相星(あいぼし)は、相撲用語でその場所の成績が同点であることを言う。特に、本場所の優勝争いに於いて、千秋楽での直接対決で勝った方が優勝という取組などで「相星決戦」などのように使われることが多い。優勝力士と相星で、優勝決定戦で敗退したり、決定戦制度以前の上位者優勝のために優勝を逃した力士も、「優勝同点」として番付編成上や記録上の配慮がなされる場合が多い。1938年5月場所の千秋楽では、武藏山武と男女ノ川登三の両横綱が6勝6敗同士で対決(この場所は十三日制)、武藏山が勝って男女ノ川の負け越しとなった。横綱同士の「勝ち越しをかけた」千秋楽相星決戦は史上この一例のみである。現在では取り直しや不戦勝の制度などもあって、引き分けや預り、無勝負、相手の休場による休みをまじえての相星という例はほとんどないが、優勝制度成立以前の場所で例えば、といた場合に、誰を優勝者(優勝相当成績)と見るかなどは意見の分かれるところとなる。このような状況では『8勝している関脇が当然優勝だ』という見方もあれば、『勝ち越し6点は同成績であるから番付上位の大関が優勝である』とする意見、『6勝土つかずの小結を上に見るべきだ』とする意見もある。ただ、個人優勝掲額制度の最初の場所である明治42年(1909年)6月場所で、大関太刀山峰右エ門が8勝2敗、平幕高見山酉之助が7勝3分で、高見山の勝ち越し7点が優先されたという実例から考えれば、実際には勝ち越し点数が優先されたと考えるべきである。現在でも、力士褒賞金の算定が勝ち越し点数であることも、その参考とすべきである。1958年1月場所から大相撲は現行の年6場所、1場所15日制になった。それ以降に行われた優勝をかけた千秋楽相星決戦は以下の38の取組である。脚注のない限り、すべて結びの一番である。なお、十両での千秋楽相星決戦は平成以降、2002年11月場所の春日王 - 朝赤龍戦、2007年3月場所の里山 - 豪栄道戦、2008年7月場所の北太樹 - 武州山戦、2012年11月場所の佐田の富士 - 栃乃若戦、2013年5月場所の琴勇輝 - 徳勝龍戦、2015年5月場所の鏡桜 - 英乃海戦の6例がある。幕下以下ではスイス式トーナメント制を採用しているため、6戦全勝の力士が複数人現れた場合、同部屋力士でない限り7番相撲は必ず相星決戦となる(6戦全勝の力士を十両昇進が懸かる力士と当てるなど、まれに例外あり)。
出典:wikipedia
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