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路傍の石

『路傍の石』(ろぼうのいし)は、山本有三の代表的な小説である。1937年に『朝日新聞』に連載。翌1938年には『主婦の友』に「新篇」として連載。しかし、当時の時代背景の影響(検閲など)もあり、1940年に山本は断筆を決意。最終的には未完に終わった。東京帝國大学でドイツ語を専攻した山本は、当時ドイツで流行した教養小説の影響を受けてこの作品を書いたとされる。大正期の社会主義と個人主義の対立を背景に据えていることも、重要なポイントである。吾一の生き様は、山本自身の生い立ちと重なる部分も多いが、本人はそれを否定しており、実際、細部において山本の生き方とは異なる。近年では、いわゆる機能不全家族(アダルトチルドレン)との関連で、で再び評価されつつある。戦前、戦後を含め4回に亘り映画化された。時は明治時代の中期。尋常小学校6年生の愛川吾一は成績優秀で度胸もあり、担任の教師・次野に何かと目をかけられていた。しかし吾一の家では没落士族の父・庄吾がろくに働きもせず山林の所有権をめぐる裁判や自由民権運動に入れあげ、母・おれんが封筒貼りや仕立物の内職でようやく生計を立てている状態。成績優秀な吾一だが、経済的な事情から旧制中学校への進学は諦めざるを得なかった。それを見かねた近所の書店の主人で慶應義塾出身の黒川が学費援助を申し出るが、プライドだけは高く、さらにおれんと黒川の関係を疑う父にはねつけられてしまう。結局、小学校を卒業した吾一は父親の借金のカタとして、街一番の呉服商・伊勢屋に丁稚奉公に出される。主人や番頭と対面するなり、「吾一」の名前が読みにくいからと「五助」に改名させられた吾一は、主人の機嫌を損ねて辛く当たられ、先輩にいじめられ、辛い奉公生活をおくる。伊勢屋の息子は元同級生で劣等生の秋太郎、娘は吾一の初恋の人・おきぬだったが、今では彼を見下げてやはり辛く当たるのだった。劣等生だが金の力で中学校に進学した秋太郎の登下校を、吾一はうらめしげに眺める。そんな中、母・おれんが生活苦の中、心臓発作で急死。母を失ったが、故郷へのしがらみが無くなった彼は東京にいるという父を頼り、伊勢屋から逃亡。上京して父が住むという本郷区根津(朝日新聞連載時は谷中)の下宿屋を訪ねるが、そこで待っていたのは更なる試練だった。根津には父はなく、吾一は女主人に言葉巧みに丸めこまれて奉公人同然の待遇で留め置かれるが、いわば「人質」としての価値が無くなったと判断された事でいきなり追い出される。途方にくれていたところで「おともらい稼ぎ」の老婆に拾われるが、その手伝いをしていた矢先に「文選見習い募集」の張り紙を見つけた事で、紆余曲折ありながらも吾一は念願の文字を扱う仕事に付き、次野先生との再会と、彼の尽力で夜学に通う道も開け、苦労しながらも一人前の文選工として成長して行く。新聞連載時は新たな下宿先の娘およねとの恋、その兄との出会い、父との再会等が続き、最終的に吾一が自身で出版事業を始め、それを軌道に乗せるところまで描いて「第一部」が終了。連載当時の現代(昭和10年代)を舞台にした「第二部」の執筆を告知したものの、前述の事情もあり「お月さまは、なぜ落ちないのか」の章で断筆、未完に終わった。現在刊行されている「路傍の石」は、作者曰く最もきりが良いとの理由で「次野先生」の章で終わっているものが多い。後述の新潮文庫は「新編」の方を、作者による「ペンを折る」まで収録。その後新聞連載版を「付録」として第一部最後まで収録しているが、登場人物の名前や地名など、「新編」で変えられた固有名詞はそのままになっている。『』内の名前は朝日新聞連載時のもの。1938年公開。日活製作。この作品は文部省推薦映画の第1号に指定されており、キネマ旬報ベストテンでは1938年度の第2位に入っている。1955年公開。松竹大船製作・配給。1960年5月15日公開。製作は東京映画、配給は東宝。併映は「エラブの海」「オランウータンの知恵」(双方とも記録映画)。1964年6月14日公開。製作は東映。併映は「おふくろ」と、「狼少年ケン・月夜の出来事」(TVブローアップ版)。1966年にNHKで連続ドラマとして放送された。放送時間は毎週火曜18:00 - 18:25。出演は花森常雄、冨田浩太郎ら。1986年、日本テレビの「青春アニメ全集」の枠でアニメ化された。前編「中学志望」、後編「つらい日々」の2話からなる。声の出演は鳥海勝美(愛川吾一)、池田秀一(次野先生)、宗形智子(愛川れん)、小磯勝弥(秋太郎)ら。

出典:wikipedia

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