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ゲーリー・グッドリッジ

ゲーリー・グッドリッジ(Gary Goodridge、1966年1月17日 - )は、カナダの元男性総合格闘家・キックボクサー。トリニダード・トバゴ・セントジェームス出身。ビッグ・ダディ・ファイトチーム所属。元アームレスリング世界王者。並外れた怪力の持ち主で、完全に極まったアームロックを腕力のみで外してしまったこともある。左腕に刻まれた“剛力”のタトゥーは、文字通り自らのパワーを誇示するために彫ったものである。筋骨隆々とした強面な風貌とは裏腹に、普段は温厚で紳士的な人物として知られ、格闘技関係者から尊敬を集めている。PRIDE参戦当時のニックネームは「PRIDEの番人」。これはグッドリッジが、PRIDE初参戦の選手と数多く対戦したことに起因する。初参戦の選手にとっては立ちはだかる厚い壁、ファンにとっては積極的なファイトで会場を沸かせる名物選手として人気を集めた。2008年12月15日、カナダオン タリオ州トロント郊外に自らのジム「Fighting University」をオープンさせた。2012年、CTE(慢性外傷性脳症)による認知症であると診断されたと伝えられていたが、本人曰く、脳にダメージは有るものの軽症とのこと。1997年10月11日、日本の総合格闘技イベントPRIDEの旗揚げ戦となった『PRIDE.1』で、サンボ選手権王者のオレッグ・タクタロフをその豪腕で殴り倒し、戦闘不能に追い込みKO勝ち。そのアグレッシブなファイトスタイルを買われ、『PRIDE.2』でマルコ・ファス、『PRIDE.3』でアミール、『PRIDE.4』でイゴール・ボブチャンチンと連続で出場。その後も『PRIDE.16』までほぼ連続で参戦した。2000年に開催した『PRIDE GRANDPRIX 2000』では、開幕戦で大刀光にギロチンチョークで一本勝ちするも、決勝戦では因縁の相手イゴール・ボブチャンチンにKO負けを喫した。その後リコ・ロドリゲス、ギルバート・アイブルに連敗するも、谷津嘉章、ヴァレンタイン・オーフレイムに連勝した。しかし、2001年7月29日の『PRIDE.15』では、PRIDE初参戦のアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラに三角絞めを極められ、タップアウト負け。2001年10月8日、新日本プロレス東京ドーム大会に参戦。2003年に開催した 『PRIDE GRANDPRIX 2003』では開幕戦、決勝戦ともに第1試合のワンマッチに出場。8月10日の開幕戦ではエメリヤーエンコ・ヒョードルにTKO負け。しかし11月9日の決勝戦ではPRIDE初参戦のダン・ボビッシュにKO勝ちし、番人の面目躍如を果たした。2003年12月31日の『PRIDE SPECIAL 男祭り 2003』で、ドン・フライと対戦。1R27秒右ハイキックでKO勝ち。試合前に勝敗にかかわらず、体力の限界を理由に格闘家からの引退を表明しており、これがPRIDEでの引退試合となった。2004年4月30日に現役復帰し、K-1 WORLD GP 2004 in LAS VEGASに参戦。2008年3月30日、『The Khan』でチェ・ムベと対戦、2Rにカウンターの右フックからダウン後、パウンドでTKO負け。2008年7月19日、Affliction旗揚げ戦でポール・ブエンテロと対戦し、判定負けを喫した。2009年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜でゲガール・ムサシと対戦し、パウンドでTKO負け。1999年からK-1に参戦し、武蔵、佐竹雅昭、ジェロム・レ・バンナ、グラウベ・フェイトーザらと対戦した。K-1歴代王者のピーター・アーツやマーク・ハントとも互角に渡り合い、マイク・ベルナルドやシリル・アビディ、カーター・ウィリアムスなど多くのK-1ファイターに勝つなど、期待以上の活躍を見せる。2005年7月29日、『K-1 WORLD GP 2005 in HAWAII』で開催されたHAWAII GPでは、カーター・ウィリアムスや藤本祐介らを全試合KOで破り優勝。2005年9月23日、『K-1 WORLD GP 2005 in OSAKA 開幕戦』では、再びジェロム・レ・バンナと激突。リベンジを狙ったが、ローキックからパンチ連打を浴びて3回目のダウンを喫しKO負け。2005年11月19日、『K-1 WORLD GP 2005 inTOKYO 決勝戦』のリザーブファイトに選ばれるも、グラウベ・フェイトーザに判定負け。

出典:wikipedia

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