棋戦(きせん)とは囲碁の大会、特にプロのものを指す言葉。室町時代末期から公家や大名により当代の名手を集めた碁会が催されることが多くなり、著名な碁打ちの強さの格付けもされるようになる。江戸時代になると、その中の本因坊算砂や利玄といった者たちから家元制が生まれ、家元が幕府に出仕しての御城碁や、寺社奉行の許可に基づく争碁などが公的な対局として行われていた他、武家や豪商が後援者となっての対局も行われた。明治時代になって囲碁界が江戸幕府の保護を失うと、棋士達はスポンサーの支援によって対局を行った他、新たに結成された方円社では月例会の棋譜は雑誌「囲棋新報」に掲載される。囲碁愛好者の拡大に応じ、1878年(明治11年)に郵便報知新聞で初めて新聞に棋譜が掲載され、時事新報が1896年から「碁の栞」と題して棋譜連載、続いて1898年に國民新聞、神戸新聞で棋譜を掲載する。1905年に萬朝報で開始された「碁戦」は、本因坊門と方円社それぞれの勝抜き戦を交互に掲載し、1910年からは両派合同の連合選手戦となった。その後、日本新聞、讀賣新聞、その他の新聞が棋譜掲載を行うようになった。この頃対局料は、講評や弁当代まで含んで20円で、萬朝報が参入した頃には25円になった。大正時代に設立された裨聖会では、その棋譜を報知新聞に掲載。1924年に日本棋院が設立されると、1927年からその大手合は朝日新聞、日本棋院を脱退した5名の棋士による棋正社の手合は報知新聞、日本棋院対棋正社敗退手合は読売新聞と、それぞれの組織が新聞社と契約するという形になる。國民新聞は日本棋院の少年棋士の対戦譜、東京日日新聞では日本棋院の新進棋士の新進打切碁戦を掲載。また1928年(昭和3年)には東京日日新聞主催で全国素人囲碁大会が開かれ、全国規模のアマチュア棋戦の嚆矢となった。その後、プロ棋士によるトーナメント戦としては、1933年(昭和8年)に読売新聞主催の日本囲碁選手権手合が行われ、優勝者呉清源と本因坊秀哉名人との記念対局が話題となった。同年には、時事新報による木谷實と呉清源の十番碁も行われた。1938年(昭和13年)に本因坊秀哉の引退に伴い、本因坊の名跡を日本棋院に譲渡し、その名跡を選手権制で争う「本因坊名跡争奪全日本囲棋選手権大手合」いわゆる本因坊戦が昭和14年から毎日新聞主催で開始される。その後、同様のタイトル戦形式の棋戦が行われるようになり、1953年に王座戦、1954年にラジオ放送によるNHK杯争奪トーナメントなどが始まる。1961年(昭和36年)には多くの軋轢を経た後、名人戦も開始される。また女流棋士による棋戦として1930年(昭和5年)に時事新報主催の東西対抗女流棋士戦、早碁棋戦として1936年(昭和11年)に時事新報主催の早碁選手権大会など、様々な形の棋戦が行われるようになった。日本で発展した棋戦の形式は、韓国でも1947年の朝鮮棋院設立(後に韓国棋院)とともに行われるようになった。中国では中華人民共和国の囲碁強化政策により、1957年に全国囲棋個人戦開始、1962年に中国囲棋協会がプロ棋士制度を取り入れたことにより、日本や韓国と同様の形式の棋戦が行われるようになる。台湾でも1974年開始の名人戦など、同様の棋戦が発展した。ヨーロッパでも明治以降に囲碁の愛好者が少しずつ増え始め、各国でトーナメント戦が行われるようになり、1957年にはヨーロッパ碁コングレスが開始された。各国間の交流も次第に盛んになり、1955年に5ヶ国のアマチュア棋士が参加しての国際囲碁トーナメント大会、1963-64年に9ヶ国によるインターナショナルアマチュア•碁•トーナメント開催。1979年からは世界アマチュア囲碁選手権戦がには15ヶ国の参加で開始、2007年には68ヶ国•地域が参加するまでになっている。プロ棋士の国際棋戦としては、1988年に世界囲碁選手権富士通杯、IBM早碁オープン戦、応昌期杯世界プロ囲碁選手権戦が開始、1990年代以降は韓国や中国の主催による世界選手権も開始され始めた。これまでのプロ棋戦はスポンサーとの契約金を主催する棋士組織内で成績や段位に応じて分配する形で行われていたが、2009年開始のBCカード杯世界囲碁選手権ではトーナメント上位者に賞金を与えるという賞金制の試みもなされている。囲碁はマインドスポーツの一つとしての位置づけも広まり、2008年開始のワールドマインドスポーツゲームズや、2010年第16回アジア競技大会でも競技種目と採用されるようになった。また中国では団体戦形式の中国囲棋リーグ戦が1999年に開始、同形式の韓国囲碁リーグも2004年に開始、高い人気を持っている。本因坊戦などの棋戦は日本棋院によって行われたが、1950年の関西棋院独立以後は、本因坊戦他多くの棋戦は日本棋院と関西棋院の2組織の共同で行われる。その他に日本棋院単独、関西棋院単独で行われる棋戦もある。(歴代の七大タイトル獲得者は囲碁のタイトル在位者一覧を、歴代の記録については囲碁の記録一覧を参照。)上記が日本棋院の七大タイトルで、棋聖・名人・本因坊はリーグ戦で挑戦者を決定し、他の棋戦はトーナメントで挑戦者を決める(十段戦は、第49期まで敗者復活式トーナメントで挑戦者を決定していた)。。特に賞金額が大きい棋聖・名人・本因坊の3つを、三大タイトルと呼ぶことがある。2003年以後の昇段制で棋聖戦・名人戦・本因坊戦・世界戦優勝1回、王座戦・天元戦・碁聖戦・十段戦優勝2回で九段昇段、また棋聖戦・名人戦・本因坊戦の挑戦権獲得あるいは王座戦・天元戦・碁聖戦・十段戦優勝1回で八段昇段となっている。タイトルの序列は2012年以降は上記の順序で、賞金額によって決まっている。日本棋院の棋士の序列は、七大タイトル保持者、名誉称号保持者、三大タイトル経験者、以下九段・八段・……とされている。複数のタイトルを持つ棋士の呼称についての規定はない。なお、名人と本因坊の二冠を達成した場合は「名人本因坊」と呼ばれる。2016年に井山裕太が第53期十段戦を制して七大タイトルを独占し日本囲碁界初の七冠を達成した(2016年4月21日~)。これに次ぐ六冠を達成したのも井山だけである(棋聖・本因坊・王座・天元・碁聖・十段 2013年3月14日〜4月25日;棋聖・名人・本因坊・王座・天元・碁聖 2013年10月17日〜2014年12月16日、2015年11月25日~2016年4月20日)。各タイトルを5連覇または通算10期以上保持した者は、現役引退後または60歳の誕生日を迎えた後に「名誉○○」(○○はタイトル名)を名乗ることが許される。ただし本因坊戦はかつて「名誉本因坊」の称号を用いていたが、1998年以降「○○世本因坊××」(××は棋士の雅号)と呼称することに変更された。本因坊9連覇の高川秀格はその栄誉をたたえ、特例として1964年より、49歳現役で「名誉本因坊」を名乗ることが許された。また趙治勲も本因坊10連覇により、60歳の誕生日を待たずして現役時より「二十五世本因坊」の名乗りを許されている。(2016年時点)七大タイトルを全て一回以上通算で経験する事をグランドスラムと呼び、これを達成したのは趙治勲、張栩、井山裕太の三人(2013年現在)。後1タイトルで達成するのは林海峰、山下敬吾の2人。棋聖・名人・本因坊を同時に保持する事を大三冠と呼び、これを達成したのは趙治勲と井山裕太の二人(2013年現在)。韓国ではプロ棋戦は韓国棋院が中心となって実施される。2004年より開催。4人一組のチームで行われるリーグ戦。8チームがそれぞれ18試合を行い、リーグ終了後に3位と4位が戦い、勝者が2位と戦い、更にその勝者が1位と戦い優勝を決める。優勝チームは中国甲級リーグの勝者と対抗戦を行う。若手シニア終了棋戦中国では、中国囲棋協会、または1992年設立の中国棋院が中心になって行うが、成都棋院による西南王戦など地方独自に実施される棋戦もある。また全国運動会、全国体育大会や、全国智力運動会などでも種目と採用されている。1999年より開催されている地域毎のチーム対抗のリーグ戦。甲級の下に乙級、丙級があり、乙級の上位と甲級の下位各2チームが入れ替えとなる。日本、韓国、台湾よりの参加者もあり、台湾のチームの参加もある。2013年には女子甲級リーグも開始された。台湾では、1952年設立の中国囲棋会によって棋戦が行われていたが、2000年に台湾棋院、2008年に海峰棋院が設立され、それらによる棋戦も行われるようになった。終了棋戦
出典:wikipedia
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