ピナクル (Pinnacle) は、アメリカ合衆国ノースカロライナ州ストークス郡の南西部に位置する未編入地域で、の町からおよそ南南西、との間に位置している。この町は、もともとカラー (Culler) として知られていたが、この名は、当地の鉄道駅の敷地を所有し、初代の首長 (mayor) を務めたイマニュエル・W・カラー (Emanuel W. Culler) にちなむものだった。現在の名は、1894年に採用された。ピナクルは、1901年にいったん自治体として法人化されたが、これは1903年に廃止された。ピナクルから州道1186号線沿いにほど東へ進んだ場所に、「石の家()」と称される、壁の厚さがほどもある大きな4階建ての石造の建物の遺構があるが、これは1770年にストークス郡にやって来て、(イギリスの)国王からの土地を与えられた最初の2人の入植者のうちのひとり、ジョン・"ジャック"・マーティン大尉 (Capt. John 'Jack' Martin) が建てたものである。マーティンは、議員としても活動し、30年以上にわたってストークス郡の裁判官も務めた。この家は、地元で採れる燧石を材料に奴隷を使って建てたもので、牛が丸焼きにできるほど大きな暖炉が設えられ、外壁には白い化粧漆喰が塗られており、初期の入植者たちがとしても使用したものであった。マーティンは、バージニア植民地のエセックス郡に生まれ、アメリカ独立戦争では、大陸軍の側で勇戦した。大佐となっていたマーティンは、バージニア州のマーティンズビルにその名を残す民兵将軍の弟であったため、独立戦争中も、その後も含め、王国忠誠派(ロイヤリスト)からつけ狙われておりref>、キングスマウンテンの戦いの直前、大陸軍側で偵察中に重傷を負った。ジャック・マーティン大佐はチェストナット・リッジ、サリー郡、コルソンズ、、で戦い、ギルフォード郡庁舎の戦いにも参加した。アメリカ独立戦争の際にも、米英戦争の際にも、石の家は、大陸軍の召集拠点となった。この建物は、ストークス郡において最も古い建造物のひとつであり、1975年にアメリカ合衆国国家歴史登録財 (NRHP) に登録されたが、家屋自体は1890年に焼失しており、残されているのは大きな石壁だけである。石の家は、1975年にストークス郡歴史協会 (the Stokes County Historical Society) が取得しており、近年、同協会は、この遺跡をヴァンダリズム(破壊行為)から保全する取り組みを勧めている。ピナクルの近郊では、「石の家」に加え、2002年にがNRHPに登録された。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。