仁村 薫(にむら かおる、1959年5月9日 - )は、埼玉県川越市出身の元プロ野球選手(外野手)。弟は自身と同じ元プロ野球選手の仁村徹で、現役時代は中日で一緒にプレーした経験がある(当時はスコアボードなどには「仁村兄(=薫)」「仁村弟(=徹)」と表記されていた)。川越商業高校ではエース投手だったが、甲子園出場経験なし。高校卒業後は早稲田大学へ進む。3年時からエース投手としてリーグ通算36試合登板し17勝10敗、防御率1.57、163奪三振。4年時には第10回日米大学野球選手権大会の代表に選ばれ1勝を挙げたほか、打力を買った島岡吉郎代表監督が代打に起用、ホームランを放った。のドラフト6位で読売ジャイアンツ(巨人)に投手として入団し、3年目で外野手に転向。主に中堅手として活躍。のオフに自由契約となり、弟・徹が在籍する中日ドラゴンズへ移籍。翌は弟と共に二軍スタートだったが、一軍に昇格するや否や代打や守備固め、左投手が先発のときのスタメンなどで活躍し、弟と共に同年のリーグ優勝に貢献した。限りで現役を引退し、引退試合ではナインから胴上げされた。引退後は家業(農業)を継ぎながら、からまで、名古屋テレビ・東海ラジオで野球解説者を務めた。、巨人の二軍外野守備・走塁コーチに就任。オフに巨人を退団後、中日の二軍野手総合コーチに就任。同時に二軍監督となった弟を補佐した。は一軍外野守備・走塁コーチとして、その年のリーグ優勝に貢献。その後、には二軍打撃兼外野守備・走塁コーチ、からはフィジカルコーチを歴任した。のオフに一旦退団したが、オフ、落合博満監督就任に伴い復帰。肩書きはトレーニングコーチ。情熱と闘志の人で、落合監督とは現役時代に中日で一緒にプレーし、お互いを熟知する仲であった。“トーキングコーチ”のニックネームがついたほど選手とコミュニケーションを取るのが得意であった。またベンチでは相手チームを野次る事に徹し野次将軍としても名を馳せた。10月31日付で退団。その後、社会人野球・所沢グリーンベースボールクラブコーチ、はテレビ愛知で野球解説者を歴任。11月1日、弟・徹が二軍監督を務める東北楽天ゴールデンイーグルスの二軍総合コーチ就任が発表されたが、1月1日付で徹が一軍作戦コーチに異動となったのに伴い、自身も同日付で二軍監督に異動となった。、新設された野手総合兼巡回コーチに転身したが、同年のシーズン終了を以って退団。※いずれも、解説者として。
出典:wikipedia
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