秋村 謙宏(あきむら のりひろ、1966年2月26日 - )は、山口県宇部市出身の元プロ野球選手(投手)、プロ野球審判員。宇部商業高校では豪速球投手として注目を集め、エースとして甲子園に3回出場。2年生時のの第64回全国高等学校野球選手権大会では、2回戦(初戦)で高岡商に敗退。この大会の県予選準々決勝で岩国高(5回コールド)、準決勝で萩工を相手に連続ノーヒットノーランを達成した。翌の第55回選抜高等学校野球大会は、1回戦で久留米商の山田武史投手に完封を喫する。同年第65回全国高等学校野球選手権大会は準々決勝に進むが、三浦将明投手を擁する横浜商に敗退。この大会では3回戦で、仙台商の荻原満から大会第23号本塁打を放っている。卒業後は法政大学へ進学。東京六大学リーグで在学中4回の優勝を経験するが、1年上に猪俣隆、石井丈裕の両投手がおり、下級生の時は登板機会が少なかった。しかし4年生時はエースとして秋季リーグで優勝、同季のベストナインに選出される。同年の明治神宮野球大会では決勝で筑波大に延長10回の熱戦の末に敗れた。リーグ通算33試合に登板し14勝1敗、防御率3.01、96奪三振。大学同期に鈴木俊雄、松井達徳らがいる。日本石油に進み、の都市対抗に出場。にドラフト外で広島東洋カープに入団。1年目から主に中継ぎとして起用され、には6勝をあげる。その後に日本ハムファイターズに移籍、しかしここでは登板機会に恵まれず、限りで引退した。広島時代には中日ドラゴンズの森田幸一に「投手のプロ初打席初本塁打」を献上するという珍しい記録があった。引退後の、パシフィック・リーグ審判部入局。審判員袖番号はまで10、2004年以降は1。秋村の入局前に10をつけていた斎田忠利(元・審判部長)と、秋村よりも前に1をつけ、秋村の入局前年に退職した五十嵐洋一(元・審判部副部長)はともに法政大学の先輩である。1を選んだ理由は、学生時代に出席番号などで1番が多かったからだという。1年目の1999年に早くも一軍試合初出場を果たし、2003年には入局5年目にしてオールスターゲーム第1戦(7月15日・大阪ドーム)で球審を務める。2006年にはパ・リーグ審判員奨励賞を受賞した。、念願の日本シリーズ初出場を果たし、第3戦で球審を担当している。9年目での日本シリーズ出場は異例の早さである(本来は15年程度は要する)。2007年8月、『四番、ピッチャー、背番号1』(横尾弘一著)で、その歩みが取り上げられた。7月16日の千葉ロッテマリーンズ対埼玉西武ライオンズ13回戦(千葉マリンスタジアム)で1000試合出場を果たした。2016年シーズンから球審の構えをシザーススタンスからボックススタンスに変更した。2016年4月14日、東京ヤクルトスワローズ対読売ジャイアンツ6回戦(神宮球場)で三塁塁審を務め、史上88人目となる通算1500試合出場を達成した。上記の通り、1年目から一軍の試合に出場し、9年目に日本シリーズに出場するなど、評価は高く、セ・パ統合前は「選手が選ぶ!ベストアンパイア」にも、何度か選出されている。(記録は2015年シーズン終了時)
出典:wikipedia
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