AR-18は、1963年にアーマライト社で開発された、アーサー・ミラー設計によるアサルトライフルである。国家に制式採用される事はなかったものの、後のアサルトライフル開発に大きな影響を与え、多くの派生した製品が生まれた。高度な設備を持たない工場でも生産可能なAK(AK-47)をコンセプトに1956年に設計されたをベースに、アルミ合金のレシーバーを採用したAR-15から、スチールプレスを多用した製造法に変更されている。ボルトの閉鎖にはAR-15と同じマイクロロッキングラグを備えた回転ボルトを用いているが、リュングマン式ではなく、M1 カービンや SKS カービンと同系のショートストロークピストン方式となっている。ストックは、サイドスイング式の収納を可能にし、空挺部隊や車輌部隊にも配慮されていたが、蝶番部分とロック部が脆弱なため、すぐにガタが来る点で不評を買った。ボルトキャリアのコッキングハンドル部は、M1 ガーランドやM14、AK-47と同じくボルトと連動しているため、不完全閉鎖などのトラブルが発生した際には、掌などで強制的に前進させて閉鎖する事が可能であり、この点ではボルトを直接動かすことのできないM16より優れている。AR-18は、安価なアサルトライフルであり、"西側寄り発展途上国のための AK"を目指した製品だったが、AR-15を発展させたM16が大量生産されて一挺あたりの単価も安くなり、これが輸出されることでAR-18をわざわざライセンス生産する意義が失われ、軍の主要装備として採用する国は現れなかった。しかし、M16のリュングマン式と、そのデザインに由来する作動不良を忌避した多くの諸国では、AR-18を参考としたショートストロークピストン方式とマイクロロッキングラグを備え、形状もAR-18に類似したデザインのアサルトライフルを開発した。AR-18および180のライセンス生産は、日本の豊和工業、イギリスの社、中華民国国軍で行われたが、後にシンガポールのCIS社に製造権が売却・譲渡され、改良型のやが製造されている。AR-18を参考としたアサルトライフルは、ベレッタ AR70/90やH&K G36など多数に上り、その影響はM16よりも大きなものとなった。かつてライセンス生産していたメーカーも独自の自動小銃を開発している。例えば、スターリング・エンジニアリング社は 、豊和工業は89式5.56mm小銃、中華民国国軍は65式歩槍、91式歩槍である。豊和工業では、AR-18のセミオートマチック専用型である AR-180がライセンス生産され、タイ警察軍やなどやアメリカの民間向けに海外輸出されていた。しかし、アメリカに輸出されたものがIRAのシンパにより北アイルランドに送られてテロ活動に使用されていた事が発覚し、日本の国会でも問題となったため、豊和工業での製造は打ち切られた。後に小口径アサルトライフルの試作が豊和工業で開始された際には、AR-18のデザインとプレス加工による製造法が参考にされており、完成した89式5.56mm小銃は、AR-18に似た構造となったため、中国やロシアなどは89式小銃をAR-18の亜種と認識している。内部構造的には89式小銃のガスシステムにはロングストロークのガスピストンが採用され、トリガーメカや、ボルトキャリアとリコイルスプリングの配置などAR-18と異なる点も多い。北アイルランドで発見されたAR-180は、製造メーカー名や番号などの刻印が削られて出所を隠されたうえ、各国軍のアサルトライフルと同様にフルオート射撃が可能なように改造された(セミオート専用型をフルオートに逆改造することは内部部品の一部を削る程度で容易に行えた)ものだった。しかし、英国警察のX線撮影による鑑定作業で刻印が復元され、原産国が特定された。当時のIRAは、多数の改造AR-180を入手したことによって、英国正規軍に対する軍事的劣勢を一挙に挽回する機会を得た。この銃によってIRAは、「アーマライトと投票箱戦術」()と呼ばれた、テロを通した武力闘争と議会における合法的な政治運動の両分野において活発な活動を始めることが可能になり、リトル・アーマライトという歌まで作られた。英国側は、AR-180による攻撃で大きな被害を受けたため、Widow Maker(ウィドウ・メーカー、直訳で「未亡人製造機」。つまり自軍将兵にとって脅威となる「殺人兵器」の意味だが、致命事故の多発する軍用機など自陣営が製作したにも関わらず味方を殺傷するものに対するスラングとしても用いられる)と呼んだ。
出典:wikipedia
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