ギザの大ピラミッド(ギザのだいピラミッド、)は、ヘロドトスの歴史において、「クフ王のピラミッド」であると語られている。エジプトのギザに建設された。世界の七不思議で唯一現存する建造物である。このピラミッドはエジプト第4王朝のファラオ、クフ王の墳墓として紀元前2560年頃に20年前後かけて建築されたと考えられている。完成時の高さ146.6mは、14世紀にリンカン大聖堂が完成するまで世界で最も高い建造物であった。一般に、ピラミッドの出現は、ファラオ(王)を頂点とした中央集権国家が確立したことを示している。したがってピラミッドの建造が盛んなことは、エジプト中央集権国家としても盛期であったと言える。ギザの三大ピラミッド(ギザの大ピラミッド〈クフ王のピラミッド〉、カフラー王のピラミッド、メンカウラー王のピラミッド)が建造された時代は「エジプト古王国時代(第3-第6王朝)」であり、この時代のピラミッドは、規模・技術ともに最高水準を示すことから、当時のことは、別名で「ピラミッド時代」ともいわれる。なお、このピラミッド及びクフ王について説明したヘロドトスはこれより2000年ほど後の時代のためであることや様々な理由から、現在ではクフ王の王墓とする説に疑問が呈されることも多い。なお、ピラミッドの語源は諸説あって確定できない。語源の最も有力な説はギリシア語で三角形のパンを指すピューラミス( ピラミス、ピラムスとも)に由来する、という説である。古代エジプト語名は「メル(mer/mr)」で、「昇る」という意味。ミル、ムルとも発音し、ヒエログリフでは三角形の下に、地上を表す長方形が付いたもので表記した(下記)。クフ王が建設したギザの大ピラミッドは、ピラミッド建築の頂点とされ、最大規模を誇る。現在高さ138.74m(もとの高さ146.59m)、底辺230.37m、勾配51度50分40、容積約235.2万m³で、平均2.5tの石灰岩を約270万-280万個積み上げたと計算される。長さと高さの比は黄金比であるとする俗説があるが、実際に計算すると黄金比との相対誤算は3パーセント強であり、方位の誤算で1分程度に収まるピラミッドの建築技術に比して際立って大きい。14世紀にリンカン大聖堂の中央塔が建てられるまで世界で最も高い建築物であった。こうした規模とともに石積技術も最高水準にある。例えば、底辺の長さの誤差は20cm、方位の誤差は1分57秒-5分30秒という正確さである。王の間上部には、重量軽減の間と呼ばれる空間があり、19世紀にイギリスの軍人が発破によって発見した。最上部にはクフ王の名前が残されている。王の間と女王の間にはそれぞれ通気孔が存在する。これは「シャフト」の名で呼ばれ、部屋の温度を一定に保つためのものと考えられているが、女王の間から伸びるものだけは通気孔と見るには両端が塞がっており、また構造的にもピラミッド内を右往左往するなど妙な面が目立っていた。女王の間の通気孔とされているこの穴は何故か薄い壁で巧妙に封鎖して隠されており、これは1872年にフリーメーソン会員ウェインマン・ディクソンが発見するまで存在すら知られていなかった。さらに1993年にルドルフ・ガンテンブリングによって行われたロボット、「ウプワウト (UPWAUT)」によるシャフト調査で、女王の間から伸びているこの小さな通路だけは外部へ通じていないばかりかピラミッド内の回廊を避けて設計されており、独立した通路として別に長々と蛇行していたことが明らかになった。さらに通路入口より60mほど先に青銅の取っ手が取り付けられた厚さ6cmほどの石灰岩の扉で閉じられた部屋があることがここで判明している。その後の調査で、扉にドリルで小さな穴をあけ、そこにファイバースコープを差し込み調査の結果、扉の向こう側にひびの入った壁が確認された。エジプト考古学庁長官ザヒ・ハワス博士は、この空間がクフ王の玄室に繋がっている可能性が高いと考えている。さらに王の間のシャフトはオシリスを表すオリオン座の3つ星を、女王の間のシャフトはイシスを表すシリウスの方向を示している。これは古代エジプト人のオシリス信仰によるものであるとされている。ギザの大ピラミッドに使用された石灰岩は、ピラミッドの500メートル手前の石切り場由来とされる。すぐ近くに建設に関わった人々の街も築かれた。ナイル川の氾濫する7-9月に仕事を失った農民が集められて建設に動員され、4000人の作業員が建築に関わったとされる。以前は奴隷がピラミッドを作ったとされていたが、街には二万人以上が生活した痕跡があり、作業員は家族とともに暮らし、報酬やパン、ビールも与えられていた。切り出された石灰岩は平均2.5t程度の重量があり、300万個が使用された。これとは別に1個60tを超える花崗岩の石材が王の間に多数使用されている。建設法としては3つの説が提唱されている。ピラミッドまで緩い斜面をもつ1本の直線の通路を作り、ソリで石材を引き揚げて建築する方法。斜ピラミッドが高くなるにつれて通路も長くなり、最終的にピラミッドと同じ容積の材料が通路を作るために必要となる欠点が指摘されている。一方、ピラミッドは高い部分になるにつれ必要な石材の量は減るので、建設が進行すればするほどピラミッドより通路の設置のほうが大変になることになる。斜面の傾斜を5度とするとピラミッドの頂上を作るときには長さ1.6kmの傾斜通路が必要となり、石切り場からピラミッドから逆の方向に1km運んでから直線傾斜通路に乗せることになる。またピラミッドが完成した後に、ピラミッドと同じ体積の石材をつかって作った通路を撤去する必要がある。ピラミッドの外周に沿って、らせん状の細い傾斜通路を設けたという説。細い通路しか使用できず、通路自体によってピラミッドが隠されてしまい、建築中の測量が出来ずに稜線が曲がってしまう危険が指摘されている。フランスの建築家が提唱した説。元々は同じ建築家だった父親が、ピラミッドの中にらせん状の通路があるはずだという発想から始まっている。この説を受けて現地の調査でも内部通路がふさがれた跡が見つかったり、1986-1987年のフランスのピラミッドの重力分析によって内部に15%のらせん状の空洞の存在が示唆されていたことが改めて着目されるなど、注目を浴びている説。内部の通路の傾斜は4度、総延長は1.6kmで内部の比較的浅い場所を4-5周まわって頂上近くにまで至っていると予想されている。下1/3の建築には直線傾斜路が使用されたとされる。これは前述の60tの花崗岩などを運ぶ必要があるため、内部トンネルだけでは建築できないためである。この時に大回廊にはバラストと搭載したソリが設置され、エレベーターの原理で石材の引き上げがおこなれていた。用が済んだ直線傾斜路は解体され、その石材はピラミッドの建設に転用された。崩壊したアブグラブ神殿でも同様の内部トンネルが確かに存在したことが確認されている。
出典:wikipedia
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