水俣市(みなまたし)は、熊本県の最南部に位置する市である。西は不知火海に面して天草の島々を望み、もともと海の幸、山の幸に恵まれた風光明媚な土地である。重く長い公害の歴史を経て現在では環境都市づくりを推進している。熊本県の最南部、熊本市から南西に約70kmの場所に位置する。南は鹿児島県に接し、西は不知火海(八代海)に面するリアス式海岸である。中心部はJNC(チッソの子会社)とその関連工場などが多く立地し工業都市のイメージがあるが、北・東・南の三方を山に囲まれ緑の多い土地である。人口は水俣病発生後しばらくしてから減少傾向が続いており、2000年代前半に3万人を割り込んでいる。水俣川支流の久木野川上流久木野地区は97%が森に覆われた水の美しい地域で、農林水産省の日本の棚田百選に選ばれた寒川地区の棚田もある。また、大学山の照葉樹林は環境省のかおり風景100選に選ばれており、明治時代より林業に力をいれ、スギ、ヒノキの植林を行っている。1996年から市民参加により、大学山の緑を倍増すべく「水源の森」において植樹、下刈りを行っている。水源の森は、全ての市民参加で植えた森としては全国有数規模であり、水俣病患者、漁師、住民参加も得て、不知火海の再生の一端を担っている。"詳しくは水俣病の記事を参照。"1908年(明治41年)に、日本窒素肥料株式会社(現在のチッソ)水俣工場が開設されて以来、水俣市は同社の企業城下町として発展してきた。しかし同社はメチル水銀を含んだ廃液を海(水俣湾)へ流した水俣病の原因企業であった。水俣病の公式発見は、1956年(昭和31年)5月1日とされている。水俣湾内の汚染魚介類の流出を防ぐために仕切り網が設置されていたが、1997年(平成9年)には安全が確認されて全面撤去された。しかし、多くの犠牲者が出て「死の海」と呼ばれるようになり、「水俣」は世界的規模で負のイメージを帯びることになった。この水俣病は地域社会の人間関係にも大きな傷を残している。水俣病などの苦難の歴史を乗り越えるべく、「環境・健康・福祉を大切にする産業文化都市」をキャッチフレーズとし、市民・企業・行政が高い意識を持ち世界のモデルとなることを目指して環境モデル都市づくりを進めている。2008年(平成20年)7月に国が「環境モデル都市」と認定した全国6自治体のうちの一つである。平成5年から、全国に先駆けて、ゴミの分別収集を行っており、現在の分別種類数は24種類と、全国でも最も細かいレベルにある。このような共同作業は希薄になりがちな近所付き合いの活性剤となり、水俣病によって崩壊したコミュニティの再生にもつながった。こうした取り組みと地域における環境関連産業の振興を有機的に結びつけたまちづくりを目指し「水俣エコタウンプラン」を策定、2001年(平成13年)2月に経済産業省と環境省の承認を受けた。複数の環境NGOで組織する「環境首都コンテスト全国ネットワーク」が主催する「日本の環境首都コンテスト」において、2004年(平成16年度)と2005年(平成17年度)の2年連続で1位となり、その後の2009年(平成21年度)と2010年(平成22年度)と2011年(平成23年度)にも1位になっている。もともと豊富な海の幸に恵まれた不知火海沿岸であるため漁業が盛んであったが、水俣病の発生以降禁漁となり、壊滅した。農業も風評被害に遇い、大打撃を受けたが、水俣病の経験を踏まえた環境を大切にする地域一体となったまちづくりの下、農薬・化学肥料を使わない農業が広がり、その一環として甘みがあって生でも食べられるサラダたまねぎのブランドを確立し、全国的にも高い評価を得ている(このサラダたまねぎは読売テレビ『どっちの料理ショー』において「特選素材」として紹介(同市内ではKKTくまもと県民テレビを通して放送された)されたが、その際に生産地の「水俣市」の名が隠され、放送局側の偏見が批判された)。無農薬で作った茶や柑橘類の日本有数の産地でもある。これまでの取り組みにより水俣産の食材・食品の評価は高まりつつある。長年禁漁であった漁業も海の浄化が進んだことによって現在は解禁されている。中でもタチウオは湯の児温泉の名物料理としても知られ、太公望が多く訪れる。チッソ水俣工場は現在でも事業を移管した子会社のJNC水俣工場として操業しており、JNCの企業城下町としての性格が強い。JNCは世界でトップ3に入る液晶シェアを持っており、近年の液晶需要の増加から業績を回復させている。一方、約20ヘクタールの水俣産業団地内にエコタウン事業等による環境関連産業の立地と既存企業の環境配慮型への転換を推進しており、既に、家電リサイクル施設、びんのリユース・リサイクル施設、使用済みタイヤリサイクル施設、廃プラスチック複合再生樹脂リサイクル施設など6企業が立地し事業を開始している。このエコタウンへのリサイクル企業の進出については、市民が取り組んでいる高度なごみ分別収集が工場の立地を可能にしており、ペットボトルを始めとする全ての資源物の品質レベルが高く、「水俣ブランド」と呼ばれ全国的に注目されている。また、進出企業については、ISO14001の取得を要請するなど厳しい環境協定を市と結ぶこととしている。環境ビジネスなど地場産業の育成と技術向上のための支援を図り、環境モデル都市の実現に寄与するために地域企業と大学、公設試験研究機関等のネットワークを活かしながら、それを支援していくための交流拠点として、1999年に「みなまた環境テクノセンター」を設立している。このような水俣病の教訓を生かした水俣独自の持続可能な資源循環型社会の構築を目指した取り組みにより、近年、多くの人が視察、研修で水俣を訪れている。昔から不知火海に面するレジャー指向の湯の児温泉、湯出川上流の湯治場・湯の鶴温泉の2つの温泉が知られている。水俣病の歴史学習や環境学習を目的とする修学旅行・視察旅行などの観光客も多く、エエコパーク水俣などに国・県・市・民間の学習拠点が整備されている。近年は、地区全体を建物のない博物館と見立てて生活文化・産業を案内し体験してもらう村丸ごと生活博物館など、食材・食品や自然環境に恵まれた地域の生活を体験するグリーンツーリズムの取り組みも進んでいる。地魚料理は、いりこ、太刀魚のみりん干し、ちりめんなどの海産物や、サラダ玉ねぎ、みなまた新茶、新米、寒漬け、晩柑、甘夏、デコポン、スイートスプリングなども。中心商店街は水俣駅東側の国道3号線周辺を中心として広がる。核店舗は水光社本店、水光社エムズシティ(旧水俣寿屋百貨店)、鶴屋百貨店水俣店(小型店舗)である郊外部には大規模商業施設はないものの、国道3号線沿いを中心に郊外地域にかけてもロードサイド型店舗の進出が見られる。環境にこだわったものづくりに取り組む職人を認定する環境マイスター制度を1998年に全国で初めて設け、紙漉き職人、お茶・みかん・野菜・米づくりを行っている人など9名を認定。現在は33名が環境マイスターとして認定されており、いずれも、原料、生産、加工、販売、廃棄物のどの行程においても、環境にこだわったものづくりを進めている。近年、市の「小中学校再編成実施計画」により一部学校の統廃合が実施された。2011年4月1日、上述計画による統廃合が実施された。なお、廃校となった水俣第三中学校および湯出中学校については、既存の水俣第一中学校・水俣第二中学校とともに校区が再編された。上述計画による統廃合は、2008年および2009年の4月にそれぞれ実施された。太字の学校は標準服がある。市の中心となる駅:新水俣駅、水俣駅市内に高速道路は通っていない。最寄りのインターチェンジは本州・福岡・長崎・熊本方面からは南九州自動車道の津奈木インターチェンジ、大分・宮崎・鹿児島方面からは九州自動車道の栗野インターチェンジ。2000年5月23日、特定地域振興重要港湾に選定されている。1976年、県が水俣湾の水銀汚泥の処理を目的とした「水俣湾公害防止事業」に着手し、1976年には1工区約4.5ha、1990年には2工区約54haの埋め立てがそれぞれ竣工した。また、これに先立つ1989年には水深7.5mおよび10mの岸壁がそれぞれ1バース整備された。。水俣市立図書館では、鹿児島県の県域紙である南日本新聞が発行日より閲覧可能であったが、現在は行われていない。熊本県の放送局においてはNHK第一は水俣市、第二は大津町、RKK・NHK-FM・FMKは天草市御所浦町から送信される電波を受信する。なお、放送対象地域外となる他県の放送も一部の聴取が可能であり、鹿児島・長崎・福岡の各県を放送対象地域とするAM放送局が標榜するサービスエリアには市域も含まれている。熊本県の放送局においては水俣中継局を中心に受信されている。地上デジタル放送は2007年10月に放送開始された。一部地域では出水(阿久根中継局)・長島方面にアンテナを向け鹿児島の放送を受信している世帯もある。太字は故人
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