一柳 末栄(ひとつやなぎ すえなが、享保10年(1725年) - 寛政11年5月10日(1799年6月13日))は、播磨小野藩の第5代藩主。第4代藩主・一柳末昆の長男。母は一柳直長の娘。正室は稲葉菫通の娘、継室は真田信弘の娘。子に一柳末英(長男)、座光寺為賢(次男)、石尾氏紹(三男)、一柳栄武(四男)、娘(織田信浮正室のち秋田季済正室)、娘(山口弘道正室)、娘(吉川経倫正室)、娘(琴松院、松平康盛正室のち一柳頼欽継室)。官位は従五位下、左京亮、土佐守、対馬守。播磨小野にて生まれる。通称は隼人。元文2年(1737年)10月18日、父の死去で跡を継ぐ。寛保元年(1741年)4月1日、将軍徳川吉宗にお目見えする。寛保3年12月21日、従五位下左京亮に叙任する。後に土佐守に改める。寛延元年(1748年)4月15日、初入国の許可を得る。藩主としては有能で、破綻しかけていた藩財政再建のために倹約や経費節減などを行なって藩財政を再建した。安永8年(1779年)9月16日、病気を理由に長男・末英に家督を譲って隠居した。同年11月18日、通称を対馬守に改める。寛政11年(1799年)5月10日に75歳で死去した。墓所は東京都渋谷区広尾の祥雲寺。
出典:wikipedia
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