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用心棒

『用心棒』(ようじんぼう)は、1961年(昭和36年)に公開された、日本のアクション時代劇映画である。監督は黒澤明。続編といわれる作品として、『椿三十郎』(1962年公開)がある。空っ風の吹くある宿場町に、ひとりの風来坊の浪人が現れる。郊外の養蚕農家は困窮し、町の通りには人影がなく、犬が人間の手首をくわえて通り過ぎる。誰か出てきたかと思うとならず者の集団で、浪人はからまれるが相手にせず、閉め切られた一杯飯屋の戸を叩き、一食を乞う。金を持たない浪人はこの町でひと暴れして借りを返すというが、飯屋の権爺は驚きあわて、この町は清兵衛と、かつて清兵衛の一の子分だった丑寅の二人の親分が対立抗争しており、町の産業である絹の売買もままならず、儲かっているのは隣の棺桶屋だけなのだと浪人に告げる。すぐ町を出るように諭された浪人は逆に腰を据えると言い出し、先ほどのならず者(丑寅の子分)を三人瞬時に斬ってみせ、清兵衛に自分を用心棒として売り込む。清兵衛は、庭の外の桑畑を見やりながら桑畑三十郎と名乗ったその凄腕の浪人を擁して、即座に丑寅へ殴りこみをかけようとする。しかし、ことが終われば自分を斬って報酬も取り戻すという清兵衛親子の企みを盗み聞きしていた三十郎は金を投げ返し、用心棒を喧嘩寸前で降りてしまう。引っ込みがつかなくなった清兵衛と丑寅の子分たちは衝突寸前となるが、八洲廻りの役人が来るとの知らせが届き、喧嘩は中止。両勢力をぶつけあって一掃しようとした三十郎の最初の目論見ははずれ、町の家々は役人が滞在する間、何事もなかったかのように装うのだった。やがて清兵衛と丑寅のあいだで、権爺の飯屋に居座る三十郎の奪い合いが始まる。そんな折、丑寅の末弟で切れ者の卯之助が舶来の連発拳銃を懐に帰郷し、清兵衛の息子を人質に取るが、清兵衛の方は丑寅の後見人である酒問屋の徳右衛門の情婦を人質に取る。人質の交換が行われた際、その女が実は小平という百姓の女房で、徳右衛門が強引に奪ったものだと知った三十郎は、自ら進んで丑寅の用心棒となった。三十郎は女の監禁先へ加勢に行くとの口実で、単身乗り込むと見張りたちを斬り殺し、彼女を小平とその息子ともども逃がしてやり、駆け付けた丑寅には清兵衛たちの犯行だろうと告げる。しかし卯之助に三十郎の仕業ではないかと疑われ、小平から届いた礼状が見付かってしまい、監禁された三十郎は半殺しの目にあう。なんとか命からがら脱出した三十郎は権爺と棺桶屋に助けられ、町のはずれのお堂にかくまわれる。その間に丑寅は清兵衛一派に火攻めをかけて皆殺しにし、ついに抗争に勝利する。その後、権爺は三十郎に食事と薬を持っていこうとするところを丑寅たちに見つかり、縛り上げられる。それを知った三十郎は、出刃包丁を懐に、丑寅一派に殴り込みをかけんと、ひとり風の渦巻く町の通りに戻って来る。「この映画(続編的存在の椿三十郎も)の最大の魅力は殺陣のシーンではなく、主人公の三十郎の特異なキャラクター設定にある」と黒澤本人は主張している。それまでの時代劇の殺陣は、東映作品に象徴されるような従来の舞台殺陣の延長にあった。いわゆる「チャンバラ映画」である。黒澤は、そうした現実の格闘ではあり得ない舞踊的表現を排除したリアルな殺陣の表現を探っていた(「羅生門」、「七人の侍」、脚本を書いた「荒木又右ヱ門 決闘鍵屋の辻」)。それは『用心棒』でひとつの完成形を見せ、当時の人々を驚かせた。本作の殺陣の特徴は、桑畑三十郎は相手を斬る際、必ず1人につき2度斬っていることである。「1度斬ったぐらいでは、すぐには死なないだろう」という黒澤と三船の考えにより完成した殺陣であるとのこと。一方で、仲代達矢演じる新田の卯之助に、スコットランド製のスカーフを巻かせるなど、時代考証よりも登場人物の造形を優先させた演出も見受けられる。なお卯之助の持つ回転拳銃はスミス&ウェッソン モデルNo.1で、1857年から製造されたことから、幕末であれば時代が合う。劇中では空砲を装填した実銃が用いられた。本作では『七人の侍』以来多用していた望遠レンズの効果が遺憾なく発揮され、殺陣をより効果的に見せており、油の乗り切った時期の黒澤の表現技法が見事に結実していると言える。なお、撮影については無論、宮川一夫の存在が大きいが、マルチカム方式(複数のキャメラによる同時撮影)で撮影されている本作品ではクレジットされていないものの、斉藤孝雄の貢献も無視できない(完成作品には、斉藤の撮影分の方が多く使用されている)。本作が、ダシール・ハメットのハードボイルド・アクション小説の影響が大きいことは黒澤本人が「用心棒は『血の収穫』(赤い収穫)ですよね?」という問いに「血の収穫だけじゃなくて、本当はクレジットにきちんと名前を出さないといけないぐらいハメット(のアイデア)を使っている」と認めていることからも確かである。なお、「ある町にふらりと現れた主人公が、そこで対立する2つの組織に近づいて双方を欺き、最後には全滅させて去っていく」という、本作のようなアウトラインは、多少の違いはあるものの他の東宝映画にも見受けられる。例としては本作の前年に公開されたギャング・アクション映画「暗黒街の対決」(1960年 岡本喜八監督)や、本作の9年後に公開された任侠パロディ映画「日本一のヤクザ男」(1970年 古澤憲吾監督)などが挙げられる。今ではよく見られる演出だが、侍同士の対決シーンで、すれ違いざま刀を振り下ろし、いったん静止して片方が倒れて死ぬという描写や、効果音として刀の斬殺音を使用したのは、本作が最初である。ただ、本作では最初の試みということもあって、音量は「椿三十郎」よりは控えめである。劇中の斬り落とされた手首は、俳優としても出演している大橋史典が造形した。あまりのリアルさに、黒澤はそばに寄ろうともしなかったという。うしおそうじによれば、大橋は本作の撮影風景を8mmフィルムに収めており、見せてもらったことがあるという 。劇中のつむじ風は、電動の風洞で起こす大がかりなものだった。宿場町の野外セットは、撮影所そばの広大な畑をつぶして建てたもの。ちょうど農閑期だったので、春の種付けまで借りられたのである。続編『椿三十郎』でも、再びこの畑を借りて野外セットを組んでいる。勝新太郎主演の大映映画に『座頭市と用心棒』(1970年 岡本喜八監督)があり、三船敏郎が同じような衣装で用心棒として登場する。これは当時の人気キャラクター座頭市と用心棒を対決させる企画であるが、三船敏郎の役名は本作と違う佐々大作になっており、役作りもかなり違う。なお『椿三十郎』では撮影が小泉福造、斉藤孝雄に変わったのに対し、『座頭市と用心棒』の撮影は、本作と同じ宮川一夫である。さらに同年、今度は三船プロ製作・東宝配給による、三船敏郎、勝新太郎、石原裕次郎、中村錦之助、浅丘ルリ子の5大スター共演映画『待ち伏せ』(1970年 稲垣浩監督)において、三船は本名不明の用心棒(劇中では「名前は諸国を放浪している間に忘れた」と語っている)を演じている。その他に久世竜、佐藤勝、『椿三十郎』で脚本を担当した小国英雄が参加しており、佐藤はこの作品のテーマ音楽として用心棒の劇伴を彷彿とさせる音楽を作曲している。1971年にはテレンス・ヤング監督によるフランス映画『レッド・サン』に、日本使節団の一員として三船が出演している。大統領に贈る宝刀を列車強盗に盗まれ後を追うという設定だが、随所に黒澤作品の用心棒を彷彿とさせるカットが盛り込まれている。

出典:wikipedia

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