デ・ロイテル(Hr. Ms. De Ruyter)は、オランダ海軍の軽巡洋艦で同型艦はない。艦名は英蘭戦争の英雄ミヒール・デ・ロイテル提督に因む。本艦は「ジャワ級」(Java Class)に引き続いて建造され、第二次世界大戦前に東インド植民地艦隊の旗艦となる。太平洋戦争初期、東南アジアで日本軍と戦い1942年2月28日スラバヤ沖海戦で撃沈された。デ・ロイテルは建造中止になった「ジャワ級」の3番艦の代艦としてオランダ海軍の1930年計画で1隻が建造承認された。当初は基準排水量5,250トンで15cm連装砲3基の設計であったが火力不足であるとの指摘を受け、1932年に改設計されて艦体を大型化して艦橋と艦主砲塔の間に単装砲1基を追加して15cm砲7門艦として要求性能が承認された。本艦は当時の巡洋艦の多くで採用されていた高角砲や魚雷兵装を持たない代わりに大仰角を取れる15cm砲と4cm機関砲と12.7mm機銃で武装した防空巡洋艦的な性格の艦であった。当初の艦名はセレベスとされたが、設計中にデ・ロイテルに変更された。デ・ロイテルの船体は長船首楼型船体で排水量に比して乾舷の高い船体は良好な凌波性を持っていた。船体デザインは設計にクルップ・ゲルマニア社が携わっているために、同世代のドイツ海軍のドイッチュラント級装甲艦に似ており、特に艦橋構造の両脇に船橋を持つ艦橋デザインは「アドミラル・グラーフ・シュペー」に類似性が見られる近代的なフォルムを持っている。また、装甲板を船体の構造材の一部として設計し、材料には溶接に適した鋼材や軽合金が使用された。垂直に切り立ったクリッパー型艦首には錨が左舷に2つ・右舷に1つが配置され、使用しない時はフランス海軍の「クールベ級戦艦」の様に艦首に錨が埋め込まれる巧妙な細工となっていた。艦首甲板上に「ボフォース 1938年型 15cm(50口径)速射砲」を収めた箱型の連装式主砲塔が1基、その背後から上部構造物が始まり、その上に防楯の付いた15cm速射砲を単装砲架で1基が配置されて背負い式配置となっていた。塔型艦橋は基部に船体幅一杯までの船橋(ブリッジ)を持つ前後に細長い形状で、艦橋の構成は丸窓が並ぶ操舵艦橋・戦闘艦橋・見張り所の上には6m測距儀塔の順である。艦橋には探照灯台が艦橋側面に片舷1基ずつ、前部に1基の計3基配置されていた。艦橋の背後に大型の1本煙突が立てられた。煤煙の逆流を防ぐために竣工時には開口部に板を立てたが効果はなく、後に黒いファンネルキャップを装着した。デ・ロイテルは同時期の「ドイッチュラント級装甲艦」と同様に後部マストを持たない設計であったために、アンテナ線展開のために煙突後部にT字型のヤードを設置して代用とした。艦橋と煙突の間は艦載艇置き場とされ、煙突の後方にはハインケル(Heinkel) K8型旋回式カタパルトを中心線上に1基を配置し、その後ろにフォッカー(Fokker)C 11水上機2機が露天で置かれた。艦載艇と水上機の運用のために煙突の基部に付いた「くの字」型のクレーンが片舷1基ずつ計2基が設置された。上部構造物の末端部に位置する4m対空測距儀を載せた後部見張所は上から見て底辺を前方に向けた五角形状となっており、そこに対空火器として「ボフォース 4cm(56口径)機関砲」を連装砲架で5基を集中配置された。その下の船首楼の末端部に3番主砲塔1基と、一段下がった後部甲板上に4番主砲塔が後向きの背負い式配置で計2基配置された。デ・ロイテルの主砲にはスウェーデンのボフォース社の新設計の「1938年型 15cm(50口径)速射砲」を採用した。主砲は本来は連装砲塔3基の予定であったが、日本海軍の強力な火力を持つ新型軽巡洋艦に対抗するために砲架を装甲板でカバーで覆う15cm単装砲(砲塔形式でなく、旋回も装填も人力)を追加して連装砲3基+単装砲1基の計7門装備とした。形式番号は砲架の形状により異なり、連装砲は「Mark9」で3基が搭載、単装砲形式は「Mark10」で1基を搭載した。後にデ・ロイテルの後継艦である「トロンプ級軽巡洋艦」には改良型の「Mark11」が搭載された。その性能は重量46.7kgの徹甲弾を仰角45度で最大射程27,400mまで届かせられた。砲塔・単装砲架ともに旋回角度は艦首尾方向を0度として左右共に150度まで旋回でき、動力は電動、非常用に人力が選択出来た。バーベット内の揚弾薬機は電動式である。砲身の上下は対空戦闘を考慮され最大60度から俯角10度までで、単装砲架が照明弾打ち上げに適していた。装填形式はどの角度からでも装填が出来る自由角度装填方式で発射間隔は毎分5~6発であった。デ・ロイテルの対空火器として「ボフォース社製1936年型 40mm(56口径)機関砲」を連装砲架で五基を五角形に集中配置していた。その性能は重量0.93kgの機関砲弾を仰角45度で射程9,600mまで、最大仰角90度で高度10,180mまで飛ばす事が出来た。砲架の俯仰は仰角90度・俯角15度で360度の旋回角度を持っていたが、実際は上部構造物により射界を制限された。これを連装砲架で5基を搭載した。他に近接火器として「ブローニング12.7mm(50口径)機銃」を連装砲架で4基装備した。なお、オランダ巡洋艦の多くで装備していた魚雷発射管をデ・ロイテルは装備していなかった。デ・ロイテルの機関構成はヤーロー式重油専焼水管缶6基とパーソンズ式ギヤードタービン2基2軸推進と組み合わせて機関出力60,000馬力、速力32ノットを達成した(公試時は75,000馬力で33.7ノット)。燃料は重油を常用で12ノット/6800海里、満載1,300トンで12ノットで10,000海里の航続性能を得た。1933年9月16日に起工され、1935年5月11日に進水、1936年10月3日就役した。1937年1月12日、デ・ロイテルはオランダのデン・ヘルダーから東南アジアへの航海に出発した。デ・ロイテルは1937年3月にオランダ領東インド(インドネシア)に到着、以後東南アジアで活動し太平洋戦争開戦を迎えた。1942年2月4日、アメリカ重巡洋艦ヒューストン、アメリカ軽巡洋艦マーブルヘッド、オランダ軽巡洋艦トロンプ、駆逐艦7隻と共にスラバヤから出撃し日本艦隊攻撃に向かう途中にマカッサル海峡で日本軍機の攻撃を受け、デ・ロイテルは至近弾により小破した(ジャワ沖海戦)。2月20日にはバリ島沖海戦に参加。1942年2月27・28日、オランダ軽巡洋艦ジャワ、アメリカ重巡洋艦ヒューストン、イギリス重巡洋艦エクセター、オーストラリア軽巡洋艦パース、駆逐艦9隻と共に日本軍のジャワ島攻略部隊の護衛艦隊と交戦した(スラバヤ沖海戦)。この海戦でデ・ロイテルは日本の重巡洋艦那智、羽黒の発射した酸素魚雷2本が命中し、敢え無く沈没した。座乗していたカレル・ドールマン少将やデ・ロイテルの艦長も戦死した。
出典:wikipedia
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