四代目 坂田 藤十郎(よだいめ さかた とうじゅうろう、1931年(昭和6年)12月31日 - )は、日本の俳優、歌舞伎役者。屋号は山城屋。定紋は、替紋は。前名の三代目 中村 鴈治郎(さんだいめ なかむら がんじろう)としても、また今なお前前名の二代目 中村 扇雀(にだいめ なかむら せんじゃく)としても知られる。日本舞踊雁音流の家元としては雁音 歌扇(かりがね かせん)。現代歌舞伎の大看板のひとりでもあり、また上方歌舞伎の復興プロジェクトでも主導的な役目を務めるほか、近松門左衛門作品を原点から勉強し直すために劇団近松座を結成している。日本中にブームを巻き起こした『曾根崎心中』のお初は当たり役とされている。扇雀当時、お初で大当たりをとった時の人気は凄まじく、特に関西では知らない人のいないほどだった。中には本人許諾のもとで社号及び商標を扇雀にあやかったものに改名する会社まで現れた。扇雀飴本舗はその会社の一つ。関西の年配者には今でも坂田藤十郎のことを「センジャクはん」と呼ぶ者も多い。昭和30年代から、浮気騒動を起こすことがよくあり、週刊誌上をたびたび賑わせていた。夫人・扇千景との新婚旅行の車中では、酔った勢いで、自身の女性遍歴を悪びれることなく全て打ち明け、その相手への対応方法などを、堂々と新妻に語ったと言われている。ちなみにこの扇との結婚もできちゃった結婚であったことを、日本経済新聞に連載したコラム『私の履歴書』で白状している。また、扇と結婚する前は、京都に相思相愛の芸妓がいたといわれており、自身がつとめる舞台にその芸妓が訪れると、表は成駒屋定紋の祇園守紋、裏はその芸妓が用いていた女紋をあしらった扇で舞台をつとめた。鴈治郎時代の2002年、京都のある舞妓(後に芸妓)とホテルで密会し、バスローブをはだけて、自身の陰部を露出させたことが同年6月7日発売の写真週刊誌FRIDAYにスクープされた。その時のバスローブ姿から「中村ガウン治郎」と揶揄される。これまでの彼の行動を知らない人たち(特に、若い頃のことを知らない女性週刊誌等のマスコミ)から「驚いた。人間国宝でも所詮芸人か。ほんとうに驚いた」と批判をくらったが、そのときも夫人・扇は「彼は芸人ですから」と前置きした後で、「女性にモテない夫なんてつまらない」と発言した。一方の本人は記者会見で芸能リポーター達から「お元気ですねぇ~」と感心されると、逆にそうした記者たちに向かって「自分が元気だという事を証明して下さって!」と感謝して豪快に笑い、「老け込んだら駄目。日本の男性たちもみんな頑張ってほしいね」と余裕のコメントを残した。はじめ、女形として活躍したが、現在は立役、老役など幅広い役をこなす。祖父、父から継承した上方和事の第一人者であり、その華やかで艶のある芸風は衰えることを知らない。現在は関西歌舞伎の発展のため後進の指導にも熱心である。妹が女優の中村玉緒、夫人が元宝塚スターで参議院議長だった扇千景。長男に四代目中村鴈治郎(成駒屋)、その子に中村壱太郎(成駒屋)、次男に三代目中村扇雀(成駒屋)、その子に中村虎之介(成駒屋)がいる。
出典:wikipedia
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