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五百石駅

五百石駅(ごひゃくこくえき)は富山県中新川郡立山町前沢にある富山地方鉄道立山線の駅である。案内などでは「ごひゃっこく」と読まれることもある。立山線では起点の寺田駅から千垣駅までと終点立山駅の計12もの駅が属する立山町の中心部にある駅で、急行も停車する。駅舎から少しはなれて相対式ホーム2面2線のある地上駅で列車同士の行き違いが可能。立山線の寺田駅から岩峅寺駅までの間では、この駅のみ列車同士の行き違いができることになる。各ホームと駅舎とが、構内踏み切りで結ばれている。現駅舎は、立山町の図書館等、各種社会機能を統合した上で、平成24年6月1日より供用が開始された。愛称は「みらいぶ」。本来は平成24年3月20日に供用開始予定であったが、東日本大震災の影響により工事が遅れ、延期された。建設費は約16億円。旧駅舎は、大正2年(1913年)築の一階建て木造駅舎で、左右対称のデザインを持っていた。洋風だが瓦葺の屋根を持つ駅舎であった。駅舎の内部には広い待合所と出札口や改札のほか、自動券売機が設置されていた。なお、台風時の強風で外の大木が折れ、そのまま駅舎に倒れこみ、駅舎が半壊したことがある。この駅は立山町の中心部にあるため乗降客が多く、業務委託駅となっている。2012年3月17日現在、7時00分から20時00分まで駅員が配置されているほか、ICカード専用改札機も設置されている。立山町の中心部にある駅で、特に駅の東側が賑やかな市街地となっている。立山町の中心駅として駅前にはロータリーやタクシー乗り場、大型の駐車場が整備されており、バスなども発着する。立山町の市街地はこの駅の附近から隣の榎町駅周辺まで、この富山地方鉄道立山線の線路沿いに長く続いており、複数の銀行や商店などもある。立山町の役場はこの駅の南西側、線路に程近いところにあり、この駅からは直線距離にして300メートルも無いくらいの距離である。この駅の東側およそ1キロメートルほどのところには北陸自動車道が走っている。また駅を出てすぐ左手には立山製紙の大規模な工場がある。以下には当駅附近にある主要なスポットを列記する。「富山県統計年鑑」によると、2010年度の一日平均乗降人員は850人であった。なお、2002~2009年度の乗降人員は以下の通りである。この駅の開業は大正2年(1913年)6月25日のことである。富山県で2番目の鉄道路線として、立山軽便鉄道が滑川駅から上市駅を経て当駅までを開通させたのに伴い、その終着駅として当駅は開業した。開業当初の駅名は五百石駅、立山軽便鉄道はその名のとおり軌間がわずか762mmの軽便鉄道であった。立山軽便鉄道は大正6年(1917年)に立山鉄道に改称となるが、その立山鉄道は大正10年(1921年)、当駅から立山駅(現在の岩峅寺駅附近の駅で今の立山駅とは別である)までを開通させた。そして立山鉄道は昭和6年(1931年)に富山電気鉄道に合併となり、この駅も富山電気鉄道の駅となった。さて昭和6年(1931年)に富山電気鉄道は当駅を移転の上、富山田地方駅(現在の電鉄富山駅と稲荷町駅の間にあった駅)から上市口駅までと寺田駅から当駅までを開通させた。これにより当駅から上市口駅までは支線の扱いとなり、当駅と上市口駅の間を往復する列車が運行されるのみとなって、結局昭和7年(1932年)12月21日に廃線となった。昭和11年(1936年)には当駅から立山駅(現在の岩峅寺駅附近にあった駅)までが1067mmへ改軌の上電化される。また昭和18年(1943年)1月1日には陸上交通事業調整法による富山県内各社の合併により当駅も富山地方鉄道の駅となった。その後、当駅は昭和34年(1959年)1月に一旦立山町駅に改称となったのち昭和45年(1970年)7月に五百石駅に戻され、現在に至っている。

出典:wikipedia

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