源 道済(みなもと の みちなり、生年不詳 - 寛仁3年(1019年))は、平安時代中期の貴族・歌人。光孝源氏、陸奥守・源信明の孫。能登守・源方国または伊豆守・源有国の子。官位は正五位下・大宰少弐。中古三十六歌仙の一人。文章生から長徳4年(998年)宮内少丞に任ぜられる。のち、長保3年(1001年)蔵人、長保5年(1003年)式部少丞、寛弘元年(1004年)式部大丞を歴任。寛弘3年(1006年)従五位下・下総権守に叙任される。寛弘7年(1010年)に下総権守の任期を終えたのちは、山里での暮らしを通じて詠んだ和歌作品が散見され、しばらく散位にあり山里に暮らしていたとも想定される。長和4年(1015年)筑前守兼大宰少弐として地方官に転じて任地に赴き、同年従五位上に昇叙される。寛仁2年(1018年)には正五位下に叙せられるが、翌寛仁3年(1019年)任地の筑前国で没した。藤原道長の時代の歌壇で活躍し、『拾遺和歌集』の撰集にも関ったという。大江以言に師事し、漢詩文にも秀でていた。『拾遺和歌集』以下の勅撰和歌集に61首入集。家集に『道済集』、歌学書に『道済十体』がある。注記のないものは『道済集』巻尾慈鎮和尚書記による。注記のないものは『尊卑分脈』による。
出典:wikipedia
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