森川 重俊(もりかわ しげとし)は、下総生実藩の初代藩主。江戸幕府の老中である。天正12年(1584年)、森川氏俊の三男として生まれる。慶長2年(1597年)、徳川秀忠の近習となる。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは秀忠軍に属して、信濃上田城にて真田昌幸と戦った。慶長14年(1609年)に下野国内に3000石を与えられる。しかし慶長19年(1614年)、大久保忠隣の改易に従って、忠隣の養女(実は姪、大久保忠世の外孫)を娶っていたことから連座して改易となり、酒井家次に身柄を預けられた。慶長20年(1615年)、大坂夏の陣では酒井家次に属して出陣して武功を挙げたため、再び秀忠の近習として復帰する。寛永4年(1627年)に下総生実藩を中心に下総・上総・相模国内で1万石を与えられ、その初代藩主となる。寛永8年(1631年)に老中となる。しかし寛永9年(1632年)1月24日に秀忠が亡くなると、1月25日に殉死した。理由は、秀忠より男色(衆道)の寵愛を蒙ったことはもとより、親秀忠、親徳川忠長派であったことから、後継者である徳川家光より改易されるのを恐れたためでもあると言われている。享年49。正室との間に3男3女に恵まれ、長男である重政が跡を継いだ。
出典:wikipedia
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