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クラウス・フーバー

クラウス・フーバー(Klaus Huber, 1924年11月30日 ベルン - )は、スイス出身の現代音楽の作曲家。現在はパニカーレとブレーメンを往復して暮らしている。スイスの音楽大学でヴァイオリンを専攻するも、後に手を痛めて作曲科に転向。ベルリンへ渡りボリス・ブラッハーに師事。1959年にローマのISCMで「魂へ語りかける天使たち」(Des Engels Anredung an die Seele)を初演。この作品がISCM国際作曲コンペティションで優勝。審査員にダッラピッコラ、フォーゲルがいた。1964年からバーゼル音楽アカデミーの作曲クラスを1973年まで指導。その後ドイツのフライブルク音楽大学に移る。1969年 スイス連邦共和国の〈ボスヴィル国際作曲フォーラム〉を創設。世界中の40歳以下(設立当初は45歳以下)の作曲家を惹きつけた。これはフーバーが審査委員長を降りても2000年代初頭まで継続されていた。1991年にフライブルク音楽大学の教師を定年退職後、世界中の国際作曲セミナーへ頻繁に招待される日々が続く。デビュー作以後、原則的には音列主義の作曲家である。総音列主義以降の流行に安易に乗らなかったことで、フーバーはずいぶん時流からは出遅れた。ルイジ・ノーノと同じように「テクスト付き音列主義」というレッテルを貼られ、1960年代末までは、シュトックハウゼンやブーレーズなど、戦後前衛音楽の主唱者の陰に隠れた存在だった。その状況についてフーバーは「60年代は如何に書くかばかりが追究され、作家性が消滅した」と述べている。当時の作品は、「弦楽四重奏曲第1番 Moteti-Cantiones」、オーボエとチェンバロのための「からし種」、フルートとハープとヴィオラのための「サバト」など、この時代の主流であった前衛的な作風で書かれている。ソロ歌手とオーケストラと合唱のための「Soliloquia sancti aurelii augustini」が初期の総決算であると本人も語っているように、キリスト教神秘主義のテーマは生涯を通じて消えることはなかった。ベーレンライター社に所属していたが、程なくしてショット社に移籍。フーバーが真に自己の個性に開眼し、なおかつ作曲家として認められるようになったのは、1970年代に前衛が停滞して「作家性」が求められる時代に入ってからである。この間フーバーは、教職に就きながら状況の打開を辛抱強く待っていた。フーバーは、新しいリズム語法や音空間をたゆむことなく開拓し続け、前衛的な姿勢を突き崩すことがなかった。多くの音楽家のための「Erniedrigt - Geknechtet - Verlassen - Verachtet」は中期の頂点であると絶賛された。ブライトコップフから散発的に出版した後、RICORDI(ミュンヘン、現在はベルリン)に移籍。以後は変わっていない。古今の音楽文化からの引用やトランスクリプションも多く、合唱と室内アンサンブルのための「回転鎖の歌 - Cantiones de Circulo Gyrante」では、ヒルデガルト・フォン・ビンゲンの作品がそのまま引用される。演奏家の多音源化、多空間化は現代音楽で非常に流行したが、これを受け入れたのも流行が過ぎ去った後である。「回転鎖の歌」は2度CD化された。「現代音楽のパサージュ(松平頼暁)」ではクラウス・フーバーはキリスト教神秘主義の文献を参照していることが述べられている。全盛期と称される1980年代は作曲に方眼紙を用いて、弦楽四重奏曲第2番「...Von Zeit Zu Zeit...」では緻密にパルス感覚を設計している。このパルス感覚はオーケストラのための「20世紀末への哀歌」でも効果的に用いられ、きわめて難解な時間感覚を生成している。また非常に遅いテンポから完全な停滞にいたることも多く、弦楽三重奏のための「詩人の鍬」では、ロシア語を唱える演奏家は冒頭完全にフェルマータで静止する。シュトックハウゼンやブーレーズがダルムシュタットを去った後、フリードリヒ・ホンメルの招聘でダルムシュタット夏季現代音楽講習会の講師へ就任。世界中から彼のレッスンを受ける学生が集い始める。非西洋楽器を初めて使い始める。1980年代より顕著であった「静止した時間」へのリサーチが顕著となり、拍節を横断するため拍ごとに鉛筆で縦線が引かれるのが特徴になってきた。その典型的な室内協奏曲「Intarsi」では例外的に、モーツァルトを「非合理時価込み」で引用したことがある。この縦線は1970年代末期には使用例があるものの、1990年代に至ると「4分音符五つと、12分音符五つを足したものを11分割する」というリサーチへ展開した。通常連符はかなり速い単位で区切られるのが一般的だが、フーバーは遅い単位で区切るため奏者への配慮として縦線を記している。日本の楽器も微分音で調律しなおされる。4分音よりも6分音を好んでアラビアの抑揚を個人的に解釈したヨーロッパでも中近東でもない新たなメロディー、民俗音楽の研究から五線譜ではなく三線譜を使う、音価の非合理等分、打楽器奏者が金属板に文字を書く、など、発明家としての側面も老齢になってからの方が際立っている。「やみのなげき=打楽器と笙の為の=」では井伏鱒二のTEXTから広島の原子爆弾の事が語られる。かつてから興味のあった中近東の楽器や音楽語法を参照した旋法は、楽譜上には3分音と6分音で「マカーム」と記されている。中近東の楽器と衣装がそのまま西洋楽器と混用されることもある。2000年代以後は数こそ少ないが創作活動は放棄しておらず、80歳を過ぎてからライブ・エレクトロニクスをはじめて用いた。ヨーロッパのみならず世界中に彼を慕う音楽家や指導を受けた人物は多い。その高い評価に比べて音源化はかなり遅れており、「Von Zeit Zu Zeit」は近年ようやく再録音が販売された。CD化されても、オペラの「Schwarzerde」すら、瞬く間に絶版になった。スイスの放送局は彼に今でも冷たく、フーバーを慕う人物のみが個人的に委嘱を出している。フーバーが指導力を発揮したのは、ボスヴィル国際作曲セミナーで、多くの若手作曲家を輩出したからである。その中に将来の妻のヨンギー・パクパーンがいた。フライブルク音大の作曲の教授以降師事する者も数多く、その弟子達の多くはフライブルク楽派の中心人物として活躍している。フライブルク音大が2010年代既に前衛のメッカであることも全くないのだが、今日のドイツの新聞やラジオでもかつてのメンバーが「フライブルク楽派」と呼ばれる辺りは、フーバーの指導力の大きさを示している。「確かに特殊奏法は現代音楽に不可欠だが、それは〈個人的な〉物である方が良い。本に載ってるものがそのままでてくるというのを何度も見る」、「最近ね、コンピュータ出力の楽譜たくさん見るんだけど、、、読みにくいんだよ。手で書いてよ。鉛筆が一番」、「ブラッハーに師事したときね、『オーケストレーションを勉強したい』って言ったら、『それは私の仕事じゃないからオーケストラの演奏会のゲネプロでも見に行け』って言われた、でもねそれが良かったんだよ」、「リゲティは『ベルリオーズの幻想交響曲以上の発明が出来ないオーケストラ曲はいらん』って言ったそうだが、言いすぎだと思うけど、その言には一理ある」など、効果的にアドヴァイスを与えていく。「これではヨーロッパ人の新作となんら変わらないではないか、雅楽を勉強しなさい今すぐに!」という辛い意見もあった。レッスンでは弟子のスコアの間違いや矛盾点を抜け目なく指摘するが、決して強制的に直させるのではなく本人に再考させそのまま放って置くことが特徴である。最後に彼は「自分で考えなさい。解答はない。」と言う。彼に師事した作曲家、ミカエル・ジャレル、細川俊夫、ヴォルフガング・リーム、ブライアン・ファーニホウ、タデウシュ・ヴィエレツキ、ヨンギー・パクパーン、カイヤ・サーリアホなどは何らかのかたちで独自の道を歩んでおり、多くの作曲家が学んでいた。退官後も一年に一度以上はマスタークラスを開講していたが、近年は継続していない。

出典:wikipedia

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