『遊星王子』(ゆうせいおうじ)は、1958年(昭和33年)11月11日 - 1959年(昭和34年)9月4日に日本テレビ系で放映された日本の特撮・連続テレビ映画であり、1959年製作・公開、若林栄二郎監督による日本の劇場用映画である。主人公の名称を題名としたものであり、テレビ映画の製作は宣弘社プロダクション、提供は東京芝浦電気(現在の東芝)一社であった。宣弘社のテレビヒーロー第2弾であり、日本初の宇宙人を主人公とするテレビヒーローである。地球を宇宙連邦に加えるべく、遊星からやってきた遊星王子の地球での活躍を描く。前作『月光仮面』は「和製スーパーマン」を目指したが、本作ではよりSF色を強め「和製スーパーマン」の色合いをさらに強めた。これは本作の頃には『スーパーマン』などのアメコミヒーローが日本に上陸しており、日本の子供達に人気を博していたためである。遊星王子は空飛ぶ円盤を持っており、敵を追跡するときなどしばしば使用した。第4部ではSF要素は薄まり、インドを舞台とした秘境ものになっている。SF描写が減った代わりにアクションが重視された。本作品は後に多数のヒーロー作品を手掛ける伊上勝の脚本家デビュー作である。。当時明治大学を卒業し、宣弘社に入社したばかりの伊上勝が一晩で書きあげた脚本が入選し、そのまま原作採用されて番組化したものである。伊上は本作を「和製スーパーマン物」と呼んでいる。第4部で描かれた「ばらばらになったアイテムを集めて秘宝を見つける」という展開は、『仮面の忍者 赤影』や『隠密剣士』など後年の伊上の作品でも多用された。監督を務めた藤田潤一は当時肺結核を患っており、制作進行の浅井清は藤田が村山療養所から通っていたと証言している。出演者は、日吉としやすや武藤英司ら『月光仮面』に出演した俳優が多く登場しており、第3話では月光仮面役の大瀬康一もゲスト出演した。当時溜池にあったスポンサーの東芝商事のビルの屋上などでも撮影が行われた。宣弘社の担当であった大場徳次は、本作品の制作費は50万円前後であり、フィルムネットでのプリント代1万5千円を制作費に当てていたと証言している。劇場版では、コスチュームが違っていたり宇宙船を所有したりと、テレビ版とは全く違うヒーローとなっていた。矢島利一による漫画版が『少年』に連載された。参照テレビ版の好評をうけて劇場版が2作品製作された。テレビ本編の劇場版ではなく、基本設定のみを活かし、出演者やコスチュームデザイン、細部設定は一新されている。アメリカでは、『プリンス・オブ・スペース』のタイトルで2作を1本にまとめた83分の再編集版が1962年にテレビ放映された。配給はウォルター・マンレイ・エンタープライジーズ。
出典:wikipedia
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