幸福(こうふく、、、)とは、心が満ち足りていること。幸せとも。人間は古来より幸福になるための方法に深い関心を寄せてきた。幸福についての考察や、幸福であるためにはどのような生き方をすべきであるか、その方法論を提示した文章・書物は、「幸福論」("Eudaemonics")と呼ばれている。幸福を倫理の最高目的と考え、行為の基準を幸福におく説を幸福主義という。古典的にはアリストテレスが典型であり、近代哲学では功利主義がその典型である。本記事ではまず、哲学者や思想家や宗教家などによって幸福についてどのような考え方が提示されてきたのか見てゆく。→#哲学、思想、宗教における考えその次に、近年の統計的な調査や精神医学的な調査・研究で明らかになった知見なども紹介することにする。→#統計的、精神医学的調査・研究ソクラテスは、「生きること」以上に「よく生きること」を重視し、正しく知ることが重要であると説いた。アリストテレスは『ニコマコス倫理学』において、幸福とはだれもが求める目標である、その特徴は、それが究極目標であること、つまりもはやそれが何かほかのものの手段にはなりえない、という点にある、と述べた。つまり幸福は、それ自体のために求められる最高善であるとし、自足的で永続的な状態である、と見なした。幸福が最高目標、永続的であるのに対して、実生活の具体的な活動の過程で得られる快は安定性も永続性も欠いている、とし、幸福主義をとなえた。またアリストテレスは、幸福とは、政治を実践し、または人間のプシュケー(=心、霊魂)の固有の形相である理性を発展させることであるとした。ヘレニズム期の哲学においては、幸福について考えが分かれる二つの学派があったとされる。ストア派とエピクロス派である。ストア派は、宇宙全体を貫くロゴスとの合一に幸福の理想が求められ、理性に従い欲望を制御してどんなことがあっても動じない状態、即ちアパテイアが幸福であるとした。ストア派は理性に従い徳を高めることが幸福であるとする一種の主知主義の立場である、ともされる。エピクロス派は「快楽を得ることが幸福であるとした」などとされ、快楽主義などと表現される。ただし、エピクロス自身が言っていたことは、現代人がつい思い描いてしまうような、単純に享楽を求めるような"快楽主義"ではない。エピクロス自身は、快を「感覚的な快」と、「精神的な快」に分けて考えていた。前者は生き物に共通の反応ではあるが、人間あるいは賢者にとっての幸福というのは、精神的な快であるとし、アタラクシアである、としていたのである。アタラクシアとは、静かな心の平安、あらゆる苦痛と混乱を免れた精神の安定した境地のことである。ヘレニズム期の幸福論を考察する時に、両派は対比され、一般にストア派は「禁欲主義」、エピクロス派は「快楽主義」と呼ばれ、てはいるが、このように静かな心の穏やかさを目指した面では軌を一にしている。「これら(両派)はいずれも、外部とのかかわりを可能なかぎり断って、もっぱら内面における安定ないし自足のうちに幸福の実現の可能性を求める立場であった」とも。欲望をどのように扱うかが、幸福論の中心的な課題であったとも。「この点では、苦しみの源である執着心(渇愛)から解放された涅槃寂静の境地に悟りの境地を求めた仏教の発想とも通じ合うところがある」ともされる。『法華経』の第二章にあたる「方便品」において、「衆生を饒益し安楽ならしめたもう所多き」、つまり全ての人々の真の幸福と安楽のために法華経は説かれたのだ、とされている。別の言い方をすると、一切衆生の成仏が、仏がこの世に出現した最大で究極の目的である、としているのである。そして『法華経』の第十五章にあたる従地涌出品には、釈迦如来が説法をしていたときに大地が割れ、そこから無数の菩薩が涌き出てくる情景が描かれている(この菩薩を「地涌の菩薩」と呼ぶ)。これらの菩薩は、釈迦亡き後の末法の世において仏法を護持して広めてゆく存在であるが、この「地涌の菩薩」とは、他でもない我々普通の人間のことをあらわしており、民衆ひとりひとりが立ち上がり、他の人々までも幸せにしてゆく情景がオペラさながらの手法で描かれているのである。宮沢賢治は法華経の学びから「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(「農民芸術概論綱要」序論)を得た。中国などの故事や格言にも幸福を主題としたものがある。古代中国、紀元前2世紀ころの『淮南子』に掲載されている人間訓に「人生万事塞翁が馬」がある(この表現は元の僧、熙晦機の漢詩「人間萬事塞翁馬 推枕軒中聽雨眠……」の冒頭にちなむ)「塞翁が馬」とも称される。「塞翁が馬」には、「禍福は糾える縄の如し」(人の幸・不幸は縒って作った縄の目のように、交互に訪れるため片方ばかりは続かない、という意味)など、類似する故事・説話・慣用句なども数多い。『晋書』(劉毅伝。7世紀ころ)には、「棺を蓋いて事定まる」という格言があり、それは、あるできごとや現象がその瞬間には幸福に見えようが不幸に見えようが、それが本当にそうなのかは、その後の長い時間を経て人生の幕引きの時を迎える時まで定まっていない、ということを述べている。なお落語には「人の値打ちと煙草の味は、煙になって判るもの」()という件もあるという。キリスト教が普及したヨーロッパの中世においては、本来の幸福は個々の人間の努力によってどうにかできるようなものではなく、神からの恵み(恩寵)によってのみ真の至福は可能になる、と説かれた。ブレーズ・パスカルは『パンセ』において幸福にも言及している。現代フランスの代表的モラリストのひとりコント=スポンヴィルは次のように説いた。「あるがままのものを認識し、できることを意志し、起こることを愛すること」アダム・スミスは『道徳感情論』において「幸福は、平静と享楽にある。平静なしには享楽はありえないし、完全な平静があるところでは、どんなものごとでもそれを楽しむことが出来る」とした。「健康で負債がなく、良心にやましいところのない人に対して何を付け加えることが出来ようか」。しかし「(健康で、負債がなく、良心にやましいところがない状態)につけ加えうるものは、ほとんどないにしても、それから取り去りうるものは多い。この状態と人間の繁栄の最高潮との間の距離は取るに足りないのに対し、それと悲惨のどん底との間の距離は無限であり巨大である。」」「貧乏な人は、彼の貧困を恥じる。彼は、それが自分を人類の視野の外に置くこと、あるいは、他の人びとがいくらか彼に注意したとしても、自分が耐え忍んでいる悲惨と困苦について、彼らが、いくらかでも同胞感情をもつことはめったにないということを知っている。彼は(貧困と無視)双方の理由で無念に思う。無視されていることと、否認されることは、まったく別のものごとなのではあるが、それでもなお、無名であることが名誉と明確な是認という日の光を遮るように、自分が少しも注意を払われていないと感じることは、必然的に人間本性の最も快適な希望をくじき、最も熱心な意欲を喪失させる」。「人間がどんなに利己的なものと想定されうるにしても、あきらかに人間の本性の中には、何か別の原理があり、それによって、人間は他人の運不運に関心をもち、他人の幸福を--それを見る喜びの他にはなにも引き出さないにもかかわらず--自分にとって必要なものだと感じるのである。」「われわれが、他の人々の悲しみを想像することによって自分も悲しくなることがしばしばあることは明白であり、証明するのに何も挙げる必要はないであろう」。この共感と同情による幸福の追求は彼の富国論のなかの重要な命題「成員の圧倒的大部分が貧困で惨めであるような社会は、繁栄した幸福な社会ではありえない」に結実していることが発見できる。近代に入り、キリスト教のものではない世俗的な価値観が現れると、イギリスにおいては、感性的な快のもたらす満足感が幸福なのだとする発想が芽生え、これが後に功利主義につながってゆくことになった。ベンサムは、個人にとっての幸福は快が得られ苦痛が欠如した状態にある、と見なす快楽説を採用し、個々人の私的善の総和を最大幸福と見なし、「最大多数の最大幸福」の実現を社会的行為の基盤と見なした。ただし、この考え方には修正が必要だとしたのがミルである。ミルは、何が快であり苦であるかには個人差があると考え、快楽計算に質的観点を導入してみせた。ミルは「太った豚よりも痩せたソクラテスであれ」という言葉でも知られている。欲求に重点を置いた社会心理学者アブラハム・マズロー (1908年 - 1970年)の説明では、人の欲はある段階を達成すれば更なる高い段階を基準とするために「絶対的幸福というものは存在しない」などともされた。ヴィクトール・フランクルは人間が実現できる価値を3つに分類している。創造価値、体験価値の実現は一般的に言われる幸福な状態である。最後の態度価値は、困難で悲惨な環境・状況のなかでも実現できる価値であり、環境だけが人間にとっての価値ではなく、たとえどのような環境に遭遇しても、それに対する自分自身の態度のとり方にこそ価値があると捉えることで幸福を得られることを、ヴィクトール・フランクルは著書で語った。彼は、アウシュヴィッツという究極の状況下で人々が見せる様々な態度を目撃し、また、そのような状況下でも充実した生き方を見せた人に遭遇した実体験などもふまえてそれを語った。新宮秀夫は幸福とは満足、安心、豊かさなど人の願うことの中そのものにあるのではなく、それを得ようとしたり持続させようとする緊張感の中に幸福があるとする。そして幸福についての考え方を、複雑性に応じて四つの段階に分類する。数字が上の階は下より高級ということではなく、下の階の考え方を前提とすることにより成り立っているということである。幸福を欲求の充足に結びつけて考えてしまう人にとっては、欲求が満たされればそれは以前の状態に比べて幸福ということにはなるが、この欲求の正体が分からず、自分が何を求めているかが理解出来ずに焦燥感に駆られる人や、欲求に主導権を譲り渡してしまったことで、欲求が限りなく膨張しつづけそれを満たしつづけることが出来ず苦しむ人も少なくない、という。この辺りは「曲肱の楽しみ」(曲肱:肘枕で寝る事・貧しい事の例え)等の語が端的に表している通り、やはり「楽しい」「幸福である」という状態はその主観において主体的に見出す事であり、如何なる状況においても、みずからの「心のありかた」を意識的に選び取ることよって見出すことができるとされている。1980年代から幸福感に関する心理学的・精神医学的な研究が盛んになってきた。世界各地の110万人のデータを検討したマイヤースらの1996年の研究によると、2割の人が「とても幸福である」と答え、約7割の人が「かなり幸福」あるいは「それ以上」と答えていた。ある程度以上裕福な先進諸国においては、個人の経済的裕福さと幸福感との間には関連性が見られなくなる。統計学的に見て、幸福感に大きな影響を与えているのは、婚姻状況(未婚/既婚/離婚の違い)および信仰心であった(注. ここでいう「信仰心」とは主としてキリスト教の信仰のことである)。世界14ヶ国の16万人余りを対象とした国際研究では、幸福であると答えた人の率は、信仰心があつくて礼拝や儀式にもよく参加する人のほうが高かった。様々な統計的データによって明らかになったことは、幸福感の基線を決めるのは、環境の客観的な条件ではなく、個々人の内的特徴(「信仰心」や「ものの考え方」など)である、ということである。また、幸福感を持っている人に共通する内的な特徴は4つあり、その4つとは ①自分自身のことが好きであること、②主体的に生きているという感覚を持てていること、③楽観的であること、④外向的であること、であると指摘されている。また、人は価値のある活動に積極的に参加し、自身のゴールをめざして前進するときに、より多くの幸福を感じることができる。人を3つのグループに分け、それぞれのグループの各人に次のようなことを記録することを課題として与える。この実験を開始して9週間後に調べてみると、満足度が最も高かったのは、第一グループ、すなわち最近1週間のうちに感謝したことを記録しつづけたグループであった。このグループの人々は他のグループに比べて健康状態も良好である、という結果が出た。 このような手法を感謝介入法という。人を2つのグループに分け、それぞれのグループに次のようにさせた。これを親切介入法と呼ぶ。この介入の1ヶ月前と1ヵ月後の幸福感を調査したところ、誰かに親切を行い、それを記録したグループのほうが幸福感が高かった。「感謝しましょう」「ひとに親切にしましょう」といったことは、古来、多くの宗教や道徳などで説かれていることであるが、こうしたことには実は深い道理があり、感謝された側の人や親切にされた人を幸せにするだけでなく、感謝している当人や親切を行っている当人にも直接的に幸福をもたらしていることが、実証的な科学の方法でも証明されるようになってきているのである。なお、法律でも幸福は扱われている。基本的人権には幸福追求権が含まれており、法律上誰でも等しく幸福になる権利を有していると考えられている。この幸福追求権は、他人の基本的人権を侵害しない限りに於いて、国家権力によって制約される事は無い。国民総幸福量(GNH、Gross National Happiness)とは、もともとブータンの民主化を進めた元国王が掲げた、国民の幸福を政治の目的とし、政策判断に現実に活かすために、幸福の量を具体的な数値・指標として定めたものである。これが登場した背景には、先進諸国で採用されたGDPなどの経済指標が、人々の幸福に役立つどころか、むしろ反対に人々を不幸にしたり苦しめるような政策へと各政府を駆り立ててしまっている、という事実がある。国民総幸福量という考え方は世界各国で反響を生んでおり、近年では日本でも、政策の評価は全国民の幸福感を統計的に計測した指標を参考に行うべきだ、といった内容の話は主要政党内や政府内などでも出るようになっている。
出典:wikipedia