岸田 今日子(きしだ きょうこ、1930年4月29日 - 2006年12月17日)は、日本の女優、声優、童話作家。血液型はA型。身長156cm。自由学園高校卒業。父は劇作家で文学座創設者の岸田國士(くにお)、母は翻訳家の岸田秋子。姉に詩人で童話作家の岸田衿子、従弟に俳優の岸田森がいる。俳優の仲谷昇は元夫。吉行和子、冨士眞奈美と親友であった。東京府豊多摩郡(現在の東京都杉並区)に劇作家の岸田國士・秋子夫妻の次女として生まれる。若くして母をなくす。自由学園在学中に舞台美術に興味を抱き、舞台美術家を志す。卒業と同時に裏方として文学座付属演技研究所に入り研修生となるが、その後女優に転じ、1950年に『キティ颱風』で初舞台。これを機に芝居の虜になる。1953年に今井正監督の『にごりえ』の端役で映画デビュー。1954年、同じ文学座に所属する(演技だけでなく当時二枚目俳優としても評判の高かった)仲谷昇と結婚。妊娠したが俳優という休めない仕事の影響もあり、一度流産を経験する。その後は演技に磨きをかけ、舞台を中心に映画、テレビ、声優と幅広い芸域を持つ。1960年、三島由紀夫演出の『サロメ』で主役に抜擢されて以降、テアトロン賞を受賞した『陽気な幽霊』をはじめ、数多くの舞台で多くの大役、難役をこなす。映画では1962年に『破戒』などの演技で毎日映画コンクール助演女優賞、1964年には『砂の女』でブルーリボン助演女優賞を受賞して、実力派女優としての地位を確立した。1963年、杉村春子ら文学座幹部の運営に限界を感じていた芥川比呂志、小池朝雄、神山繁、山崎努らと共に文学座を脱退。「劇団雲」を経て、1975年には「演劇集団 円」の設立に参加し、『壊れた風景』、『うしろの正面だあれ』、『トラップ・ストリート』など、別役実書き下ろしの大半の作品に出演。その後もテレビ・映画出演と並行して舞台女優としても第一線で活躍していた。近寄りがたい妖艶さを見せる一方、ユーモラスな役もこなす硬軟自在の演技は若い頃から評価が高かった。その存在感から怪優と賞されることもあった。テレビドラマでは、特に1963年の『男嫌い』で、男をむしる独身四姉妹・越路吹雪、淡路恵子、岸田、横山道代(現・横山通乃)の三女役で出演したことが大きい(四姉妹の末弟役は坂本九)。同番組は「カワイ子ちゃん」「かもね」「そのようよ」などの流行語を生み出す大人気ドラマであり、お茶の間での岸田の認知度も上がった。以降も『大奥』『傷だらけの天使』『御家人斬九郎』などに出演。映画では市川崑作品に多く起用されており、『犬神家の一族』などに出演した。二度目の妊娠をし、流産回避のため仕事を断る決意をし、1968年に長女を出産する。俳優として評判が高く仕事に忙しい生活となっていた一方で、次第に夫との仲がうまくいかなくなっていて、1978年に離婚。娘と二人の生活が始まった。その娘に自分の仕事を理解してもらおうと、アニメ『ムーミン』のムーミン・トロールの声を担当。世間の子供たちにその声が愛されることになった。また、『ムーミン パペットアニメーション』ではムーミンを含めたすべてのキャラクターおよびナレーションまで一人で全部を演じわけている。独特の声と情感豊かな読みにより、ナレーターとしても他に得がたい存在として、ドキュメンタリーからバラエティまで幅広く起用されていた。著作も多く、エッセイから翻訳など幅広い分野で健筆を振るった。特に児童文学、童話については造詣が深く、所属する「演劇集団 円」では、毎年年末にシアターΧで上演される、幼児にも楽しめる舞台「円・こどもステージ」の企画を担当していた。2002年にはポップシンガーUAのシングル「DOROBON」で詩の朗読に参加。幅広い活動を続けた。2006年12月にはNHK-BS2にて放送された『ミス・マープルシリーズ』の主人公ミス・マープルの吹き替えを担当した。放送と前後し他界したため、遺作となった。 2006年12月17日午後3時33分、脳腫瘍による呼吸不全のため東京都内の病院で死去。。墓所は東京都府中市多磨町の多磨霊園。趣味は麻雀で、1970年代に「週刊ポスト」で行われていた勝抜麻雀企画に出場し、阿佐田哲也に勝ったこともあるほどの強豪であった。晩年は九条の会の他、「イラク攻撃と有事法制に反対する演劇人の会」に参加するなど、護憲運動に関わったことでも知られる。2006年版『犬神家の一族』では1976年のオリジナル版で演じた琴の師匠役にキャスティングされていたが、岸田の体調不良により配役が変更された。岸田の没後、持ち役を引き継いだり、代役をした人物は以下の通り。
出典:wikipedia
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