ホスピス()とは、ターミナルケア(終末期ケア)を行う施設のこと。または在宅で行うターミナルケアのこと。ホスピスとは、元々は中世ヨーロッパで、旅の巡礼者を宿泊させた小さな教会のことを指した。そうした旅人が、病や健康上の不調で旅立つことが出来なければ、そのままそこに置いて、ケアや看病をしたことから、看護収容施設全般をホスピスと呼ぶようになった。教会で看護にあたる聖職者の無私の献身と歓待を「ホスピタリティ」()と呼び、そこから今日の病院を指す「ホスピタル」()の語がでた。歴史的には、ホスピタルもホスピス同様に、病院だけでなく、孤児院、老人ホーム、行き倒れの収容施設なども指した。18世紀末、アイルランドは、イギリスの植民地でプロテスタントによる弾圧により居場所を失った人々が居た。修道女 マザー・メアリ・エイケンヘッド(、アイルランド「シスターズ・オブ・チャリティ」(慈善修道女会・カトリック)創立者)はその居場所を創る志を立て、19世紀にダブリンに(ホスピスの原型と思われる)「ホーム」が建てられた。20世紀に入り、治療の当てがなく、余命いくばくもない患者の最後の安息に満ちた時間をケア(ターミナルケア)する施設としての近代ホスピスが、イギリス、アイルランドから始まった。1967年、セント・ジョセフ・ホスピス(ロンドンのハックニー、アイルランド人の多い地域)で学んだ、女医のシシリー・ソンダースは、セント・クリストファー・ホスピス()を建設、緩和ケアを基本とした、近代ホスピスの基礎を作り、世界的な広がりの先駆けとなった。アメリカ合衆国では在宅ホスピスが中心である。日本で最初のホスピス・ケアを提供する病床は、大阪の淀川キリスト教病院に設けられた。当時のホスピス長、柏木哲夫の功績によるものである。この病院での実質的なホスピス・ケアは、1973年から始められた。独立した病棟としてのホスピスは、1981年の長谷川保による聖隷三方原病院(浜松市)の末期がん患者などのためのホスピス(緩和ケア病棟)開設が日本で最初である。両病院は1990年4月25日に日本で初めて緩和ケア病棟として承認を受けている。日本で、完全独立型のホスピスとして初めて完成したのは日本財団(笹川陽平会長)などの支援を受けて設立されたピースハウス病院(日野原記念ピースハウス病院と改名、2015年3月営業を停止、2016年4月から再開)である。(1993年)従来、ホスピスの開設は主に民間の医療機関等が行ってきたが、公的な機関も開設に乗り出すようになっている。日本で最初の国立のホスピスが、1987年に千葉県の国立療養所松戸病院(現在の国立がん研究センター東病院の前身、1992年に千葉県柏市へ移転)に開設され、その後、全国各地の国公立病院にホスピス開設の動きが広がっている。がん及びAIDSにより治癒が難しくなった患者を対象としている。入院費は健康保険が適用され、高額医療制度も受けられる。設置基準で病室の半数は無差額でなければならないと定められている。一般的に、ホスピスを分類するとすれば以下の5種類ほどに分類できる。ホスピス・ケアには医師や看護師・薬剤師だけでなく、歯科衛生士・作業療法士などの医療職や医療ソーシャルワーカー・ヘルパーなどの福祉職と、スピリチュアルケアを担当する宗教家、例えばキリスト教系の病院ではチャプレンなどの多くの職種がチームを組んで関わる。そのチームの中にはボランティアも含まれる。ボランティアの活動は多岐にわたり、行事の手伝い・散歩の付き添い・お茶配り・庭園整備・話し相手・買い物・運営募金集めのバザー活動など資格がなくてもできることが主体となる。活動の主は雑用的なことであるが、専門職が患者のケアに注力できるようにホスピス全体を下支えすることも、最終的には患者のためになるという意識のもとに活動しているボランティアも多い。医療知識や接遇などの専門的なトレーニングを受けた後に病棟内で活動することが一般的である。医療側でもなく患者側でもない存在が、時には患者にとって安らげる存在となることもある。日本で唯一のホスピスボランティアを専門に行う学生サークル「マナの会」が聖隷クリストファー大学にあり、看護学生が中心となり聖隷三方原病院にて週末に活動を行っている。
出典:wikipedia
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