金森 頼時(かなもり よりとき)は、江戸時代前期の大名、側用人。飛騨高山藩第6代藩主、のち出羽上山藩主、美濃郡上藩主。能書家で、和歌や茶を嗜んだ。飛騨高山藩5代藩主金森頼業の長男として生まれ、4歳で家督を相続する。幼少時は叔父の金森近供が後見した。若い頃は酒好きで素行が悪かったという。元禄2年(1689年)には奥詰衆、のちに側用人に任命されたが、翌年4月に解任された。解任の理由には、第5代将軍徳川綱吉の意に合わない、品行が良くなかった、柳沢吉保により失脚させられたなど諸説ある。その後、元禄5年(1692年)7月、出羽上山に転封となった。これは幕府が飛騨の森林や高山の直轄支配を図ったためという。上山では、高山時代と同じ3万8000石余であるが実高が減ったことと、不作が続いたために藩の財政は悪化した。また、幕府直轄地となっていたため、幕命によりすでに前藩主土岐氏時代までの上山城は破却されており、二の丸に館を設けた。そして、元禄10年(1697年)にはさらに美濃郡上に転封となった。郡上では3万8,900石を領し、内訳は郡上周辺2万3,800石余、越前国大野郡内1万4,900石余。元禄12年(1699年)、領民の訴えにより前藩主遠藤氏の代からの年貢の取立てを検見法から定免法に改めた。郡上転封ののちも財政難に苦しんだが、治世的には安定していた。
出典:wikipedia
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