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回帰線 (尾崎豊のアルバム)

『回帰線』(かいきせん)は、日本のミュージシャンである尾崎豊のセカンド・アルバム。英題は『"TROPIC OF GRADUATION"』(トロピック・オブ・グラデュエーション)。ファースト・アルバムがリリースされ、ライブの計画が立てられるなど本格的にミュージシャンの活動を始めた尾崎であったが、一方で停学の解けた高校へ戻ると、教師から留年になることを告げられ、さらに毎日反省日記を書くよう命じられた尾崎は、押し問答の末1984年1月に卒業を間近に控えながらも退学届を学校側に提出する。その後、卒業式の日である3月15日に自らのデビューライブを実施する事を決定する。その前に、リハーサル代わりとして2月に千葉マザースと藤沢BOWでのシークレットライブを行った。千葉ではたった5人の観客を前に演奏する事となった。しかし、3月15日の新宿ルイードで行われたデビューライブには、定員300名をはるかに上回る600名を動員する。前日にはライブ告知のポスターを自ら街の電柱などに貼り、ポスターには「みんなよくがんばった!卒業おめでとう!」というメッセージを書き加えていた。当日は尾崎自身が40度近い熱があったものの、全11曲、2時間超のステージを行った。その後、6月には全国6都市を回るライブハウスツアーを敢行、8月4日には日比谷野外大音楽堂で行われた「アトミック・カフェ・ミュージック・フェスティバル'84」と題されたライブイベントに参加、この時演奏の最中に7メートル以上ある照明のイントレに上った尾崎はそのまま地面へと飛び降りるパフォーマンスを行い、右足捻挫、左足複雑骨折という全治3か月の大怪我を負ってしまう。2週間程度で退院した尾崎は、3か月の療養期間中に本作のレコーディングを開始する。本来であれば9月より初の全国ホールツアーが実施される予定であったが、骨折のため12月からへと変更された。このツアー中にシングルとして「卒業」がリリースされ、オリコン20位にランクインする。ちなみに、アルバムタイトルの「回帰線」とは、「迂回してくる・ある地点に到達して・そこからまた同じような場所に」との意味が込められている。プロデューサーは前作に続き須藤晃が担当している。レコーディングはコンサートツアーである「FIRST LIVE CONCERT TOUR」が実施されている合間を縫うようにして行われた。前作に続き、全曲の作詞、作曲を尾崎が行っており、編曲も西本明、町支寛二の2名が担当している。ただし、前作でオーバープロデュース気味であったアレンジが抑えられ、ボーカルを全面に押し出した作品となっている。前作に続き、全てのアートワークは田島照久が担当している。「TROPIC OF GRADUATION TOUR」というタイトルで、1985年5月7日の立川市民会館を皮切りに、38都市38公演が行われている。ツアーファイナルには追加公演で8月25日に大阪球場でライブが行われ、2万6000人を動員している。本ツアーの音源は、後にライブ・アルバム『MISSING BOY』(1997年)、『OSAKA STADIUM on August 25th in 1985 Vol.1』(1998年)、『OSAKA STADIUM on August 25th in 1985 Vol.2』(1998年)にてリリースされている。 音楽評論家の松井巧は、「ボーカルに関して、10代であるためあどけなさは残るが、その青臭さ自体が歌詞と密着した特色である」、「字余りの歌詞を無理にメロディーにはめ込んだボーカル・スタイルは、切実な心情を描写する尾崎特有の手法として特筆すべき点である」と述べている。詩人である和合亮一は「若者の教祖的存在、あるいは時代の代弁者として、逃れられない位置を決定的なものとした一枚」とのべている。フリーライターの河田拓也は、「全体にロックンロール色が強まり、孤独でストイックな部分よりも、多少荒っぽい衝動や人懐っこい素顔が前に出てきている。ヤンチャな不良連中を思わずほろっとさせ、一方で真面目な子達にもシンパシーと憧れを感じさせて、どこか両者を結ぶ原っぱのような存在でさえあった。前後どちらの世代からも独特な、尾崎らしい間口の広さがよく発揮されたアルバムだと思う」と評している。

出典:wikipedia

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