都営バス(とえいバス)は、東京都が経営する公営バス。都バス(とバス)と呼ばれる。東京都交通局内にバスを担当する「自動車部」(都電・都営地下鉄と日暮里・舎人ライナーは電車部)があり、バスの輸送人員は日本一の神奈川中央交通に次いで全国2位。東京都区部 と青梅市 を主な営業エリアとする一般乗合バス事業の他、渋谷・南千住に集約配置されている観光車両(5台)、乗合用車両の転用による貸切バス事業も行っている。2002年に乗合バスの営業区域の規制がなくなり、事業者間の競争が激化した。そのため、2003年から毎年4月に、経営効率化のために一部事業所で東京都が出資する民間事業者「はとバス」への業務管理委託を行っている。また、2003年より江東・江戸川・深川の各営業所で江東区内の中学校登下校用のスクールバスの運行を受託している(年度によりうち2営業所が運行)。東京都によるバス事業は、大正13年(1924年)1月18日に東京市電気局が暫定的に乗合バス(東京市営バス)事業を開始したことに端を発する。これは、大正12年(1923年)9月1日に発生した関東大震災により、東京市が運営していた東京市電は大打撃を受け、復旧には相当な期日がかかることが見込まれたため、市電の代替輸送機関としてだった。最初に開通した路線は東京駅と渋谷駅(中渋谷)、巣鴨駅(巣鴨)と東京駅を結ぶ路線で、運行開始時はワンマン運転を採用し、停留所で切符を販売する形だった。また、当時の車体は明治初期の乗合馬車を連想させた。乗合馬車自体を「円太郎」 と呼んでいたのに因み、この乗合馬車然とした市営バスは円太郎バスと呼ばれるようになった。このように始まったバス事業は好調で、車庫の増設・車両の増備が図られることとなった。ただし、市電の復旧により利用者の減少が見られると、当初の目的が達成されたため許可期限だった1924年7月末に運行を終える方向性だった。しかし、市バス利用者が定着してきたこと、購入車両や設置した車庫などの投資、運転手などの従業員の処遇などの問題もあり、東京市会により運行が継続されることが決定した。これに伴い、運行時間や運転系統の見直しが図られることとなった。このころ、既に東京市内には東京乗合自動車が経営する乗合バスが運行しており、好成績を上げ、市電の強敵となっていた。同社のバスは青色(実際は深緑色)に塗られていたため、「青バス」と呼称され、また車掌に10代後半 - 20代後半の女性を採用したが、制服の襟が白色だったことから「白襟嬢」と呼ばれ、注目を集めていた。東京市は、これに対抗して当初ワンマン運転だった乗合バスに女性車掌を採用した。こちらは制服の襟が赤色だったことから「赤襟嬢」と呼ばれるようになる。なお、女性車掌の乗務は戦後、バスのワンマン化が進む中でも1980年代ごろまで散見された。日中戦争が始まるにつれ、物資の統制が進むようになり、燃料を手に入れることが次第に困難な状況へとなっていった。この中で、木炭車の導入をはじめとした代燃化を進めていく。昭和14年(1939年)には市電式木炭ガス発生炉を開発し、これをバス車両に取り付けていくことが進められた。また、陸上交通事業者が乱立していることが戦時体制下では非効率であると判断され、どのような形態にしていくのかが国により議論されていくこととなった。1938年には陸上交通事業調整法(陸調法)が施行され、この法律に基づく委員会により民間と東京市の対立があったものの、東京市内と周辺地域について以下のような調整案がまとまることとなった。この案をもとに、東京市は旧市内のバス事業者の統合を図った結果、1942年2月1日までに、東京市は市営バスのライバルだった「青バス」こと東京地下鉄道のバス部門、東京高速鉄道傘下の「黄バス」こと東京環状乗合自動車、城東乗合自動車、王子電気軌道の全路線、そして京王電気軌道と東京横浜電鉄のバス部門と東京地下鉄道系列だった葛飾乗合自動車のそれぞれの旧市内路線、大東京遊覧自動車を、政府による裁定指令などもあった上で買収を完了した。これで、東京市は天王洲 - 渋谷駅 - 新宿駅 - 池袋駅 - 赤羽駅 - 荒川大橋 - 千住新橋 - 小松川橋 - 今井橋に囲まれた東京中心部の乗合バス事業を独占することとなった。1942年に電力統制が敷かれたため電気事業が分離され、1943年10月1日には東京都制が施行され、東京市電気局は東京都交通局に名称を変えることとなった。戦時中は、工場への輸送などの需要をさばく必要が生じていたことと、物資の不足や空襲などによる施設、車両への被害なども相まって、運行する路線も限られたものへと縮小することとなった。第二次世界大戦後は、わずか12系統が運行されるだけとなり、浜松町・渋谷・新宿・大塚・千住・大島・堀之内・江東の8営業所と4つの分車庫が存在するのみだった。車両も木炭車を中心とした代燃車両が用いられていたが、満足に走ることのできる車両は多くなかった。このような中で、米軍から余剰のトラックやトレーラーが日本国内のバス事業者に払い下げられた。東京都交通局には約400台が割り当てられ、復興に大きく貢献する。このような戦災復興中の1947年には、現在ではほとんど運行されなくなった民営バス会社との相互直通乗り入れが始まる。これは陸調法の関係や営業権の問題も絡み、なかなか進まなかったが、GHQによる勧奨もあり、推進されることとなった。1948年には、休止中だった遊覧バス事業を新日本観光(現・はとバス)へ譲渡した。しかし、バスによる観光客の増加が見込まれたため、1953年に新たに免許を申請することとなり、1954年には観光バス事業を再開した。1952年、地方公営企業法の適用を受ける。この後は乗客の増加などもあり経営的には順調だったが、1961年度以降は赤字基調となり、度重なる運賃の値上げによっても解消することは出来なかった。その中で、経営改善を行うために路線の再編やワンマンバス化などが行われることとなった。さらに、モータリゼーションの進行とともに、都内でも郊外からの交通需要の増加などにより、慢性的な渋滞が都心部で発生するようになった。この影響もあいまって都電は現在の荒川線を残し、1963年から1972年にかけて次々に廃止され、無軌条電車(通称トロリーバス)も廃止された。これらの多くは代替輸送路線として都営バス路線が設定され、37系統が設定された。この都電代替路線の多くは、現行の都営バスの基幹となっている。また、前述のように東京都交通局の財政状況は芳しくなく、第二次再建計画(昭和50年代前半)、第三次再建計画(昭和50年代後半)が提示されることとなり、バス事業においても不採算路線の廃止・短縮などの再編が行われることとなった。同時に、都営新宿線などの新線開業に伴う再編も行われた。一方、青梅地区でのバス事業は1949年に始まった。当時、青梅地区は西東京バスと西武バスで運行が行われており、成木地区への路線が開設された以外は、この二者による独占体制だった。しかし、青梅市の山間部で人口減少が進み、1975年には一部を除き西武バスが撤退することとなった。このため、青梅市は東京都交通局に要請、 "成木住民の足" を考慮して引き継ぐこととなり、青梅地区の路線は一部を除きほぼ現在の形へとなった。一方で、バス事業のサービスの改善も行われることとなり、1979年には深川・練馬・葛西・早稲田の4営業所において冷暖房車の運用を開始した。全営業所で冷暖房車が投入されるようになるのは1980年で、当初は1営業所につき2台、全車が冷暖房車となるのはさらに時代の下った1990年だった。1981年には行先方向幕を大型化した冷暖房車が210台投入され、都電廃止時に大量投入された1968年 - 1969年に投入された車両が置き換えられた。なお、これら投入された冷暖房車はイエローベースに赤ラインの「スズキカラー」となっていたが、利用者や都民からの評判は悪く、4つの車体塗色の変更案を出し、結果1982年にアイボリーをベースに緑色のラインを入れた「ナックルライン」と呼ばれる新塗色へ変更することとなった。319台が投入され、1983年までに初期車を置き換えた。「6年で全車置き換える予定」といわれており、その通り1988年に最後の美濃部色車(葛西のZ代)廃車で全車ナックルラインになった。塗装変更に当たっては「都バス色彩懇談会」を設置し、中には岡本太郎もいた。自身は濃い緑に赤やクリームの模様を入れた塗装を考えて、特別出品車として実際に披露されたこともある 。上記のようにサービスの改善は行われていたものの、再建計画や路線再編が何度も存在したことから分かる通り、バス乗客数はモータリゼーションに伴う道路渋滞の悪化、定時制の喪失など様々な要因が重なり、利用客が減少していった。これらを改善する方策の一つとして1984年に都市新バスの運行を旧・橋89(渋谷駅 - 新橋駅)で開始することとなった(愛称は「グリーンシャトル」、系統番号は都01)。この路線は成功を収め、都市新バス化の前後で利用客の増加やバスに対する信頼性を回復した。この都市新バスはその後も設定が行われ、2010年現在では都営バスとして8系統(都01 - 08)が設定されている。また、2000年からは増収対策の一環として車体に広告を貼り付けるラッピングバスが登場した。このような様々な方策により利用客の減少をつなぎとめようと試みてきた。しかし、大幅な路線の廃止を伴う路線再編が地下鉄の延伸の機会に多く行われて来た。半蔵門線・南北線の延長や都営大江戸線・りんかい線の全線開業、日暮里・舎人ライナーの開業に伴うものが代表的な例である。これにより多くの路線が廃止・減便されるとともに、地下鉄とバス並行の区間などで利用客が落ち込むこととなり、バス事業の利用者は減少を続けることとなった。それに対抗するため、都営バスでは「アクセスラインバス(AL01、豊洲01)」「ダイレクトバス(直行01)」「ラピッドバス(かつて、ラピッドバス(『急行』と系統名につくもの)は多かったが、2015年4月現在は急行05と急行06のみになっている)」「フレキシブルバス(FL01)」といった新しいタイプのバス路線を運行することになった。2013年4月16日、猪瀬直樹都知事(当時)は、都営バスの24時間運行を行う方針を明らかにした。2013年12月21日(20日の深夜)から都01系統において片道1時間1本程度での運行を始め、1年程度様子を見て問題がなければ都心部で24時間営業の路線を広げていくとしていた。乗車料金は深夜バスと同運賃。安全確保のために警備員1名が同乗する。しかし、終夜バスの試験運行は、乗客数低迷により2014年11月1日未明(10月31日の深夜)をもって終了となった。2015年4月現在、都営バスでは以下の11営業所と7支所の体制で営業している。各営業所と支所には所属車両の識別などのためにアルファベットの略記号が設けられている。記号は制定当時、品川を基点に時計回りの順番に付与されたが、その後の統合・廃合や移転などにより、その順番はバラバラになっている。※印のあるものに関しては、はとバスに管理委託された事業所を表す。都営バスでは、路線網の縮小や運行エリアの変化に伴い、営業所の統合および廃止が幾度か行われており、特にバスの利用者数が減少に転じた後の1980年代、そして地下鉄網が完備されつつある2000年代に集中して実施されている。1980年代の事例として、まず1980年4月に滝野川営業所(記号:N)および同所管轄下の昭和町分車庫が北営業所に移転統合された。また、1982年3月には志村営業所(記号:Y)が廃止され、同所の受け持ち路線は王78を除き北営業所に吸収された(王78は杉並営業所に移管)。1985年には新宿営業所八王子支所(記号:X)は唯一の所管であった立73系統(八王子駅 - 立川駅)が自治体からの補助金の計上停止に伴い廃止され、特定輸送のための分駐所となったが、これも同年度末に移管されて廃止された。1987年には船堀にあった旧・江戸川営業所(記号:R)および同今井支所(記号:U)が廃止され、臨海町に新設された臨海営業所(記号:R)に統合された。1997年12月19日の地下鉄12号線新宿延伸時には練馬営業所が支所に降格し、2000年12月12日の同路線の全線開業時の再編では杉並・新宿・目黒の各営業所が支所に降格した。その際にAL02(現・豊洲01)・直行01・急行01 - 05(現在急行01 - 04は廃止)・FL01の各系統の新設や黒10・田70・秋76・水59・東17・茶81・四92の各系統の廃止、都03・橋86・草28(→両28)・茶51の各系統の経路の短縮などを行った。その後、2003年4月に目黒支所(記号:M)を品川営業所の分駐所とし、杉並支所をはとバスへ管理委託された。2004年4月には葛西営業所が江戸川営業所に改称され、臨海営業所は同所の支所になるとともにはとバスへの管理委託となった。この一連のはとバスへの管理委託の際に大規模な路線の所管換えが行われた(詳細は各営業所記事を参照)。また、2005年3月には目黒分駐所が廃止となり、目黒の路線は品川に、車両はほぼ全車両港南支所に転属した。2006年4月には新宿支所が新宿分駐所になり、青戸支所がはとバスへの管理委託となった(錦37系統を除く。なお同路線のために同支所内に南千住営業所青戸分駐所を新設したが、2008年4月からはとバス管理委託系統になったのに伴い、青戸支所に移管・統合された)。2008年4月には大塚営業所が支所に降格し、港南支所がはとバスへの管理委託となった。2009年4月に新宿分駐所がはとバスへの管理委託に伴い再び新宿支所になった。2015年3月大塚支所が閉所となり、都02系統と上60系統が母体である巣鴨営業所に吸収、巣鴨管轄の都02乙系統が小滝橋営業所に移管となった。2001年6月29日、台東区からの委託を受けてコミュニティバス「めぐりん」の運行を開始した。南千住の所管で、現・北めぐりんの経路を運行していたが、2004年4月1日に日立自動車交通へ移管した。2005年11月1日からは江東区からの委託を受けて「しおかぜ」の運行を開始した。深川の所管で、辰巳・潮見・枝川地区を走っている。系統番号は「江東01」である。2008年4月26日より、東京駅丸の内北口から日本橋・秋葉原・上野・浅草経由で錦糸町駅に至る、下町地域の観光地訪問客に対応した路線バス「東京→夢の下町」を都営バス南千住営業所の管轄で運行している(2012年3月20日から全便が両国駅発着から錦糸町駅発着に変更。また東京駅発着は土休日の一部便のみで、他は上野松坂屋発着)。当路線の専用車両は、現有一般車両(2003年式日野・レインボーHR)の内外装を改造したもので、新造車両ではない。運行開始に先立ち、2008年4月24日に行われた記者会見では、萩本欽一・浅香光代・デーモン小暮閣下をゲストに迎えた。東京ビッグサイトでのイベント、国立劇場での公演、江戸川競艇場でのレース、東京湾大華火祭開催時などのイベント時に周辺主要駅と会場間に臨時で運行される路線。東京ビッグサイトへの臨時路線。おもに深川・品川が担当し、大規模イベント開催時には国展01・02系統は深川営業所を主軸として全営業所(青梅およびはとバス委託の支所を除く)から車両を拠出して運行される。その他系統は国展04が品川担当、臨時急行は深川が担当する。国展03系統は、2013年3月31日に虹01系統が廃止された影響を受け、ケイエム観光バスへ移譲された。最も運行される機会が多いのが国展01系統である。かつて東京駅 - 晴海会場間に運行されていた臨時バスの流れを汲む路線で、晴海会場の閉鎖に伴いその代替施設として誕生した東京ビッグサイトで開催されるイベント来場客のピストン輸送を主任務とする。開催イベントなどの規模や動員数、時間帯などの要因により不定であるが、お盆(夏コミ)と年末(冬コミ)のコミックマーケット期間中、春と秋のギフトショー期間中はほぼ確実に運行される。また、2009年8月29日 - 30日にかけて行われた24時間テレビでも運行された。イベントによっては主催者が運賃を支払うため貸切扱いとして来場者は無料で利用できる場合があり、前出のギフトショーや2013年の東京モーターショー、毎年12月のエコプロダクツ展で見られる。貸切扱いの場合は東京駅丸の内北口から発着することが多い。イベント開催時を中心時に運行されるため、イベントの規模・動員数や時間帯によって起終点の乗り場が変更される ほか、運行経路も佃大橋・豊洲経由(東京駅八重洲口 - 新月島公園前の手前までは路線バスが通らない経路で佃大橋を渡る)を通るが、道路の混雑状況などにより東16系統の経路(中央大橋経由)や、晴海会場時代の経路である勝鬨橋・銀座経由に変更されるなど、臨機応変の運行形態となる場合が見受けられる。急行扱いとなるため、停車停留所は豊洲駅(復路・乗車不可)だけだが、通過する場合がある。なお、同区間を走る鉄道としてゆりかもめが存在するが、2006年3月27日に有明 - 豊洲が開業したため、豊洲とビッグサイトが鉄道で結ばれるようになった。系統番号はLED表示器の場合は表示されるが、方向幕は側面にのみ掲示される場合が多く、前面方向幕は起点 - 終点表示だけの場合が多い(一部営業所には「急行」の表示がある)。また、「都営バス」「貸切」表示での運行もこの系統に含まれる場合があるようである。2002年12月1日のりんかい線全通に伴い、定時速達性に優れた同路線への相当数の利用客流出が見込まれたため、同月のコミックマーケット関連臨時運行から運行本数の見直しが行われ、小規模のイベントの場合は運行されない事が多くなったようだが、東京駅直結の抜群の利便性や、他の交通機関と比べて格安な運賃などの要因から、需要は依然として確実に存在している。なお、ビッグサイト周辺道路の整備に伴い、東駐車場に入る臨時バスは運行休止中である。門前仲町行きの臨時急行便は隠れた存在で運行される機会は少ないものの、運行されれば東西線・大江戸線で帰宅する利用者で混雑する。その後、2006年春に晴海 - 豊洲埠頭 - 有明を結ぶ道路が開通し、国展系統もこの道路を利用した新たな系統番号(国展07・08系統)が登場した。現在東京駅系統はこちらがメインとなる。2007年2月18日の東京マラソンでは、観客・参加者の帰宅時にビッグサイト発が運行されたが、これらは、東京駅行き経路が交通規制エリア内に入るため、品川駅行きの臨時急行として運行された。。レインボーブリッジを経由するルートで、方向幕は「都営バス」もしくは白幕で、フロントガラスに行先が記載されていた。国立劇場での公演終了後に1回運行されているが、公演の規模により運行台数が異なり、一部の系統が運行されないこともある。運賃は通常路線と同じで、劇04系統は廃止された茶81系統の経路を使用するため、廃止後もバス停が「降車専用」として使用されている。方向幕は前面が「劇場バス」(側後面は通常路線と同じ)で、LED表示器の場合は小さく行先が表示される。以前は側面も方向幕に「劇場バス」と表示された時期もあった。なお、これらの系統はほとんど地下鉄と並走し、かつ地下鉄の方が運賃が安いため、。かつては帝国劇場や明治座などからのバスも運行していた。艇10・艇11系統は競艇開催時は随時運行されるが、その他は最終レース後の片道のみ運行される。すべて無料で乗車できるが、江戸川競艇場行きは途中バス停では乗車のみ扱い、逆に競艇場発は降車のみである。なお、宇喜田は通常の新小21系統が使用するバス停ではなく臨海22系統の自然動物園前に停車する。また、西小松川町停留所は小松川大橋付近にある競艇系統専用の停留所で、「みんくるガイド」(路線図)にも掲載されていなかった。なお、西小松川町停留場は2012年3月31日で廃止された。晴海埠頭にあった晴海見本市会場への輸送のため、東京ビッグサイト開業までの1996年まで運行された。その後は東京湾大華火祭開催時に運行されている。ただし、大江戸線やゆりかもめの開通により晴04系統のみが運行され、その運行回数も非常に少ない。東京駅からは都05系統の臨時便が運行されるパターンが主流となりつつあるが、最近では同路線の増車も減り、完全に地下鉄・ゆりかもめにシフトしている。2006年の東京湾大華火祭では、豊洲駅発着便は系統番号を「晴02」として運行されたため、。2012年より、新たに晴海会場と東京駅八重洲口を結ぶ路線として晴05系統が追加された。臨01系統は江戸川区中葛西7丁目の総合レクリエーション公園内にあった江戸川プールガーデンへの路線で、1985年から毎年夏季に運行されてきた。しかし、新小30(現・新小29-2)系統の開通以降運行されておらず、長期休止中の扱いである。運行当時は臨海営業所の所轄だったが、現在の臨海支所は臨時路線の免許を取得していないため、仮に臨01系統が復活すれば江戸川営業所の運行になるが、江戸川プールガーデンは2013年6月をもって廃止、西葛西テニスコートに一本化されている。臨03系統は隅田川花火大会開催時に運行され、臨05系統は晴04系統と同じく東京湾大華火祭開催時に運行される(臨05系統は2007年以降運転なし)。臨06・臨07系統は東京スカイツリー開業後の多客対応のために2012年5月22日より土休日限定で運行開始した(ただし、5月27日までは終日運行)。2012年7月29日をもって運行を終了した。都営バスでは、いすゞ自動車、日野自動車、UDトラックス(旧・日産ディーゼル工業)、三菱ふそうトラック・バスの4社によって製造または販売された車両が導入されており、使用する車両を入札制度によって調達する公営企業である性格上、特定企業および製品の宣伝とならないよう、メーカーロゴや車名表記はステアリングホイールや製造銘板などを除き、すべて省略されている。従来は営業所毎に指定車が次のように決められていた。また、ボディについてもいすゞ車は巣鴨と深川が富士重工業製、それ以外は川崎重工業→いすゞバス製造(現・ジェイ・バス宇都宮事業所)製を指定とし、三菱ふそう車も千住・南千住・青戸には三菱自動車工業名古屋製作所大江工場製、渋谷・早稲田には新呉羽自動車工業(現・三菱ふそうバス製造)製が配置されていた。近年ではノンステップ車の導入や入札制度、三菱ふそうリコール隠しによる指名停止処分、UDトラックスのバス製造販売からの撤退などにより近年では指定車種の原則が崩れており、現在では全メーカーを保有している営業所・支所が過半数を占め、逆に全メーカーを保有していない営業所・支所は2016年5月現在で港南、新宿、杉並、青梅のわずか4ヶ所だけとなっている。また、リフト車・RH01専用車以外のホイールベースはすべて短尺(三菱は-K、いすゞは-Lなど)である。側窓は2003年度(L代)車では最後部以外が固定窓になったが、翌2004年度(M代)車からは逆T字窓に戻された。1998年度(E代)車のうち、江東に配置されたUD製の都市新バス仕様車は一度完成して1999年2月に納入されたが、逆T字窓とするべきところを2段窓で製造され、発注内容と異なるためにメーカーに戻され、改めて製造のうえ納車が1999年5月~6月まで遅れたという経緯がある。一般路線車両のカラーリングは、戦後に採用されたカラーを初代として、2代目は都電を基調としたキャピタルクリーム。1968年に採用された3代目は、水色とクリーム色を基調としたツートンカラーで、採用当時の都知事である美濃部亮吉にちなみ「美濃部カラー」と呼ばれた。1980年には、冷房車であることを示す色として4代目となる黄色と赤のツートンカラーが採用され、同じく採用当時の都知事である鈴木俊一にちなみ「鈴木カラー」と呼ばれたが、あまりにも派手すぎたため、1982年に5代目となる「ナックルライン」へと変更された。現在のノンステップバス専用カラーは事実上の6代目となる。スケルトン化後都市新バス用は全メーカー、一般用は三菱ふそう車と日野車はフィンガーシフト化された。いすゞ車と日産ディーゼル車の一般用は後部標識灯の大型化と同時にフィンガーシフト化された。車両の低床化には平成の初期から取り組み、1990年度に最初の超低床バスであるスロープ付バス「都市型超低床バス」が8両導入され、新宿営業所(現・新宿支所)を始めとする5営業所に配置された。1991年には前年度のスロープに代えてリフトを搭載した「リフト付超低床バス」が導入され、1995年度まで続いた。2009年2月に全廃。1996年度末に新宿にノンステップバス2台が試験配属される一方、1994年度から試験的に使用し、床面の高さを従来の850mmから650mmにして低床化を図った「らくらくステップバス」にリフトを追加した「リフト付新低床バス」も導入されたが、1997年以降のノンステップバス導入でこの1回限りに終わる。だが、リフトなしの「らくらくステップバス」は1994年度にいすゞ製のリーフサス車が巣鴨に配置されたのが最初で、翌1995年度以降はエアサスのニーリング機構付きへと発展し(中型車はリーフサス、ニーリング機構無し)、1998年まで継続投入された。1997年度以降はノンステップバスが投入され、ツーステップ一般車は1998年度分として1999年6月投入のいすゞとUDのCNGバスと日野・HIMRが最後となった。1999年度からはすべてノンステップバスに統一され、2013年4月1日をもって全車両のノンステップバス化が達成された。2001年度 - 2003年度に関しては日野・三菱ふそう・UD製の中型ベースのロング車を投入した。これは当初らくらくステップバスも合わせた形で車両計画を立てていたが、障害者団体の反対を受けたため、急遽全車両をノンステップバスとすることとなった予算的な制約の面も大きかった。しかし、中型ベースでホイールベースをストレッチして大型車として導入したことにより、積み残し、パワー不足、乗り心地の悪さなどの問題が発生したことや、中型車クラスで乗客を輸送できる路線が少なくなって来た影響もあり、2004年度以降は基本的に大型車の導入へと変更され、中型ロング車は杉並や臨海、港南などのはとバス委託支所や青梅支所への転出が相次いだ。例外は2008年度に青梅支所へと導入された中型車7台(いすゞ・エルガミオ。後に品川へ全車転出)のみ。また、入札制度の導入およびコスト削減のため1メーカーから1車種を大量購入するようになった。詳しくは下記に記載する。都営バスは、かなり早い時期から低公害車の導入に積極的で、最初に投入された低公害車は1972年11月から1978年3月まで試験走行した「電気バス」である。いわゆる「自家発電」をしながらバッテリーも併用して走行するディーゼル・エレクトリックとシリーズハイブリッドの中間型だったが、試験終了後に他の低公害車が投入されることはなかった。その後、都営バスにおける低公害化は1991年に杉並へ試験導入された日野自動車製ハイブリッドバス「HIMR」まで待つ事となる。1992年以降は日野以外にも、いすゞ自動車「CHASSE」や三菱ふそう「MBECS」、日産ディーゼル「ERIP」といった蓄圧式ハイブリッドバスなどを数多く導入した。この他、UDといすゞのCNGバスを1994年に南千住と深川に初導入し、1995年に臨海、1996年度に北に増備、後年にはノンステップバスとして深川・北、そして新宿にも、さらには転属により小滝橋にも投入された。CNGバスは前記2メーカーに加え、1998年度から1999年度にかけて三菱ふそうと日野が加わった。燃料充填は深川・臨海・北はそれぞれの車庫に設置された天然ガス充填設備で、新宿と小滝橋の所属車は新宿の都庁天然ガススタンドで実施されていた。当初南千住に配置されたUD製CNGバスは東京ガス千住充填所で燃料を充填していたが、同充填所が休業となる日曜や祝日に運行できないなどの制約があることから、ごく短期間で充填設備のある深川に転属している。その他、低年式車(旧型車)の低公害化対策として、燃料をLPG併用に改造した車両も存在し、4車種5台が品川(日野)・小滝橋(いすゞ)・練馬(UD)・青戸(三菱ふそう)に配置されていた。2000年には、港南でS-50相当の低硫黄軽油が導入され、あわせて連続再生式DPFの実証実験が行われた。2003年には、深川に燃料電池バス(FCHV-BUS)を配属させ、海01・東16の両系統で試験運行したことが話題となった。2004年度(M代)投入車は、リコール隠し問題などの相次ぐ不祥事の影響から三菱ふそう車の購入が中止され、また新しい排出ガス規制車が出ておらず代替対象車が少ないUD車も導入されず、ジェイ・バス製2メーカー3車種(いすゞ・エルガディーゼル車とCNG車および日野・ブルーリボンII)のみの導入となった。2005年度(N代)前期投入車 は、音声合成の種類で車種を決めている。クラリオン製を使用している営業所・支所は日野・ブルーリボンII、レシップ製を採用している営業所・支所はいすゞ・エルガをそれぞれ配属させた。M・N代のいずれの車種も平成16年排出ガス規制(PJ-代、新短期規制)に適合している。後期にはUD車を指定とする北・練馬・江東に限り、尿素SCRシステムを搭載したUD製のスペースランナーRAが導入されたほか、深川にもいすゞ・エルガCNGノンステップバスが導入された。これ以降導入される車両は、平成17年排出ガス規制(新長期規制)に適合している。2006年度(P代)はUD・スペースランナーRAが、UD指定の北・練馬・江東に加えてUDを指定としない品川・渋谷・大塚・南千住・巣鴨・深川・江戸川・青梅にも配属された。CNGノンステップ車も導入されるが、これは2003年度以来の三菱ふそう・エアロスターで、北・臨海・深川に配属されたが、北投入分は2011年に臨海に転属し、その後全車が臨海に集結している。2007年度(R代)は日野・ブルーリボンIIを導入。平成27年燃費基準に適合したモデルで、ヘッドランプの形状が2005年度前期投入車と異なる。長らくUD車指定だった江東・北・練馬のほか、M代以降新車の配置がなかった小滝橋や久々の日野大型車となる青梅にも配属され、特に小滝橋は4年ぶりに新車が配属されるとともに、同所初のLED式行先表示器を装備した車両となり、練馬とともに初の日野車配置になった青戸などにも投入された。同年度にはさらに、日野・ブルーリボンシティハイブリッドを5台導入、渋谷営業所の2台では世界初となる第2世代バイオディーゼル燃料(BHD)を配合した軽油の実証実験も行われた。2008年度(S代)は2006年度と同じUD車の導入で、これもUD指定でない小滝橋・千住・早稲田(2009年に深川から転入)などにも配属された。これらは後のUDトラックスのバス事業撤退発表により最後のUD車となった。また、一部の営業所には日野・ブルーリボンシティハイブリッドを配属させ、青梅には中型車の代替で都営バス初となるいすゞ・エルガミオが配属された。2009年度(T代)は販売会社の入札の関係上いすゞ・エルガが導入され、長らく新車・転属車を含めて日野車しか配属されなかった杉並(その後練馬へ転出)をはじめ、28年ぶりのいすゞ製新車として北にも配属された。同年度には非接触給電装置を搭載したIPTハイブリッド車の実証運行が深川営業所で行われ、2011年にも実施された。2010年度(V代)は三菱ふそう・エアロスター(LKG-MP37FK)が導入され、三菱ふそう車は2006年以来4年ぶり、CNGを除くとL代以来7年ぶり。三菱ふそう車の配置がこれまでなかった品川・江東・杉並・練馬・小滝橋などにも配置された。また小滝橋営業所でGTLの実証実験が行われた。2011年度(W代)も三菱ふそう・エアロスターが導入。これも三菱ふそうと縁のない品川・港南・小滝橋・杉並・江東などにも導入された。また、この年度は、青梅に所属していたエルガミオを築地市場循環(市01)に防水・前乗り改造を施したうえ転用し、その穴埋めで各地の中型ロング車(日野・HR)を青梅に代替転入するという大規模な車両の動きもあった。これらHRのうち4台は2015年に臨海へと転出している。2012年度(X代)は3年ぶりにいすゞ・エルガ(QPG-LV234L3) が導入され、その後にエルガハイブリッド(QQG-LV234L3)が深川・品川・南千住に配置されたが、品川投入分は2014年9月に臨海へ、南千住投入分も2016年3月に新宿へ転出している。2013年度(Y代)は2年ぶりに三菱ふそう・エアロスター(QKG-MP37FK)が導入された。この2年間は、置き換え車輌が少なかったことが原因で導入台数は20台に留まり、深川を中心に品川・早稲田・江戸川に配置された。2014年度(Z代)は2年ぶりにいすゞ・エルガ(QPG-LV234L3) が導入された。3年ぶりの増量発注で60台導入された。このうちのG(→P)-Z512は、2015年3月の廃止を控えた大塚支所で最後の新車となった。2015年度(A代)はいすゞが落札。いすゞ・エルガ(QPG-LV234L3) を導入、初のいすゞ大型車となる青梅を含めたすべての営業所・支所に配置され、とくに杉並投入分は2015年11月に交付が開始されたご当地ナンバーの杉並ナンバーとなった。都営バスでは、2001年度導入のH代のうち新宿支所と北営業所の2台ずつ4台にLED式の行先表示が試験採用された。新宿所属車はレシップ製、北所属車はオージ製のものが取り付けられた。その後渋谷営業所のL代(2003年度)RH01系統専用車にもオージ製のものが採用され、2004年度のM代から本格採用となった。これは都営バスの方向幕ユニットを製造していた羽深製作所が方向幕ユニットの製造を中止したことと、蛍光灯の交換や駆動部分の点検が不要となり、メンテナンスコストが廉価になるというメリットによるものとされている。その後K・L代の全車と、H代のうち路線の多い品川・江戸川・深川および杉並・青梅などの所属車もLED式に改造され、2016年2月現在で幕の車は渋谷・早稲田・北・千住・南千住・青戸に在籍するH代の三菱ふそう・エアロスターだけとなっている。LED車が増えるにつれ、以降新設や移管される路線にはLED車限定(方向幕の整備はされない)となる路線が増加している。小滝橋のCH01・都02乙系統、北の里48系統、港南の田92・浜95系統、巣鴨の都02・上60系統などがこれにあたる。都営バスではこれまで、排出ガス規制などで廃車となった車両を資源の有効活用という観点から地方の事業者に売却・譲渡していた。しかし、石原慎太郎知事(当時)が地方の環境問題についての指摘を受けたことが発端で環境対策を抜本的に改革すべきとの意見が高まったほか、同時期に黒煙低減装置の性能偽装が発覚したため、2005年度より売却を取り止め、原則15条抹消となった。なお人道的支援においては例外とされ、実際にスマトラ沖地震による津波の被害でスリランカ国民の足であるバスが被災したため、スリランカ政府の要請もあり、177両の車両が無償譲渡された例がある。また、G代の特定車はまだ運用できる事を見込み、日立自動車交通へ売却された。他にスクールバスは運用が教育・福祉目的であることや特注車両であることから、購入年度の新しい数台は地方の事業者に譲渡されている。また例外として、いわゆる80条バスである大田原市営バスへ、グリーンライナーとして使用されていたB代のキュービックが譲渡されていた。一般路線車は現在の排ガス規制適応車になったことから2008年度より地方事業者への譲渡を再び開始した。この時に譲渡されたバスは鹿児島交通などが該当、同社には三菱ふそう・MBECSIIなどが移籍した。ただし、純粋なディーゼル車は「排気ガス排出低減装置をつける」という条件を掲示していた。一方、この件に対して中古バス市場では車両価格が急騰される事態となったこととともに、これまで老朽化された旧型車両を置き換える目的に整備状態の良い都営バスの中古車を購入し続けて来た地方の一般路線バス事業者からはまだ使える車両が購入できなくなるなどの問題が起きていた。2011年3月11日に東日本大震災が発生し、被災地の宮城交通と岩手県交通ではバスが津波に流されるなどの被害を受けた。東京都では被災地支援のために2011年度に廃車予定の車両のうち62台を無償で譲渡することとなった。内訳は宮城交通 に約30台、岩手県交通に約20台の予定。その第一弾として、2011年6月22日、2台が宮城交通と岩手県交通へ譲渡のために都庁で出発式を行った。被災地では、車両被災に伴う台数の不足や鉄道不通による代替輸送などでバスが必要となり、改めて譲渡を呼びかけている。また、2012年8月30日には、北海道夕張市からの支援要請に応え、大型ノンステップバスを1両譲渡する旨の協定を締結、今後(9月18日以降)車両の引き渡しが行われる予定となっている。さらに、石原知事の辞任後、都議会の平成25年予算特別委員会で、今後廃車する車両がすべて排出ガス規制に適合することから、基本的に中古車両として売却し有効活用を図るとしている。都営バスでは、車両の識別のため、「局番」と呼ばれる以下のような車両番号が車体側面に表記されている。最初の英字は前述した営業所の記号であり、上記例3ではBで渋谷営業所、例2ではSで深川営業所となる。ハイフン以降後のアルファベットは導入年度、3桁の数字のうち百の位はその車の区分を示し、1 - 7は一般車(中型ロング車を含む)、0は貸切車とコミュニティバス、8は中型車、9は特殊車(スクールバス)に割り当てられる。十の位と一の位は通し番号となっているが、42・49は忌み番として使われない(ただし、A414(3代)・C101(3代)など欠番もある)。貸切車は番号の後の営業所表記は省略される。A:1957、1974、、B:1958、1974、C:1959、1975、D:1960、1976、E:1961、1977、F:1962、1978、G:1963、1979(昭和54年6月投入分)/(昭和55年2月投入分)、H:1964、、K:1965、、L:1966、、M:1966、(昭和58年7月分)/(昭和59年2月投入分)、N:1967、、(いすゞ・日野)/(UDトラックス)P:1967、、R:1968、、S:1968、、T:1969、、V:1969、、W:1970、、X:1971、、Y:1971、、Z:1972、、都営バスの車内放送は当初テープにより実施されていたが、音声合成装置は1996年に千住・巣鴨・青梅で導入されたのが最初で、その後は1998年3月までに全営業所・支所での導入が完了した。渋谷・杉並・千住・南千住・江東・北・巣鴨・臨海・深川・青梅・港南にはクラリオン製、品川・新宿・小滝橋・大塚・早稲田・江戸川・青戸にはレシップ(S-light)製の音声合成装置が搭載されていた。しかし、2006年にレシップ製全所とクラリオン製のうち旧型を搭載していた千住・巣鴨・青梅がネプチューン(現レゾナント・システムズ)製のFC-7000型装置に交換、残るクラリオン製(CA-2000B型)も2007年内にレゾナント・システムズ製のFC-7000に交換され、現在は全車FC-7000型に統一された。2009年4月1日からJR線乗換駅での言い回しが「JR線ご利用の方はお乗換です」となった。2012年度より東京スカイツリー開業などによる大規模な改変が実施されたことに伴い車内放送の音声が変更された。それにより、大塚のみ残っていた「次〜止まります・・・」「発車します おつかま〜りください」の放送がなくなり、深川・練馬を除く全営業所で「次 止まります 危険ですので停車してからお立ちください」となった。ただし、深川・練馬では「バスが完全に止まるまでそのままおまちください」となっている。その後、2015年6月から10月にかけて練馬と深川を含めたすべての営業所・支所で「次 止まります。バスが止まるまでそのままおまちください」に変更されている。2008年6月に反96系統、同年7月には都01折返系統で六本木けやき坂停留所に限りテレビ朝日上宮菜々子アナウンサーの音声が収録されている。また人気アニメとのタイアップキャンペーン期間中に限りキャラクターによる車内マナー啓発放送が実施され、過去には「BLEACH」や「NARUTO」などのキャラクターによる車内マナー啓発放送が実施されたことがある。また、2013年4月14日〜10月14日までの半年間限定で、海01系統でフジテレビ前停留所に限りフジテレビと超潜入!リアルスコープハイパー協力の下限定車内放送を実施した。さらに2006年2月1日〜2月28日までの限定で、「新宿ルミネtheよしもと」とのタイアップで吉本興業所属のタレントによる車内マナー啓発放送を実施していた。都営バスの次停留所表示機は1984年に都市新バスの都01で採用されたのが最初で、1989年頃からは一般車でも都市新バスと同じものが採用されるようになった。その後は1998年から2000年にかけて新しいLED2段タイプのものに交換され、品川・渋谷・杉並・大塚・南千住・北・臨海・深川・早稲田・江戸川(←葛西)・青梅・青戸にはクラリオン製、新宿・小滝橋・練馬・千住・江東・巣鴨・港南(←目黒)にはレシップ(S-light)製の次停留所表示機が搭載された。東京→夢の下町の専用車はレゾナント・システムズ製のLCD2画面の次停留所表示機が採用され、その後渋谷および乗降方式が異なる青梅の車両でも先行導入された。2015年度以降すべての営業所・支所でレシップ製のLCDが導入されることとなり、2016年2月現在では品川・渋谷・新宿・臨海・深川・江戸川・港南・青梅および東京→夢の下町専用車がLCD化されている。都区内と多摩地域で運賃体系が異なる。東京都交通局が1月18日に制定した記念日である。1924年(大正3年)1月18日に東京市が運営していた東京市営乗合バスが東京駅への路線バスを2系統で営業を開始した日となる。前記したが、使用されたバスはT型フォードの11人乗りで「円太郎」の愛称で親しまれ、現行の都営バスのバスカードのデザインにも使われている。2007年に、東京の2016年夏季オリンピック開催地への立候補が決定した。これをPRする目的で、同年10月からオリンピック関連のラッピングを施されたバスが運行を開始した。白地に各競技選手の写真入りで「オリンピックを東京に、2016年!」(12月の追加分では「日本」に変更)とのメッセージが表記されたものだった。2008年に赤・青・緑・黄の各色で「日本だからできる、新しいオリンピック!」と表記された車両が運行を開始、既存の白地の車両はラッピング解除、あるいは現行のラッピングへ移行された。2009年10月2日に2016年夏季オリンピックの開催地はブラジル・リオデジャネイロに決定し、東京は落選した。翌日以降全ラッピングは解除となった。2011年に、東京の2020年夏季オリンピック開催地への立候補が決定した。2013年9月7日に2020年夏季オリンピックの開催地は東京に決定したため、ラッピングは一部の車両で継続されている。和田秀樹の著書 によると、都バスの職員は地方公務員であることから民間会社のバスの運転手に比べて高い賃金体系となっているとされ、一例として42歳時点の平均年収は615万円(民間の場合600万円)、退職金は1,500 - 1,850万円となる事例が挙げられている。また、年功序列賃金体系のため定年間際になると年収1,000万円になるという。これらの賃金の原資は本業のバス事業が赤字であるが歴史的経緯で東京電力の株式配当による補填でまかなっていると言われている。
出典:wikipedia
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