永田 ルリ子(ながた ルリこ、1967年6月23日 - )は、日本の元アイドル。熊本県出身。千葉県立津田沼高等学校、和洋女子大学短期大学部国文科卒業。1985年5月17日に『夕やけニャンニャン』のオーディションに合格し、おニャン子クラブの会員番号18番となる。メンバーがソロでレコードを出す際の「with おニャン子クラブ」にも複数参加している。番組本によると、おニャン子クラブとしての歌の振り付けの飲み込みは永田が一番早く、加えて本来の振り付けにアレンジを加える自己流の振り付けをスタジオの隅でウォークマンを聴きながら踊っていたという。又、振り付けを覚えきれていないおニャン子クラブメンバーや新人おニャン子に教えていた一人が、永田であるという。『夕やけニャンニャン』でとんねるずMCの「お習字の時間」のコーナーでアシスタントを務め、ルリルリの愛称で親しまれた。ソロデビューを希望していたが、ディレクターで現場責任者の笠井一二によって却下された(後に解散が決まった際にも、永田は芸能界での活動を希望して各方面に相談したりアプローチを計ったが、笠井に「君のような性格の女の子は芸能界で生き残るのは難しい。今まではおニャン子の一員として見て貰っていたがソロになれば周囲の目は容赦なく厳しくなる。普通の女の子として生活したほうがいい」と説得されたという)。しかし、メンバー構成員としては高く評価され、初期メンバーのほとんどが卒業した1987年4月以降は、富川春美や城之内早苗と共にメンバーを引っ張り、リーダー的役割をこなすこともあった。また、おニャン子クラブの解散宣言、最終回での代表の言葉などを務めた。おニャン子クラブ解散時、現役メンバーでは最年長で、唯一の20歳。その次の年長者は横田睦美の19歳。仲が良かったメンバーは、同学年の新田恵利や中島美春、他に白石麻子、渡辺満里奈など。おニャン子解散の翌年の1988年にテレビ製作会社のディレクターと結婚。解散後の再結成企画などには一切参加していない。など当時丸文字が流行し、永田の手書き文字が彼女の名前からとって「ルリール体」(命名は山根一眞)として、写研製の組版機で使用できるフォントとして発売された。独特な丸文字であり、平仮名しかなかったが、当時はあえてこの書体を使用する編集者もいた。現在では写真植字の衰退により、あまり使われなくなった。なお2010年1月1日現在、めざましテレビ「きょうのわんこ」のタイトルや、JA全農福島の米「コシヒカリ」と「ひとめぼれ」の袋にルリール体が使用されているのがかろうじて確認できる。永田側の諸事情により、これらの編集の結果、一緒に映っているメンバーまでカット、歌のフロント、コーラスを担当している曲自体がカットされたり、観客などの映像との差し替え、必要以上のスモーク、立ち位置が端の場合映像を拡大する、別のカットを画面に被せるなど、不自然な仕上がりになった。『バックステージ』に収められている『日本武道館コンサート』の「恋愛御見舞申し上げます」では、永田を含め3名しか歌わない為、他の2人が歌っているシーンをモノクロにし、それを永田の上に被せる(画面を2分割し2人のシーンの横に縮小したモノクロの3人のシーンを挿入)措置が例として挙げられる。また、『おニャン子白書』発売当初では3ヵ月に一度の発売予定だったのが不定期発売となり、結局2006年以降は続編の発売自体が無くなった。2009年2月28日放送のフジテレビ系列「フジテレビ開局50周年 バラエティルーツの旅」における特集時にも、おニャン子登場シーンで永田の顔にモザイクがかけられる措置が取られた。その一方、2009年10月10日の、めちゃ×2イケてるッ!の企画「フジテレビ開局50周年記念 記録よりも記憶に残るフジテレビの笑う50年」で、セーラー服を脱がさないで歌唱シーンが放送された際は、カットや映像処理されることなく、放送された。日テレプラスで2010年8月16日に放送された『歌のトップテン』(日本テレビ制作、1986年11月24日放送分)での出演シーンや「恋はくえすちょん」を歌っている部分は映像処理なくそのまま放送されている。
出典:wikipedia
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