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翔んだカップル

『翔んだカップル』(とんだカップル)は、柳沢きみおの漫画作品。『翔んだカップル』、『新・翔んだカップル』、『続・翔んだカップル』、『翔んだカップル21』の4作品からなる。さらに、『翔んだカップル』を原作とした実写映画およびテレビドラマも制作されている。漫画の『翔んだカップル』は1979年(昭和54年)度、第3回講談社漫画賞少年部門受賞。主人公・田代勇介(たしろゆうすけ)は、共学の私立高校・北条高校に入学し、上京してきた。外国に行っているおじ夫婦宅の一軒家に独りで住むことになり、不動産屋に男性の同居人探しを依頼した。ところが、不動産屋の手違いから、可愛く無邪気ながらも気の強い少女・山葉圭(やまばけい)と同じ屋根の下で共同生活を送る羽目になる。勇介は圭に好意を抱くが、自分の気持ちに素直になれず、顔を合わせれば口ゲンカの日々。そんな勇介にクラスの才女・杉村秋美(すぎむらあきみ)が興味をもち急接近。勇介は秋美との仲を深める一方で圭への想いも捨てられず、2人の間で揺れ動くことになる。圭は次第に勇介への想いを自覚するようになるが、秋美への嫉妬が障壁となって想いを素直に伝えることができない。大学受験が迫る中、勇介は圭と秋美との関係、そして将来の進路に答えを出していく。大学生となった勇介と圭は交際を始めていた。勇介は人生の進路が定まらず思い悩み、圭は勇介とサークルの先輩・藤木との間で揺れ動く。大学卒業を控え、勇介はプロボクサーになることを決意するが、圭は危険が伴うボクシングをすることに反対する。そのことが原因でやがて2人は破局を迎えることになる。勇介・圭・秋美は50歳になり、それぞれ子供をもうけていた。勇介の息子・勇一が圭の娘・佳奈と出会ったことをきっかけに3人は再会し、独身同士の勇介と秋美が接近。一方、3人の子供たちは親子2代にわたる三角関係に陥る。※苗字の〔〕は、本人または親の結婚によって姓が変わった登場人物の結婚後の苗字を表す。三人の高校時代に展開された。勇介は物語開始当初から圭に好意をもっていた。しかしまもなく秋美のことも意識しはじめ、秋美の積極的なアプローチを受け入れキスを交わし、一人暮らしをする秋美の部屋に入り浸るようになる。圭は勇介と秋美との関係を勘づくようになってから次第に勇介のことを意識しはじめるが、関係を深める2人への嫉妬から勇介に対し素直に感情を表すことができなくなる。2学期に秋美が海外留学に出た間も2人はすれ違いを続け、勇介は秋美への想いを募らせる。圭は勇介へ想いを伝えようとしたものの、拒絶されてしまう。春になり秋美が帰国。勇介は心の安らぎを求めて秋美への依存を強め、肉体関係を結ぶ(なおこの時期、勇介は町井から勇介が一番好きなのは圭だが相性が合うのは秋美だと指摘される)。勇介はしばらく秋美と半同棲生活を送るが密告により解消される。叔母のもとで下宿することを強いられた秋美は退学を覚悟で叔母の家を飛び出し、親から自立することに成功するが、その過程で秋美が自己決定に関する強い意思を発揮する一方自らの行動や人生に対する迷いも見せるのに対して有効なアドバイスができない勇介は自分自身に無力感を覚え、秋美との間に精神的な隔たりを感じるようになる。高校3年を前にした春休みに、勇介は想いを寄せる対象を圭一人に絞り、秋美と別れることを決意。勇介と秋美の交際および三角関係は終わりを迎えた。(ただしこの後も勇介が心理的に圭と秋美との間を揺れ動き、本当に好きなのは秋美ではないかと迷う場面は度々登場する。また、秋美が勇介との破局を苦悩する場面も登場する)秋美と別れた勇介は圭との関係を徐々に修復させ、高校卒業後に交際を開始。圭の心が勇介と藤木との間で揺れ動く場面もあったが交際は順調に続く。しかしボクシングと交際の二択を迫った圭に対し勇介がボクシングを選んだことで二人の関係は破局を迎えた。50歳のときに三人は再会。勇介は圭の後押しを受けて秋美に求婚。秋美はこれを受け入れ、2人は夫婦となった。勇一と佳奈は知り合って間もなく互いに惹かれあうようになった。やや遅れて勇一と知り合った真由子も勇一に興味を抱くようになり、勇一も徐々に真由子に惹かれ始め、三人は三角関係に陥った。やがて勇一と佳奈は交際を開始し半同棲生活を送るようになるが仲がこじれ、その間に勇一は真由子とも肉体関係を結んだ。どちらをとるか選択を迫られた勇一が悩む場面で『翔んだカップル21』は完結する。勇介は高校時代、勧誘されるままにボクシング部に入部。まもなくボクシングキャプテンの織田を倒すためジムに入門し、町井の指導を受ける。その際町井は勇介のボクサーとしての素質を見抜いていた。勇介は大学入学後将来の進路が定まらない中、2年生の終わりに大学クラブ活動で再び始めたボクシングにのめりこむようになる。3年生の時にプロボクサーとなり、圭との破局を選択してまでもボクシングに没頭した。通算成績23戦22勝(20KO)1敗。獲得タイトルはライト級日本チャンピオン(防衛5回)、ライト級東洋太平洋チャンピオン(防衛4回)。世界ランキング第8位。『翔んだカップル』冒頭では、勇介の入学式が1978年度のものとして行われている。一方、『続翔んだカップル』7巻によると、勇介のプロボクシングデビュー戦は1985年12月に行われている。この時勇介は大学3年生であるが、勇介は浪人をせずに大学に合格しているため、『翔んだカップル』冒頭から5年半あまりが経過していることになる。『翔んだカップル』を基準にすると勇介は1983年度に大学3年になっていることになり、2つの作品の間で2年間の時間の修正が行われたことになる。また、『続翔んだカップル』には29歳の勇介と圭がお互いに独身で出会う場面があるが、『翔んだカップル21』では50歳の勇介と圭にそれぞれ21歳の子供がいる設定になっており、2作品間に若干の時間設定の変更がみられる。『続翔んだカップル』では、勇介は拳を痛めてボクサーを引退したが、『翔んだカップル21』では息子の勇一が肩を痛めて引退したと語るシーンがある。『翔んだカップル』(とんだカップル)は、1980年7月26日に東宝系で全国劇場公開された日本の青春映画。相米慎二初監督作品で、鶴見辰吾と薬師丸ひろ子の初主演映画。石原真理子にとってはデビュー作となる。同時上映はアニメの『まことちゃん』など。1982年4月29日にディレクターズ・カット版に当たる『翔んだカップル オリジナル版』が公開された。マンガ好きのキティ・フィルムのオーナーの多賀英典が『翔んだカップル』の映画化権を押さえ、監督に新人の相米慎二を選んだ。相米監督のデビュー作として企画された『翔んだカップル』に、後から薬師丸ひろ子がヒロインとして選ばれた。多賀が相米を監督に選んだが、特に理由があるわけではなかった。多賀の周辺で映画の素人でなく身軽に動けるのが、たまたま相米だったので監督に選ばれた。プロデューサーの伊地智啓は、相米のいい加減な人生が少年少女の大人になる紆余曲折のプロセスに活かせるのではないかと思った。田代勇介役の鶴見辰吾は早めに決まったが、山葉圭と杉村役の選考は難航し都内の多くの女子校に張り込みをして、杉村役の石原真理子を見つける。張り込みや多くの面接も行なったが山葉圭役を見つけられないでいた土壇場で、相米監督と伊地智啓プロデューサーは、オーナーや東映のルートを使い、既に『野性の証明』やCMで有名だった角川映画の薬師丸と密かに会うことに成功する。下駄履き禁止の渋谷東急ホテルへ相米監督は下駄履き・ヒゲもじゃといった風体で薬師丸との面接に現れた。薬師丸は目立たない、スツールから降りても身長が変わらない〔小柄な中学生〕だったと伊地智は記憶している。薬師丸は打ち合わせで呼ばれたと思っていたが、未だ相米監督と伊地智は山葉圭役を選考している最中だった。30分間の面接中、相米は一言も喋らず、薬師丸は映画の裏方になって弁当運びをしたいと話し、薬師丸からどんな役をしたいとかの芝居の話は出なかった。出演することで撮影現場を知り、人脈も作れて、将来映画の裏方の仕事をするのにも役立つと伊地智は薬師丸を説得した。薬師丸が帰ると残った相米監督と伊地智の二人は山葉圭役に薬師丸をキャスティングすることで意見が一致した。当初、薬師丸は出演を固辞していたが、高倉健からのアドバイスもあり、最終的には出演を了承した。角川書店原作の角川映画で初主演すると思われていた薬師丸が、キティ・フィルムで初主演することになった。プロデューサーの伊地智啓によれば、相米慎二監督は鶴見辰吾と薬師丸ひろ子を同格の「ゴミ」として扱った。薬師丸は待ち時間に助監督を捕まえては英語を教わることに忙しかった。鶴見と薬師丸のクレジット順などに関して、当事者の2人は気にしていなかった。鶴見辰吾は相米監督との初面談で飯の食い方が早いか尋ねられた。『翔んだカップル』にはラーメンライス、ステーキ、もやし炒めなど食事のシーンが多かった。鶴見辰吾はもやし炒めを食べるシーンでテイクが重なることでもやしが無くなってしまうが、薬師丸が自分の分とは別に鶴見分を残すようにしていた。相米監督は新しい試みを色々実行しようとしたが反対する人も多かった。単純に新人監督を見下す人や不安視するベテランもいた。「〔新人監督が〕ほとんど演技のできない子供を集めて〔映画が作れるのか? 〕」といったものもあった。それらは、陰口だけではなく、あからさまのこともあり、撮影現場で直接監督に意見する人もいた。新人監督の相米が辛い立場なのは薬師丸も理解していた。鶴見は相米監督からドラマ『金八先生』(1979年)みたいな陰気な芝居をしないように注意された。1カット撮影するのに1日を掛けてくれたので、鶴見は緊張感から開放された。相米監督は演技の未熟な薬師丸たちが出来るようになるまで撮影に時間を掛けてくれた。その時間の長さが相米監督の愛情だったと薬師丸は思っている。相米監督からの指示は抽象的な言葉で、鶴見が具体的な内容を尋ねても自分で考えるように言われた。大雨の夜のシーンでも、相米監督は「日本一の傘の芝居」をするように言うだけで具体的な指示はなく、鶴見に考えさせた。薬師丸も相米監督から「自分で考えろ」とよく言われた。メインキャストの鶴見・薬師丸・尾美としのり・石原真理子の4人は相米監督から「ゴミ」・「ガキ」と常に怒鳴られていた。薬師丸は監督に褒められるために、何回も自転車で壁に突っ込むシーンに挑んだ。相米監督は決定稿にもある序盤の「勇介の田舎の生活」・「上京する電車シーン」を撮影していない。勇介にとって重要な女性であるスナック・ジョーカーの絵里は、映画の早い段階で出てきてこそ意味があるはずなのに、そこがカットされてしまったと伊地智は指摘している。伊地智は、ラストのモグラ叩きのシーンで薬師丸のクローズアップがないので、相米監督にリテイクを命じたが、相米は全く同じように撮り直してきた。そのため、最終的にリテイク前の最初のテイクが映画では使われている。伊地智はリテイクは無視されたが、わだかまりはなくモグラ叩きのシーンの良さは理解していると発言している。日数オーバーは1週間ぐらい、予算も1億を超えないで、相米監督の作品のうちでも一番順調な映画だったと伊地智は答えている。大ヒットとはならなかったが、目標とした興行成績を達成し、一応の成功をおさめた。写真集『フラッシュバックひろ子』では配給収入が8億円となっている。一方、『FLASH』誌上で多賀英典は5億円弱の配給収入だったと述べている。第54回(1980年度)キネマ旬報ベストテンでは日本映画ベスト・テン第11位、読者選出第9位となった。相米監督自身は、もっと冗談ぽく軽めに作れば、より悲しさが際だったはずなのに徹底出来なかったと反省をしている。当時、大学のシネマ研究会にいた武藤起一はマンガ原作のアイドル映画だと思って見に行ったが、相米監督と薬師丸に衝撃を受け他のメンバーに見に行くように勧め、武藤自身は映画館で6回見ている。この映画で相米監督・薬師丸という才能に出会った人は多かったのではないかと発言している。樋口尚文は相米監督の新鮮な表現方法が薬師丸の新鮮な魅力を引き出したと評価している。評判の良かった部分は〔当時の〕薬師丸にはよく分からなかった。ただ、雨の中から家に帰ってきた圭が鏡に写るシーンが綺麗に撮れていて気に入っている。『翔んだカップル』が評価されたことは、薬師丸が映画を続ける原動力になった。薬師丸は『翔んだカップル』の相米監督との相性が非常に良かったので、次の映画(『ねらわれた学園』)の大林宣彦監督の現場に慣れるのに時間が掛かってしまった。これは「相米病」になっていたためと薬師丸は説明している。薬師丸は相米監督の次作『セーラー服と機関銃』にも出演している。鶴見も「相米病」のため、他の現場が物足りなく感じたと話している。鶴見は相米監督作品には本作以外に『台風クラブ』と遺作の『風花』にも出演している。1980年10月3日 - 1981年4月10日までフジテレビ系で放送。全27話。コメディータッチのドラマで、回が進むにつれ原作とはかけ離れた内容となっていった。レギュラー放送前にずうとるびの今村良樹が勇介を演じた単発ドラマが放送された。出演者は、今村以外はレギュラー放送と同じだったらしい。この番組終了後、『翔んだライバル』『翔んだパープリン』とタイトルに“翔んだ”のついたドラマが続けて放送されたが、内容は繋がっていない。それまで注目されることのなかった出演者のNG(失敗テイク)を採り上げた最初の番組と言われている。番組の最後にNG集として毎週2〜3個のNGを放送していた。NGを採り上げたきっかけは、ある回において、編集が終了し番組を納品するという段になって、タイムキーパーのミスで番組の尺(時間)が2分ほど足りないことが発覚したことにある。苦肉の策として穴埋めにNG集を付け足して納品・放映にこぎつけたのであったが、このNG集によってそれまで低調だった視聴率が見る見るうちに上昇、当番組の後継番組においてもエンディングロールのあとはNG集で締めるのが恒例となり、また、この番組の成功がその後の『FNS番組対抗NG大賞』に繋がることとなる。また、第13回と最終回にあたる第27回は、丸ごとNG集となっている。このため、ドラマとしては25回分となり、第26回放送分で完結する。ドラマとしてのラストも、圭、勇介、織田の三人が共同生活をした家のキッチンで手を取り合って笑い合っているところで幕が引かれ、カメラが引いていくとその様子を他の出演者全員で観覧しており、古文教師役の佐藤B作によって主要キャストの紹介が一人一人行われ、檀上に登ったキャストによってあいさつが行われる、というものであった。画面にコンピュータグラフィックスによる効果(登場人物の気持ちを表現するため流れ星を飛ばすなど)を多用している点も画期的だった。当時は同手法が開発されたばかりで、画像処理にコストと手間がかかった。この作品以降は各テレビ局が多くの番組で使用することになる。企画はキティフィルムの金田晴夫で、映画版にもプロデューサーとして関わっており、また、東映大泉ビデオスタジオ (現在は吸収されて東映テレビ・プロダクション)でセット撮影が行われるとともに、美術デザイナー・桑名忠之や、照明技師・梅谷茂、録音技師・林鉱一らをはじめとする東映東京撮影所のスタッフが制作に関わった。放送終了後しばらくして放送された、90分枠の総集編が存在する。1984年1月23日と7月23日に、フジテレビ系の月曜ドラマランドで放送。全2話。

出典:wikipedia

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