フジ三太郎(フジさんたろう)は、サトウサンペイによる日本の4コマ漫画作品。1965年4月1日から1991年9月30日にかけて朝日新聞に連載された。平社員のサラリーマン・フジ三太郎を中心に、三太郎の周囲の職場や家族で起きるできごとを主な題材としている。サラリーマン社会の悲喜こもごもに加えて時事ネタも多く、事件や不祥事を風刺したり、流行に登場人物が右往左往する様子も描かれ、人気を博した。1968年と1982年にはテレビドラマ化もされている。一般紙としては異例な程の下ネタや、死刑廃止論や労働争議、ジェンダーフリーを揶揄する描写が描かれるなど、朝日新聞の左派的な論調と齟齬する作風も話題を呼んだ。1965年4月1日の連載開始から1978年12月28日までは夕刊、1979年1月1日から連載終了の1991年9月30日までは『サザエさん』(長谷川町子作)が終了して以来4コマ漫画が空席だった朝刊に、それぞれ連載されている。1974年から翌年にかけて朝日ソノラマから全5巻として出版された。その後の作品は『フジ三太郎名場面』(全19巻、朝日新聞社、1982-91年)に収録されている。基本は4コマであるが、日により、紙面における掲載サイズはそのままで3コマ(3コマ目が2コマ分)となることもあった。さらに「朝日ビジネス」という雑誌で「英訳版」が掲載され、その後著者・サトウの地元大阪市の「朝日新聞大阪本社」主催で読者投稿による「英訳コンクール」なるものも開催され好評を得て、1982年には「朝日ビジネス」と「朝日ウィークリー(週刊の英字新聞)」でこのコンクールを継承。更に英訳版の単行本も出版された。2013年4月10日より厳選した作品が電子書籍として発売された(後述)。三太郎はミニスカートを好む。テレビで見るスポーツもフィギュアスケートや新体操、シンクロナイズドスイミングを好む。それ以外にもお色気シーンが多い。新成人の女性がバニーガール姿でやってくるなど、現在の社会通念では、まず掲載が不可能な、お色気・セクハラ表現満載の4コマ漫画であった。ゆえに読者から「朝日新聞にふさわしくない内容の漫画だ」と非難されたことがたびたびあった。なお1982年版のテレビドラマでは、演出として毎回通りがかりの女性のスカートがめくれて下着が見えるというパンチラが行われていた。1966年、当時朝刊に連載中の「サザエさん」が休載中に作者が作品内にサザエさんを登場させ、一家の健在ぶりをアピールさせた。それをみた長谷川町子は連載再開時にお返しとして作品中にフジ三太郎を祝福に登場させた。このように、当時は朝刊・夕刊を通して作者同士のマンガを通したコミュニケーションがよく行われていた。1971年、全日空機雫石衝突事故の直後に掲載した作品では、「スカタング」という架空の戦闘機を操縦する三太郎は旅客機と空中衝突し、一度は脱出するが自らパラシュートの縛帯を解いて飛び降りた。1975年に最初で最後の3ヶ月長期休載。1978年12月28日付をもって夕刊連載終了(年末年始の夕刊休刊に合わせての移動)。「たつトリあとをにごさず」として、三太郎がマンガのコマ枠を大掃除した。1979年1月1日付より移動先の朝刊で連載再開。また、この日より朝日新聞の4コママンガはスペースが現行の記事4段分から5段分に変更され、拡張された。4日には夕刊に園山俊二作の「ペエスケ」スタート。三太郎が登場して「しっかりしなきゃだめだよ、ほんとに」と主人公・平助を励ました。その後、サトウが病気で三太郎が休載した時、園山は入院中の三太郎にペエスケが見舞いに行く話を描いた。ところがサトウは復帰すると三太郎で同じシチュエーションの続編を描き、それを受けた園山もまたやり返したので、朝刊と夕刊のどっちに、どっちの作者がどっちの作品を描いているのか、混乱し兼ねない状態が暫く続いた事がある。これもコラボレーションの一種と言える。1980年6月、大平正芳首相が在職のまま病死したときには、それまで風刺してきた罰として作者が閻魔大王から「地獄行き」の指定券を受け取る作品が掲載された。1985年8月13日付は日本航空123便墜落事故により休載。1991年3月31日付朝刊で、三太郎が「(連載26年経過して)表面上だけ若作りのままもう半年続けます」と事実上の最終回告知。もっとも、それ以前にエイプリルフールネタとして最終回ネタをやったことがあった。同年9月30日付朝刊で最終回。カラー特集が組まれ、登場人物がミュージカルばりに「上を向いて歩こう」を歌った。8168回という当時としては毎日新聞連載・加藤芳郎作の「まっぴら君」に次ぐ異例の回数の記録を打ち立てた。また、同日夕刊の「ペエスケ」では三太郎と平助が酌を交わし、別れを惜しんだ。ちなみに、このとき居酒屋の親父が平助に「あんたも終わるときはあんなふうにしなよ」といっている。しかし、「ペエスケ」の作者の園山は翌1992年に病に倒れ、1993年1月に逝去したため、結果として「ペエスケ」は連載休止のまま連載終了・絶筆となる運命をたどる。両作品とも、関西地区では朝日新聞系の放送局・朝日放送(ABC)で放映された(1968年当時はいわゆる腸捻転ネットの時代)。TBS系列にて1968年10月6日より翌年1969年9月28日まで放映。全39話。モノクロ作品。放送時間は毎週日曜日21:00~21:30(30話、31話の白浜温泉ロケ編のみカラーで放送された)。三太郎役は坂本九。妻ビワ子役は宮本信子(第1話~第26話)、三好美智子(第27話~最終話)が演じた。野球中継による番組休止があったため、全39話ながらほぼ一年間放映された。2004年にエムスリイエンタテイメント株式会社より全39話が収録されたDVD-BOX (5枚組DVD) が発売され、初めてソフト化されている。朝日新聞系の放送局・テレビ朝日系列(フルネット局および当時フジテレビ系列・テレビ朝日系列のクロスネット局だった秋田テレビ)にて1982年10月21日から翌年1983年1月27日まで放映。全13話。放送時間は毎週木曜日21:00~21:54。テレビ朝日とABCの共同制作。三太郎役は堺正章。妻ビワ子役は丘みつ子が演じた。1998年にサントリーから発売されたウイスキー「膳」の発売に伴い、発売告知キャンペーンの広告に登場したことがある。それ以前にも1970年代に、カルビーがポテトチップスの販促用にTシャツのプレゼントを行った際のテレビCMに、アニメーションで登場している。J-CASTニュースから、2013年4月10日から電子書籍版「フジ三太郎とサトウサンペイ」(全27巻 定価350円/冊<税別>)を発売した。これは新聞の連載開始の1965年から連載終了の1991年までを1年1巻としてまとめ、その中から厳選されたテーマに絞り込んで再録したもので、さらにサトウサンペイに対するインタビューも掲載されている(2013年4-6月にそれぞれ第1・2・3回配本として9冊ずつを配信)。これに合わせてJ-CASTニュースのサイトにおいても、電子復刻版の連載(基本的に日刊で、同じ日に掲載された過去の作品を2週間程度公開)を開始したほか、毎週木曜発行(金曜付け)夕刊フジにも「復刻フジ三太郎」の連載を開始した。
出典:wikipedia
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