ロニー・クインタレッリ( 、1979年8月9日 - )は、イタリア人のレーシングドライバー。10歳でカートレースデビュー。1999年にはヨーロッパカート選手権125ccクラスのチャンピオンタイトルを獲得した。2000年には、イタリア フォーミュラ・ルノー シリーズに出場する。2001年には、ユーロカップ フォーミュラ・ルノーに出場。2002年には、ドイツ・フォーミュラ・ルノー シリーズに出場している。ただこの頃はレース参戦資金の不足により、十分な体制での参戦ができないという悩みを抱えていた。2002年にはシートを求めて来日し、この年から復活した富士グランチャンピオンレース(GC-21)にスポット参戦。このときの走りが日本のレース関係者の目を引き、2003年より全日本F3選手権にINGINGから出場し、翌2004年には8勝を上げ、2位に42ポイントの大差をつけシリーズチャンピオンを獲得した。2005年からSUPER GT・500クラスに登場した。この年は、TOYOTA TEAM SARDから参戦しシリーズ16位。2006年は第6戦鈴鹿ラウンドにTOYOTA TEAM CERUMOから第3ドライバーとして、スポット参戦し決勝7位の成績を残した。2005年のシーズン途中にKONDO Racingより全日本選手権フォーミュラニッポンに参戦し、シリーズ9位。2006年にはINGINGのフォーミュラ・ニッポン参戦に伴いチームに復帰し、2007年の第4戦(岡山国際サーキット)で念願の初優勝を遂げた。2008年も体制を継続して参戦している。鈴鹿サーキットで単発イベントとして開催された鈴鹿1000kmにはこの年のSUPER GT同様にサードからスープラで参戦し、逆転優勝を飾っている。2007年も第6戦鈴鹿ラウンドに、TOYOTA TEAM KRAFTから第3ドライバーとしてスポット参戦した(決勝DNF)。2008年はチームの所属を日産自動車系のHASEMI MOTOR SPORTとし、新規投入されたGT-Rをドライブし、2年振りのフル参戦を果たした。10月5日に元レースクイーンの女性と結婚。2009年もHASEMIから参戦した後、2010年はTEAM IMPULより参戦。2011年はGT500クラスにステップアップしたMOLAに移籍し、柳田真孝とのコンビで参戦。第4戦のSUGOでシーズン初勝利を挙げると、その後も安定した成績を残し、初のシリーズチャンピオンを獲得した。2012年も、引き続き、MOLAから柳田と共に参戦。序盤の不調をはねのけ、第4戦のSUGO以降は5戦連続で表彰台に登り、第5戦の鈴鹿1000㎞でシーズン初勝利をポールトゥウィンで飾ると、その後第7戦のオートポリスでの勝利を以て王座を確定させた。最終戦前の王座確定は2007年、ARTA NSXの伊藤大輔、ラルフ・ファーマン組以来、5年ぶりのことだった。また、同一コンビによるシーズン連覇は、JGTC時代から遡っても史上初である。2013年は、柳田とともにNISMOに移籍。NISMOも柳田、ロニーの移籍に伴いタイヤをブリヂストンからミシュランタイヤに変更する。開幕戦岡山、第4戦菅生、第5戦鈴鹿と表彰台に上がるも、シーズンを通して苦戦。シリーズ6位に終わり、史上初の同一コンビによるシリーズチャンピオン3連覇達成はならなかった。また2014年からのDTMとの車両規則統合にともない、柳田とともにシリーズを戦いながら、2014年導入予定の、GT−R NISMO GT500の開発ドライバーを務めた。2014年はMOLAに復帰した柳田に代わり、7年ぶりのチーム復帰となる松田次生とともに参戦。第3戦オートポリスでシーズン初優勝を飾ると、次戦のSUGOではノーポイントに終わるもののその後の富士・鈴鹿と2戦続けて2位表彰台を獲得。ランキング3位で迎えた最終戦もてぎはポールポジションからスタートし、1周目でタイトルを争うジェームズ・ロシターとジョアオ・パオロ・デ・オリベイラが接触するという波乱のレースで優勝。ロシターが10位、伊藤大輔・アンドレア・カルダレッリ組は2位となったため逆転でGT500クラス最多タイ(脇阪寿一・本山哲・立川祐路と並ぶ)3度目のタイトルを獲得。NISMOにとっては2008年以来のチャンピオン獲得となった。ほかシーズン途中から、インタープロトシリーズに参戦。チームララパルーザ16号車の渡辺久和と組んで、第3戦、最終戦に参戦した。2015年も引き続き、ディフェンディングチャンピオンとして松田とともにNISMOから参戦。第2戦富士をポールトゥーウィンでシーズン初優勝を飾るもその後は表彰台にも上がれず苦戦が続く。しかし第7戦オートポリスで、ライバルのカルソニックインパルを抑え、2勝目を上げ、シリーズランキングも2位に浮上。タイトル争いがかかった最終戦もてぎは、予選がウェットコンディションになった影響で、予選12位からスタートとなり、逆転チャンピオンが難しい状況と思われた。しかし決勝レース直前に再び雨が落ち始め、ミシュランタイヤとの相性がいいウェットコンディションとなり、ロニーが順調に追い上げ、またピット作業の速さもあり、後半スティントを担当した松田が一時トップに浮上。優勝は37号車、KeeperTOMS(平川亮、アンドレア・カルダレッリ)に譲ったが、2位に入り、逆転でのシリーズチャンピオンを決めた。史上最多の4度目のシリーズチャンピオン獲得となり、2度目の連覇を達成した。4回のシリーズチャンピオン獲得は、SUPER GT 史上単独最多記録。ほか、昨年に引き続き、ララパルーザ16号車(渡辺久和)より、インタープロトシリーズにフル参戦した。2016年も、NISMOより松田次生選手と組んで、SUPER GTに参戦。同年6月、母国であるイタリア共和国からSUPER GTでの功績と東日本大震災後の東北地方での継続した社会貢献活動が認められ、勲章であるウッフィチャーレが授与された。レース中の無線やインタビューも流暢な日本語で会話し、語学堪能である。インタビューなどでは、パートナーである柳田真孝のことを「マー」と呼んでおり、親密な関係だと窺える。
出典:wikipedia
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