松平 信孝(まつだいら のぶなり)は、駿河小島藩の初代藩主。小島藩滝脇松平家初代。石高は初め6000石、後に1万石。江戸幕府の小姓組番頭・御側衆・書院番頭・若年寄を務める。明暦元年(1655年)、丹波篠山藩の第2代藩主・松平典信の庶長子として生まれる。寛文11年(1671年)、駿府城代であった大叔父松平重信の養子となり、延宝元年(1673年)の養父の死去により、家督を継いだ。その後、小姓組番頭・御側衆・書院番頭・若年寄と栄進する。天和3年(1683年)の武鑑では「松平但馬守」が小姓組7番組番頭として記載されているのが見える。部下にあたる小頭は仙石久尚(仙石丹波守)(1000石)。屋敷は飯田町の上。加増も受けて元禄2年(1689年)には合計1万石の大名となって諸侯に列したことから、小島藩主となった。しかし翌元禄3年(1690年)10月17日に死去した。享年36。跡を甥で養子の信治が継いだ。有能な人物であり、史書においても「領内に善政を布き、領民を思いやる、そして文武両道の名君であった。しかし若くして病死したことが惜しまれる」と評されている。
出典:wikipedia
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