斎部 広成(いんべ の ひろなり、生没年不詳)は、平安時代初期の貴族。氏姓は忌部宿禰のち斎部宿禰。民部少丞・斎部浜成の子。官位は従四位下・神祇大副。延暦22年(803年)父と想定される浜成らとともに、忌部宿禰姓から斎部宿禰姓に改姓した。斎部氏は代々中臣氏と並んで朝廷において祭祀を掌る官職に任ぜられてきたが、中臣氏の裔流から藤原氏が台頭すると、中臣氏が祭祀の官職を独占するようになった。このような中で、大同元年(806年)に中臣氏と忌部氏の双方から自らの氏族を幣帛使に任ずるべきとの訴えが出された(中臣・忌部相訴)。この訴えに対して以下勅命が出され、ある程度忌部氏の訴えが認められた。さらに広成は、大同2年(807年)平城天皇の朝儀に関する召問に応えて『古語拾遺』を著すことで、斎部氏の職掌の正当性を由縁と根源を主張し、世間に知らしめた。この時に広成は81歳とも伝わる。広成はこの功績もあり、翌大同3年(808年)従五位下に叙せられた。池辺真榛は広成と浜成を同一人物と推定している。
出典:wikipedia
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