杉 重良(すぎ しげよし、天文23年(1554年) - 天正7年3月4日(1579年3月30日)?)は戦国武将。毛利氏、大友氏などの家臣。杉重輔の長男。豊前松山城主。幼名は松千代丸。子に杉元良がいる。1557年、父・重輔が内藤隆世の軍に討たれたためわずか4歳で家督を継ぐ。1569年、毛利家につくか大友家につくかの葛藤の末に毛利家に従う事にし、居城・豊前松山城を捨てて大友家が援軍を出していた大内輝弘を攻撃して攻め滅ぼす。この戦功で徳地2000貫の地を与えられるが、「徳地は公領」だとの重臣たちの反対によりこれを返還し、代わりの土地300貫を与える約束をとりつけた。しかしその翌年、毛利輝元にその約束の実行を訴えたが、返答は空分となる。1573年、福原広俊の娘と婚姻。1579年1月、秋月種実との人質問題により、豊前国蓑島にて毛利家に反旗を翻し、大友家に寝返る。その後、秋月・高橋・長野氏の連合と戦って高橋鑑種に討ち取られた。異説として、戦の後に落ち延び、小倉・若松・芦屋・博多などを経て対馬に渡り、田中源五郎と変名して宗家に仕えた後、平戸の松浦家・五島の大村家に仕え、長崎近辺の野母村を遍歴し、朝鮮出兵にも従軍し、関ヶ原の戦いの後には鍋島家の客分となってそこで生涯を閉じたという(「杉新右衛門覚書」(1628年)より)。尚、1579年3月4日に没したのは、主家に逆らって国追われた祖先を恥じて憚った重良の子孫の創作であるともされる。
出典:wikipedia
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