大輝煌 正人(だいきこう まさと、1967年9月15日 - 2009年6月6日 )は、和歌山県御坊市出身で武蔵川部屋所属の元大相撲力士。本名は林 正人(はやし まさと)、身長186cm、体重165kg。得意手は右四つ、寄り。最高位は東前頭15枚目(1991年1月場所)。血液型A型、趣味はパチンコ。年6場所制下では史上初めて十両を1場所で通過して幕内に昇進したが、故障に悩まされて現役生活はわずか3年あまりに終わった。中学時代から全国大会で活躍し、3年生の時には中学生横綱となる。近畿大学に進学し、4年生の時には全国学生相撲選手権大会で優勝を果たし学生横綱を獲得した。近大の先輩である元大関・朝潮の継承が内定していた若松部屋入りが確実視されていたが、一転し武蔵川部屋に入門。武蔵川部屋を選んだ決め手は、「筋力トレーニングの機材が充実している。」という設備上の理由であったという。他方では、初めから同郷かつ同じ相撲道場出身の5学年後輩である和歌乃山との縁で武蔵川部屋へ進むつもりだったが若松部屋や近畿大学の関係者には直前まで言い出せなかったという説もある。1990年3月場所に幕下最下位格付出で初土俵を踏むと2場所目の同年5月場所で幕下優勝。次いで、西幕下4枚目で迎えた同年9月場所では2度目の幕下優勝を7戦全勝で果たし、場所後に十両に昇進。同時に四股名を本名の林から大輝煌に改めた。前述のような経緯を辿ったことで十両昇進時には近大から化粧廻しを送られることがなかった。新十両となった11月場所でも勢いは留まることを知らず11勝4敗で優勝。この場所の番付が西9枚目と新十両としては比較的高位にあったことと、翌場所から幕内の定員が2名増員されることなどの運にも恵まれて、翌1991年1月場所で新入幕を果たした。しかし1月場所の直前に足を痛めて1場所で十両に陥落すると、取組中に極め出しを食らい腕を骨折したり、首を痛めるなど故障に悩まされ、1992年1月場所では幕下に陥落してしまう。その後は2度十両に復帰したが、故障の影響で本来の相撲が全く取れなくなり、自身と同じく学生相撲から鳴り物入りで武蔵川部屋に入門した尾曽(後の大関・武双山)と入れ替わるかのように、1993年5月場所を最後に現役を引退した。現役晩年には四股名をいったん林に戻した後で輝ノ海に再改名している。引退後は会社員に転身し、晩年は自動車整備士を務めていた。2009年6月6日16時、和歌山の自宅で脳出血にて急逝した。。
出典:wikipedia
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