フォトグラム(Photogram, Photogramm, Fotogramm)とは、カメラを用いずに、印画紙の上に直接物を置いて感光させるなどの方法により制作された写真作品。すでに、1830年代にタルボットが、フォトグラムを制作しているが、系統的な制作としては、1910年代末のクリスチャン・シャド(クリスチャン・シャート)によるシャドグラフ(Schadograph, シャートグラフ、シャードグラフ)を待たねばならない。1920年代初頭には、マン・レイとモホリ=ナジが、独立して、フォトグラムを大量に制作し、以降、一般的になった。フォトグラムという名称は、モホリ=ナジによるもので、現在では最も一般的な名称となっているが、マン・レイは、レイヨグラフ(Rayograph, Rayographie)と呼んでいた。なお、「レイヨグラム」(Rayogram, Rayogramm, Rayogramme, Rayograme)という呼び方も使われることがあり、以前から内外の一部の専門家も用いていることから、定着しつつある。しかし、マン・レイがつけた名称は、あくまでも、レイヨグラフであり、その意味では、少なくとも、レイヨグラムを「マン・レイがつけた名称」とすることは間違っている。名称に関連する1つの例として、マン・レイの1922年のレイヨグラフ作品で、作品の下部に、(本人の?)手書きで、(作品タイトルとともに)「Rayograph」と書かれたものがある(作品のタイトルは「ROSE SEL A VIE」で、この作品は「Golda Meir Library, University of Wisconsin」に所蔵されている)。この作品の図版は次の書籍の216ページに掲載されている。New York DADA 1915-23, Francis M. Naumann, Harry N. Abrams, Inc., Publishers, 1994, ISBN: 0 8109 3676 3)。なお、「レイヨグラム」という言葉が使われ始めた経緯は、今となっては、推測するしかないが、など(または、このうちの複数の複合)が考えられる。日本においては、戦前では、中山岩太、福森白洋(ふくもり・はくよう;1887年-1942年)、瑛九、山口正城(やまぐち・まさき;1903年-1959年)、音納捨三(おとの・すてぞう;1905年-1988年)らが制作している。なかでも、瑛九は、フォトデッサン(Photo-dessin)と名づけて、戦前の日本人としては最も多くのフォトグラム作品を残している。戦後では、杉浦邦恵が、フォトグラムでは有名。フォトグラムを制作した作家の範囲を概観するため、次に掲げる参考文献に掲載されている図版の作家名を列挙する。(作家名のあとのカッコ内は生没年、各行の最後に記載した年数は作品の制作年)参考文献:Photogrammes (Photo Poche 74)日本においては、まとまった形で、フォトグラムを紹介した展覧会はまだない。ただ、部分的で構わないのであれば、次の展覧会は重要である。日本においては、まとまった形で、フォトグラムを紹介した書籍はない。ただ、部分的で構わないのであれば、上記展覧会の展覧会カタログは重要である。
出典:wikipedia
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