アルゴ座(アルゴざ、Argo)、かつて存在した南天の星座の1つ。その名称はギリシア神話に登場する船、アルゴーにちなむ。アルゴ船座(アルゴせんざ、Argo Navis)、あるいは単に Navis (船座) ともいう。現在は、りゅうこつ座、ほ座、とも座の3つに分割されている。アルゴ座の領域に所属していた星座のうち、以下の3つの星座は、まとめてバイエル符号(ギリシャ文字)が振られ、最終的に以下のようになった。『アルマゲスト』に見えるプトレマイオス星座の一つだが、それ以前のアラートスの『ファイノメナ』にも詩われている歴史の古い星座である。ギリシアの詩人たちによれば、星座となっているアルゴー船は、船首部分を欠いた不完全な形であるという。プトレマイオスが定義したアルゴ座は、現在の「らしんばん座」と「とも座」の大部分、それに「ほ座」の西半分ほどの領域であった。カノープスは現在「りゅうこつ座」の北西端にあるが、プトレマイオスの定めたアルゴ座では南西端だった。ティコやヘヴェリウス、フラムスティードらは「とも座」の北側しか観測できなかったが、大航海時代を迎えて南天の観測がヨーロッパにもたらされると、バイエルの星図やハウトマンの星表で「りゅうこつ座」の大部分と「ほ座」の東半分が付け加えられた。しかし、その領域にはプトレマイオスがなにも記述していなかったため、バイエルはアルゴー船の船首をもぎ取った巨大な岩 (シュムプレーガデスの岩) を置いた。1676年にセントヘレナ島で南天の星を観測したハレーは、1678年に刊行した星表 "Catalogus Stellarum Australium"の中で、バイエルが置いた岩の部分を樫の木に置き換えた。またプランシウスは、Arca Noehi (ノアの方舟座)と改名し、3本マストの近代的な帆船を描いた。1756年に出版された、フランス科学アカデミーの1752年版『紀要』の中で、フランスの天文学者ラカーユの星表と天球図が収録された。この中でラカーユはチャールズの樫の木座を廃してアルゴ座の一部分に戻し、船のマストの部分をアルゴ座から切り離して新たに羅針盤座 "la Boussole"を設定した。またラカーユは星表の中で、アルゴ座を構成する星に"du Navire" (船) 、"Corps du Navire" (船体) 、"Pouppe du Navire" (船尾) 、"Voilure du Navire" (帆) という区別を付けている。これらの区分は、ラカーユ死後の1763年に出版された星表 "Coelum australe stelliferum" では、それぞれラテン語で "Argûs"、"Argûs in carina" 、"Argûs in puppi"、"Argûs in velis"とされた。ラカーユは、彼が設定したアルゴ座の領域にある明るい星に、ギリシャ文字でαからωまで符号を付けた。さらに、"Corps du Navire"、"Pouppe du Navire"、"Voilure du Navire" と区分した領域のそれぞれにラテン文字の小文字で a、b、c……z 、続いて大文字で A、B、C…… Z と符号を付けた。ラカーユはバイエルと異なり、 a の代わりに A を用いることはせず、a星を設けている。1922年の第1回国際天文学連合総会において現行の88星座が提案された際、従来「アルゴ座」とされた領域は、とも座、ほ座、りゅうこつ座の3つに分けられた。同時に、「とも座」・「ほ座」・「らしんばん座」・「りゅうこつ座」の総称としてラテン語名の Argo (属格形は Argus) と略符の Arg が制定された。日本でも1974年に刊行された『学術用語集・天文学編』で番外として和名の「アルゴ座」を制定したが、これを実際に使用していたのは野尻抱影くらいで、現在の各種星座表では使われていない。また、1994年に刊行された『学術用語集・天文学編(増訂版)』では、「アルゴ座」の項目が削除されている。上述のように、ラカーユは星表においてアルゴ座の各部分を区分しただけであり、ラカーユがアルゴ座を「とも座」・「ほ座」・「りゅうこつ座」の3つ、あるいは「らしんばん座」を加えて4つに分割したという事実はない。実際にラカーユの南天天球図を見ても、単に le Navire (船) とあるだけであり、「とも座」・「ほ座」・「りゅうこつ座」に当たる星座名は描かれていない。
出典:wikipedia
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