951年にイギリス空軍の標準練習機として採用された。戦闘機型は1950年代中頃に第一線を引いたが、練習機型は1966年まで訓練に使用され、その後も数機が1970年代初期まで使用されていた。低価格で構造も単純だったバンパイアはジェット黎明期の機体としてはかなりの成功作であり、各形式合わせて約3,500機以上が生産され各国の空軍に導入された。また、オーストラリア、イタリア、スイス、フランス、インドなどでライセンス生産され、それぞれの国で独自の改良を施していた。スイスでは練習機型が1990年まで現役にあった。日本の航空自衛隊も国産ジェット練習機T-1(T1F1)の技術研究用として1956年にT.55を1機購入している。サイド・バイ・サイド式座席配置の研究が狙いだったとされるが、アメリカ規格とは相当に異なるなどの点から結局はあまり見るべき所がないとされ、短時間の飛行テストが数回行われただけで1960年には早くも用廃処分となり、しばらく地上教材機として使われた後展示機となった。海軍でもジェット戦闘機に関心を持っており、本機の導入を検討した。まず航空母艦運用のために改造された試作1号機でテストが行われ、1945年12月3日に空母「オーシャン」への着艦に成功した。これによりバンパイアは、世界で初めて空母に着艦した純ジェット機となった。海軍では空母から運用するため所定の改装を施した機体をシーバンパイア(Sea Vampire)として採用した。シーバンパイアは航空母艦から運用された初のジェット艦上戦闘機といわれているが、海軍が導入した機体はわずか20機で全てジェット機の訓練用に使用された。これは、初期のジェット機はスロットルの反応が遅く着艦が難しかったことと、本機の初期型は航続距離が極端に短かったことが理由であった。
出典:wikipedia
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