大畠 章宏(おおはた あきひろ、1947年(昭和22年)10月5日 ‐ )は、日本の政治家。学位は工学修士(武蔵工業大学・1974年)。衆議院議員(9期)。民進党副代表。茨城県議会議員(1期)、経済産業大臣(第13代)、国土交通大臣(第15代)、民主党幹事長(第14代)、民主党代表代行などを歴任。茨城県東茨城郡常北町(のちの城里町)出身。茨城高等学校、武蔵工業大学(現東京都市大学)工学部機械工学科卒業。1974年、武蔵工業大学大学院工学研究科修士課程修了。その後、日立製作所に入社。原子力発電所プラントの設計及び建設業務に従事した。1978年より2年間、労働組合専従役員として活動。1986年に茨城県議会議員当選。代議士・城地豊司の死去に伴い、日立労組後継候補として1990年の第39回衆議院議員総選挙で当時の日本社会党から初当選。1995年には村山内閣で通産政務次官を務めた。1996年に旧民主党に移籍し、1998年の民主党結党にも参加した。1999年、民主党の高度情報化社会プロジェクトチーム座長を務める。2000年12月、在日本朝鮮人総連合会の招請による民主党の訪朝団に選ばれ、北朝鮮を訪問。2000年12月6日、民主党のネクスト情報通信大臣に就任。2002年12月17日、民主党のネクスト内閣府大臣に就任。2003年7月6日、民主党の次の内閣の閣議で、「新しい国立追悼施設のあり方について」の提起を行う。2005年8月4日、『小泉政権の郵政民営化法案』廃案を目指す国民集会に参加し、集会の締めとなる音頭を取った。2007年9月5日、民主党のネクスト金融担当大臣に就任。2009年、衆議院国家基本政策委員長に就任。2009年9月、鳩山由紀夫の内閣総理大臣就任に伴い鳩山グループ会長に就任した。2010年9月、菅第1次改造内閣において経済産業大臣として初入閣。入閣に伴い、民主党茨城県総支部連合会会長を退任。2010年9月29日、現役閣僚の経済産業大臣として出席中国建国61周年を祝うレセプションに出席が判明した。。2010年11月6日、中国のレアアース禁輸処置に世界が揺れる中「中国とレアアース(希土類)の代替材料やリサイクル技術を共同研究したい」との意向を示した。2011年1月に行われた菅第2次改造内閣の組閣では、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)参加に積極的な海江田万里の経産相就任に伴い国土交通大臣へ補職変更となった。それに加えて、国務大臣としての担当事項として「海洋に関する施策を集中的かつ総合的に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」も新たに担当することになった。同年6月2日の菅内閣不信任決議に一旦は賛成を表明した鳩山と対立し、鳩山グループ会長を辞任する意向を示した。6月30日、鳩山の会長復帰に伴い顧問に退く。菅総理の退陣に伴う8月の民主党代表選では、農林水産大臣の鹿野道彦を「尊敬する政治家」と評価し推薦人となるが、鹿野は1回目の投票で4位に終わる。大畠は代表選後に鳩山グループを脱退。素交会(鹿野グループ)の旗揚げに参加し、会長代行に就任する。2011年9月、野田内閣発足に伴い国土交通大臣を退任した。10月21日、衆議院憲法審査会会長に就任。2012年12月、民主党代表代行に就任。また、素交会(大畠グループ)会長に就任。2013年7月、代表・海江田万里の下で民主党幹事長に就任。2014年4月、日本記者クラブで記者会見し、今夏に民主党代表選挙を実施することもあり得るとの認識を示した。会見後、「進退は代表が判断すべき事項で、私が特定の時期を指定したり、否定したりすべきではない。一般論として応答した」と釈明するコメントを出した。2014年9月、民主党幹事長を退任。2015年12月、民主党副代表に就任。
出典:wikipedia
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