『JUST A HERO』(ジャスト・ア・ヒーロー)は、日本のロックバンドであるBOØWYの4枚目のアルバム。1985年、ユイ音楽工房と契約を交わし、レコード会社を東芝EMIへと移籍する形で新たなスタートを切ったBOØWYであったが、初の海外レコーディング、海外でのライブを経験し、6月には初の大ホール公演となる渋谷公会堂でのライブを成功させた。8月には12インチシングルとして「BAD FEELING」のリミックスバージョンをリリースし、9月より初の本格的な全国ツアーとなる「BOØWY'S BE AMBITIOUS TOUR」を敢行、その後10月よりライブツアーの合間を縫う形でレコーディングは進められていた。12月には全てのレコーディング作業が終了し、トラックダウンを行うためにベルリンのハンザ・スタジオへとメンバーは再び足を運んでいた。12月31日の大晦日にはテレビ番組「ミュージック・ニューウェイブ」(1985年、NHK)にて放送された日本青年館でのライブ映像が反響を呼び、1月24日に中野サンプラザで行われた追加公演はチケットが即日完売するなど、人気は急上昇していた。前作では初の海外レコーディングが行われたが、本作のレコーディングはライブツアー「BOØWY'S BE AMBITIOUS TOUR」の合間を縫うようにして行われたため、海外レコーディングは行われていない(トラックダウンのみベルリンのハンザ・スタジオで実施された)。また、BOØWYとしてはレコーディングが最も長期間におよんでおり、レコーディングスタジオも多岐に渡っている作品となった。1985年10月24日より本作のレコーディングは開始され、28日まではミュージックインスタジオ、翌29日から31日までは河口湖スタジオ、11月15日から20日まではキティ伊豆スタジオ、11月27日、28日、12月1日、2日はKRSスタジオ、12月7日にはマグネットスタジオ、12月8日には東芝EMIスタジオと合計20日、6カ所のスタジオを使用して完成した。プロデューサーとしては、前作『BOØWY』のプロデューサーである佐久間正英も「サウンド・アドバイザー」の肩書で参加しているが、スタジオ作業も佐久間が仕切っていた前作とは違い布袋寅泰が主導権を握り、実質布袋一人で全てのアレンジを仕上げ、初のセルフ・プロデュースと呼べる作品となった。また、初めて氷室が自らの演奏によるデモテープを作成したほか、本アルバム制作において収録曲候補として氷室、布袋によって約30曲が作られ、その中から11曲を選曲している。作詞面では前作では氷室京介と松井五郎の合作による作品が多かったが、この作品では氷室が単独で作詞を担当している(11曲中9曲)。1986年3月1日に東芝EMIのイーストワールドレーベルより、LP、CD、CTの3形態でリリースされた。LP初回生産分のみピンナップポスター(LPサイズ)が付属していた。なお、「PLASTIC OCEAN」はCD、CTにのみ収録されており、LPには収録されていない。これは、当時まだ普及していなかったCDの売り上げを伸ばすために、各レコード会社がCDのみ楽曲を追加収録する(大体レコードよりも1~3曲の追加が一般的だった)という戦略がとられていたことから、本作でも採用されたもの。本作リリース後、メンバーは全国各地のライブハウスやイベントホールにて「BOØWY FILM EVENT - JUST A HERO SPECIAL」と題されたフィルムコンサートを実施、BOØWYの歴史を1本の映像作品としてまとめ、自らがゲストとなりファンとの交流を図るイベントとして行った。また、本作リリース前後より全国ネットでのテレビ番組出演の回数も増えていき(それまでは地元群馬を中心としたローカル番組のテレビ出演が主だった)、『オールナイトフジ』(1983年 - 1991年、フジテレビ系列)に数回出演した他、『夜のヒットスタジオDELUXE』(1985年 - 1989年、フジテレビ系列)にも初出演し、「わがままジュリエット」を演奏している。その他に、収録曲である「Justy」がバラエティ番組『いきなり!フライデーナイト』(1986年、フジテレビ系列)のオープニングテーマとして使用され、BOØWYとして初のタイアップとなった。写真撮影は写真家の加藤正憲によって行われた。加藤は本作で初めてBOØWYを担当し、解散後も氷室や布袋の作品を手掛けるなどメンバーとは長い関係が続くこととなった。本作をリリース後に行ったフィルムイベントを受ける形で、1986年3月24日の青山スパイラルホールを皮切りに、「JUST A HERO TOUR」と題して全国25都市37公演が行われた。チケットは発売と同時にほとんどの会場で即完売した。ステージセットは映画『ブレードランナー』(1982年、アメリカ合衆国)を意識したものとなっていた。ツアー最終日である7月2日には初の日本武道館単独公演が行われ、後にその模様がライブアルバム『“GIGS” JUST A HERO TOUR 1986』(1986年)としてリリースされた。音楽雑誌「Player」では、「前作『BOØWY』を土台として、その上に積み上げられた本作は、彼らの新しい側面、強靭なファンク・ビートから浮遊感漂うエスニック・サウンドまで、1コマごとに明度と輝度を変え、めくるめく音の洪水を浴びせてくれる」と評した。ライターの根本桃GO!は、「音の面では意外とハード。聴きようによっては紛れもないロックといっていい部分が多々ある。リズムとビートは強固で全体にうねりのようなものが出てきた。曲自体の完成度も高い」、「一方で、歌詞に関してはバブリーな記号に満ち溢れ、なんだか分からないオシャレなアーバンライフ風のイメージで埋め尽くされている。洋楽系の人間がBOØWYを忌避しがちだった原因ではないか」と述べている。文芸評論家の町口哲生は、「全体的にリズムを強調したタイトなサウンドに、氷室のあの独特な歌い回しと、布袋の電磁ノイズのようでいて計算され尽くしたギターが一体となり、しかもポップなメロディで聴きやすい。文句なしの一押しのアルバム」、「日本の現代文化の『複合性』や『馴化』といった問題を考える上でも、本アルバムは『自己適応化』と『自己外来化』がうまくマッチした稀有な一枚」と述べている。BOØWY参加ミュージシャンスタッフ
出典:wikipedia
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