伊藤 公介(いとう こうすけ、1941年10月23日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(9期)、国土庁長官(第29代)、衆議院国家基本政策委員長、外務委員長、法務委員長、文教委員長等を歴任。長野県上伊那郡高遠町(現伊那市)生まれ。長野県伊那北高等学校、法政大学法学部卒業。弁論部に所属した。オハイオ州立大学への語学留学を経て、神田外語学院講師を務める。その後、伊那毎日新聞創業者で自由民主党衆議院議員の向山一人の伝手で1969年、向山が経営する興亜電工に入社し、向山の個人秘書を務める。1972年、第33回衆議院議員総選挙に旧東京7区から無所属で出馬したが、立候補者9人中得票数8位で落選。1976年、第34回衆議院議員総選挙では、新自由クラブブームに乗って新設の旧東京11区から同党公認で出馬。初当選した。その後、新自由クラブの外交委員長や政策委員長、自治政務次官等を歴任したが、1979年の第35回衆議院議員総選挙及び1986年の第38回衆議院議員総選挙では落選した。1986年、新自由クラブ解党に伴い自民党に入党し、安倍派(当時)に所属した。1996年、第2次橋本内閣で国土庁長官に任命され、初入閣。小選挙区比例代表並立制導入後は東京23区から出馬し、連続4選。2009年の第45回衆議院議員総選挙では自民党公認、公明党推薦で東京23区から出馬するも、民主党公認の新人で元ピースボート事務局長の櫛渕万里に敗れ、比例復活もならず落選。次期総選挙にも東京23区から出馬する構えを見せていたが、自民党東京都連は東京23区の候補者の公募を行い、伊藤は公募に落選。そのため、次期総選挙には無所属でも出馬する意向を表明していたが、伊藤の三男・俊輔が日本維新の会公認で東京23区からの出馬を表明。俊輔を支援するため、自身の出馬を見送った。しかし、2012年の第46回衆議院議員総選挙にて俊輔は得票数3位で落選。
出典:wikipedia
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