ソビエト連邦の国歌は、1922年のソ連成立から1943年までの「インターナショナル」(ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国国歌としては1918年から)と、1944年から1991年のソ連崩壊までの「ソビエト連邦国歌」()がある。本稿では「ソビエト連邦国歌」について記す。日本では「祖国は我らのために」の通称が使われることがある。本来は1943年に全く新しい曲と歌詞で国歌を制定する予定で公募されたが、ヨシフ・スターリンの気に入るような作品が集まらず、結局アレクサンドル・アレクサンドロフが1936年に作曲した「ボリシェヴィキ党歌」(、作詞はヴァシーリイ・レーベヂェフ=クマチ)の曲を流用し、児童文学作者であったセルゲイ・ミハルコフの詩を元にガブリエリ・エリ=レギスタンが補作するかたちで決定された。1943年をもって国歌でなくなった「インターナショナル」は、翌年から代わりにボリシェヴィキ党歌となった。後継のロシア連邦共産党においても同様である。当初の歌詞の2番にはレーニンとともにスターリンを称える箇所があるが、スターリン死去後の1955年から歌詞なしで演奏され、1977年に新しい歌詞になった。新しい歌詞はミハルコフ自身が作詞をし直した。2001年に制定されたロシア連邦国歌では、ソビエト連邦国歌の旋律と歌詞の一部(":讃えられて在れ、自由な我らが祖国よ)を転用している。その他のロシア連邦国歌の歌詞もやはりミハルコフが作詞している。1944年から1955年までの初代歌詞は次の通り。3番は発表当時の独ソ戦を想起させる。アレクサンドロフ赤軍合唱団が最初に歌った。フルシチョフによるスターリン批判およびその後のソ連内におけるスターリンの否定的再評価によって、スターリンを賞賛する部分は差し替えられた。国歌になる前のボリシェヴィキの党歌。スターリン批判以前なので、レーニンと共にスターリンを称える箇所が存在する。
出典:wikipedia
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