大元帥(だいげんすい、)は、国軍の総司令官に与えられる称号。軍隊における元首の地位を示すことも多いが、軍人の最高位の階級となっている場合もある。日本では、1871年の建軍当初に大元帥という官名が兵部省職員令附属の相当表に記載され、服制も定められたものの(明治5年9月7日太政官布告第252号)、任官者が無いまま1873年5月8日には廃止された。大日本帝国憲法下では天皇が統帥権を持ち、陸海軍の最高指揮官である大元帥となった(明治22年9月30日陸達第142号「野外要務令草案」第1部第1篇第1)。大元帥たる天皇は軍服型の御服を着用した。なお、井原今朝男は「大元帥」の呼称を古来において天皇のみが行うことが出来た外寇鎮圧の仏教儀式である大元帥法(大元帥明王に対する祈祷)に由来するとする考えを呈示している。アンシャン・レジーム時代のフランスには通常の元帥の上に「国王の陣営と軍隊の大元帥」()、いわゆる「フランス大元帥」の位が存在していた。1847年、ニコラ=ジャン・ド・デュ・スールトが叙せられた。旧ポーランド王国では、元帥に相当する「王冠領野戦ヘトマン」という位の上に大元帥に相当する「王冠領大ヘトマン」という位が存在した。詳しくはポーランドとリトアニアのヘトマン一覧を参照。ポーランド共和国では大元帥の位は存在せず、軍の制服組の最高位は大将 () である。2002年8月15日よりチェスワフ・ピョンタス () ポーランド陸軍参謀総長が務めている。アメリカとイギリスでは「Generalissimo」の語は使われず、単に各軍に設けられた元帥の上位の階級であるため、厳密には他の大元帥とは異なる。帝政時代の中国では、元帥や大元帥は通常の軍階として用いられた。1127年に靖康の変によって、北宋の皇帝以下の皇族が捕虜となった際に、唯一逃れた康王が大元帥府を開いて金との抗戦軍を組織した事例がある。また反乱組織の長が大元帥を名乗ることもしばしばあった。小刀会の劉麗川などがいる。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。