桜新町(さくらしんまち)は、東京都世田谷区の町名。桜新町一丁目及び桜新町二丁目が設置されている。郵便番号は154-0015。人口は3,336人(2011年8月1日現在)。玉川地域に属する。当地域内を走る東急田園都市線桜新町駅の南側が桜新町一丁目、北側が桜新町二丁目に分かれる。広義には桜新町駅を中心に広がる街を指す場合が多い。駅前には古くからの商店を始め、ファーストフード店やスーパーマーケットが軒を連ね、ここから弦巻、深沢、新町などの住宅地が四方に広がる。マンション建設ブームに伴い、平成期に入って以降、急激に人口が増えている地域の一つであるが、古くは桜新町一丁目に畑が、桜新町二丁目に町工場が多く、現在も駅前の世田谷目黒農業協同組合などにその名残が感じられる。桜新町2丁目には、世田谷区では珍しくなった準工業地域が今も存在する。深沢七丁目・深沢八丁目の桜は、桜のトンネルのようになっている。1933年(昭和8年)刊行の『玉川電車名所図会』に、桜新町電停の南側に「櫻トンネル」の記載が確認できる。住宅地の地価は、2014年(平成26年)1月1日の公示地価によれば、桜新町2-14-8の地点で70万2000円/mとなっている。新町の名は、この一帯は万治年間(1658 -1660年)に開拓された農地であり、武蔵国荏原郡世田ヶ谷村(彦根藩領)より独立分村し、世田ヶ谷新町村と名づけられたことに由来する。新町は、1912年(明治45年)から1913年(大正2年)にかけて、東京信託株式会社(現・日本不動産)により、関東初の高級別荘用地である「新町分譲地」が造成された。この時、現在の桜新町一丁目・深沢七丁目・深沢八丁目に当たる開発地の通りにソメイヨシノの並木が設けられた。桜新町の名称は、1932年(昭和7年)の東急玉川線の駅名に最初に確認できる。なお、近くの東京府立桜町高女学校(元・東京府立十一高女学校、現・東京都立桜町高等学校)は、1941年(昭和16年)から桜町の名称を使っている。1968年(昭和43年)の住居表示実施の際、現在の桜新町の町域を新町から分離し、旧町名「新町」に「桜」を冠して桜新町とした。昭和期、当地域に漫画『サザエさん』の原作者・長谷川町子が居住していた。国道246号に程近いセブン-イレブンは、以前は「三河屋」という酒店で、漫画に登場する「三河屋さん」のモデルであった。また、桜新町一丁目の長谷川町子美術館では、『サザエさん』の原画が常設展示されているほか、長谷川姉妹所蔵の美術収蔵品展示が行われている。桜新町駅と当美術館を結ぶ商店街通りが「サザエさん通り」と名づけられ、公共スペースのあちこちにサザエさんのイラストが施されるなど、「サザエさんの町」として親しまれている。サザエさん通りを南に15分ほど行くと日体大が左手に見える。桜新町駅は日体大世田谷キャンパス(本部)の最寄駅で日体大生の下宿も多く桜新町商店街が日体大の箱根駅伝出場を祝う垂れ幕など12月(過去にはアテネオリンピック祝金メダル北島康介選手「日体大卒」など)には掲げられている。1981年(昭和56年)には桜新町商店街と大学との協力で地域活性化ソフトボール大会の親睦試合も催された。高度経済成長期のただ中で人手不足に悩んでいた1952年(昭和27年)頃、各店舗ごとに求人募集要項を作り、地方に向けて積極的に働き手を求めることを桜新町商店会が発案し、商店街ぐるみで、渋谷公共職業安定所経由で新潟県に申請を出したところ、当時の世相で「金の卵」と形容された若者たちがこぞってこれに応え、就職することとなった。これがモデルケースとなり、その後の集団就職ブーム到来の先駆けとなった。開花時に「さくらまつり」が開催され、同町在住の歌手・水前寺清子が歌い、近隣の日本体育大学のエッサッサが毎年恒例で行われる。駅前通りの「ヤエザクラの並木」は当地域のシンボルとなっている。
出典:wikipedia
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