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ビックリハウス

『ビックリハウス』とは、1974年から1985年まで発行された日本のサブカルチャー雑誌である。1975年、劇団 天井桟敷出身の榎本了壱と萩原朔美が編集プロダクションである、株式会社エンジンルームを設立。萩原が代表取締役に就任し、雑誌ビックリハウスを創刊。創刊当初は渋谷のタウン誌と同等の内容に過ぎなかった。その後、読者を「"ハウサー"」と呼称し、萩原が「ビックリハウスは読者の上に読者を作らず、読者の下に編集者を作る」が表明した通り、読者からの投稿が雑誌の柱となり、数々のコーナーが作られた結果、パロディ雑誌として一時代を築いた。1977年から高橋章子が編集長となり、1985年の休刊まで勤めた。80年代的なキッチュ、ユーモア、パロディをモットーにした面白雑誌で10代後半の読者に圧倒的な支持を集め、当時の若者文化に多大な影響を与え、常連投稿者の中には一般人時代のタレント、歌手、俳優、作家、文化人等が多くいた。読者主導型のコンテンツの先駆けとして、2016年時点の2ちゃんねるやニコニコ動画等の発信者がくだらないことを実行する文化との類似性を見出せるとミュージシャンの吉田アミは評していた。月刊誌として、全130号を発刊し1985年に休刊。2004年、「生誕30周年記念」と称し1号限定で復刊した。『TVビックリハウス』は千葉テレビで放送されたテレビ番組である。放送期間は1977年末から1978年にかけての3か月で、短命だったが、本誌編集部スタッフが自ら企画・出演した。1982年100号を記念したビックリハウスの増刊号的な内容で、過去の名作を読んだり、ドラマ仕立てのオリジナルストーリーやオリジナル曲等。1980年3月30日、第1回のエビゾリングショウを西武劇場で開催。ルールはプロ、アマチュアの問わずネタ3分間で審査員を笑わせたら勝ちで、つまらなければ、巨大なサジが投げられる仕組みの「お笑いネタ大会」である。雑誌内で連載を持っていたおすぎとピーコの司会、ツービート、三遊亭楽太郎、赤塚行雄、新旧編集長が審査員。大賞は竹中直人が受賞し、受賞は逃したが石橋貴明も審査員からいい評価を受けた。渋谷公園通りでパルコの出店に伴い栄えていったパルコ文化に対し、社会学者の北田暁大は西武、セゾン・グループの文化戦略は、1970年代末から1980年代にかけて、渋谷という都市空間において最高潮に達し、渋谷という都市そのものがパルコによってラッピングされ、そのままパルコの広告となり、名物コピーライターの突出に象徴される「広告ブーム」が、同時期に折り重なっていったことが要因だったと評している。

出典:wikipedia

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